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  • 秀吉の2回目の大返し「美濃大返し」について解説 【羽柴秀吉vs柴田勝家】 - 草の実堂

    安土桃山時代 秀吉の2回目の大返し「美濃大返し」について解説 【羽柴秀吉vs柴田勝家】 安土桃山時代 佐久間盛政, 柴田勝家, 美濃大返し, 豊臣氏, 豊臣秀吉 コメント: 2 投稿者: rapports 2021/3/6 最終更新:2024/4/7 美濃大返しとは 「美濃大返し(みのおおがえし)」とは、賤ヶ岳の戦いの際に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が美濃国大垣(現在の岐阜県大垣市)から近江国木之(現在の滋賀県長浜市木之町)まで、13里(約52km)の道のりを5時間余りで駆け抜けた大掛かりな軍団移動のことである。 今回は、秀吉にとっては2度目の大返しとなる「美濃大返し」について解説する。 それまでの経緯 天正10年(1582年)6月2日、明智光秀の謀反・能寺の変によって、織田信長とその嫡男で織田家当主の織田信忠が自害した。 敵討ちとなった山崎の戦いで光秀を討った羽柴秀吉は織田家家中で大

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    shinchi 2021/03/09
  • 38歳で謎の急死をした猛将・浅野幸長 「家康による暗殺説」 - 草の実堂

    浅野幸長(あさのよしなが)は、織田信長と豊臣秀吉に仕えた浅野長政の嫡男として秀吉の一門衆として活躍した武将である。 父と共に秀吉の天下取りを助け、父・長政が上方に詰めていることが多かったために領国の甲斐の支配を進めた。 関白・豊臣秀次の事件が起きた時は大ピンチを迎えるが、なんとか切り抜ける。 秀吉没後は福島正則や加藤清正らと同じ武断派のメンバーとして、文治派の石田三成らと対立して徳川家康についた。 関ヶ原の戦いの武功によって紀伊国37万6,560石を与えられて和歌山城主となったが、38歳で謎の病死をしている。 38歳で疑惑の死を迎えた武勇に優れた武将・浅野幸長について解説する。 浅野幸長の出自 浅野幸長は、天正4年(1576年)織田信長に仕える浅野長政の長男として近江国の小谷城下(現在の滋賀県長浜市)にて生まれた。 父・長政は豊臣秀吉の正室・ねね(北政所)の義弟にあたり、能寺の変で織田信

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    shinchi 2021/01/22
  • 斎藤義龍 〜父・道三を討ち、信長を苦しませた巨漢武将(197cm) - 草の実堂

    斎藤義龍(さいとうよしたつ)は、今年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で伊藤英明さんが演じた武将である。 戦国時代の梟雄として美濃一国を手中にしたマムシの斎藤道三は、嫡男・義龍に斎藤家の家督を譲ったが、義龍を無能だとして次第に弟たちを寵愛して廃嫡の動きを見せたことから、二人の関係は悪化して親子間での血の争いとなってしまう。 また戦国一の高身長(197cm)だったことでも知られ、美濃の統治は短い期間だったにも関わらず信長を苦しめた。 数奇な運命に翻弄された武将・斎藤義龍について解説する。 斎藤義龍の生い立ち 斎藤義龍は、大永7年(1527年)に美濃の守護代・斎藤利政(後の斎藤道三)の嫡男として生まれた。 幼名は豊田丸で元服後に利尚、高政と名を変えた後に義龍となる。※ここでは義龍と記させていただく 義龍を産んだのは道三の側室・深芳野(みよしの)だが、深芳野は道三の主君である土岐頼芸(ときよりあき

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    shinchi 2021/01/16
  • 1800年生まれるのが早かった 諸葛恪の天才エピソード - 草の実堂

    三國志 1800年生まれるのが早かった 諸葛恪の天才エピソード 三國志 中国, 呉, 諸葛恪 コメント: 0 投稿者: mattyoukilis 2021/1/12 諸葛瑾、諸葛亮の諸葛兄弟に親類の諸葛誕を含めた諸葛一族は、魏、蜀、呉の三国でそれぞれ重用された三国志屈指の名門である。 そんな諸葛一族から呉の重臣として仕えた諸葛瑾の息子である諸葛恪は、子供の頃から数々の逸話を残し、叔父に負けない才能を感じさせる「大器」だった。 もっとも、諸葛恪は天才的な才能を傲慢な性格が潰してしまい、孫峻(そんしゅん)に殺されて51歳の短い生涯を不意な形で終える事になる。 今回は、諸葛恪の残した天才エピソードを紹介するとともに、彼が現代社会に生きていたらというifを考察する。 どちらも出るところは? ある日、当時の呉の皇太子だった孫登は諸葛恪に対して「お前は馬の糞でもってろ」と言った。 太子嘗嘲(諸葛)

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    shinchi 2021/01/13
  • 信長は本当に短気だったのか? 「イメージとは少し異なる人物像」 - 草の実堂

    安土桃山時代 信長は当に短気だったのか? 「イメージとは少し異なる人物像」 安土桃山時代 織田信長, 織田氏 コメント: 0 投稿者: rapports 2021/1/7 最終更新:2023/8/9 織田信長(おだのぶなが)は、天下統一へあと一歩のところまで迫った戦国時代の風雲児である。 尾張国織田弾正忠家の当主・織田信秀の嫡男でありながら、若い頃は常識やルールを守らない問題児で「大うつけ」と呼ばれていた。 父親の葬儀で、いつもの大うつけの服装で現れ抹香を位牌に投げつけたというエピソードも有名である。 比叡山延暦寺の焼き討ちに象徴されるように「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」という短気で怖い人物というのが信長のイメージである。 今回は信長は当に短気だったのか?について検証してみた。 イメージとは異なる信長 当時の上級武士の子息たちは蹴鞠(けまり)など上品な遊びを取り入れていたが、信長

    信長は本当に短気だったのか? 「イメージとは少し異なる人物像」 - 草の実堂
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    shinchi 2021/01/07
  • 戊辰戦争の裏側では何が起きていたのか?「列強の狭間で植民地化を避けた日本」 - 草の実堂

    幕末明治 戊辰戦争の裏側では何が起きていたのか?「列強の狭間で植民地化を避けた日」 幕末明治 戊辰戦争 コメント: 1 投稿者: 草の実堂編集部 2021/1/1 最終更新:2023/8/9 「代理戦争」という言葉を聞いたことがあるだろうか。 大国同士の対立を背景として、その大国同士が直接戦争をするのではなく、別の国を大国が支援し、大国の代理として戦争をするという構図だ。第2次世界大戦後のアメリカとソ連の「冷戦」構造下で行われた朝鮮戦争やベトナム戦争などがその例に挙げられることが多い。 日ではあまり馴染みがない言葉だが、実は過去に代理戦争が行われていたという見方もある。それが幕末の日の転換点となった戦争、「戊辰戦争」だ。 戊辰戦争の当時、世界から見た日とはどのような地域だったのか、諸外国からの干渉を受けながら、なぜ日は植民地化の憂き目を見なかったのか、この記事で解説してみよう。

    戊辰戦争の裏側では何が起きていたのか?「列強の狭間で植民地化を避けた日本」 - 草の実堂
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    shinchi 2021/01/02
  • 豊臣秀吉の人物像 「指が6本あった、信長を呼び捨て」〜 戦国三英傑の逸話 - 草の実堂

    戦国三英傑(せんごくさんえいけつ)とは、天下人へあと一歩のところまで迫った「織田信長」、最初の天下人となった「豊臣秀吉」、秀吉没後に天下分け目の関ヶ原の戦いに勝利し、江戸に幕府を開いたもう1人の天下人「徳川家康」の3人である。 三英傑の三人は共に尾張・三河(現在の愛知県)出身という共通点があるが、それぞれタイプは違い様々なエピソードがある。 今回は天下を統一した豊臣秀吉の逸話について紹介する。 豊臣秀吉の逸話 秀吉の逸話は事欠かないほど多い。その中から幾つか紹介する。 秀吉が天下人になれた要因の一つとされているのが「人の心を掴む才能」だとされている。 いわゆる「人たらし」であり持って生まれた性格もあるが、低い身分からの「叩き上げ」で出世した秀吉には自前の家臣団がなかったために、多くの優秀な人材(竹中半兵衛・黒田官兵衛・石田三成ら)を登用する必要性があったことは確かである。 信長に小便をかけ

    豊臣秀吉の人物像 「指が6本あった、信長を呼び捨て」〜 戦国三英傑の逸話 - 草の実堂
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    shinchi 2021/01/01
  • 豊臣秀吉はなぜ征夷大将軍ではなく関白を選んだのか? - 草の実堂

    安土桃山時代 豊臣秀吉はなぜ征夷大将軍ではなく関白を選んだのか? 安土桃山時代 豊臣氏, 豊臣秀吉, 近衛信尹 コメント: 2 投稿者: rapports 2020/12/26 最終更新:2023/8/9 農民の出でありながら日最大の大出世を遂げて天下人となった豊臣秀吉(とよとみひでよし)は、武士の最高峰である「征夷大将軍(せいいだいしょうぐん)」とならずに、公家の最高位である「関白(かんぱく)」を選んだ。 朝廷から政権を預かる武士は「征夷大将軍」に任じられるのが常で、鎌倉幕府の源頼朝から始まり、徳川幕府の徳川慶喜まで武家の棟梁として就任が続いている。 武士で関白になったのは秀吉と、その跡を継ぐはずだった豊臣秀次(とよとみひでつぐ)の2人だけである。 秀吉はなぜ征夷大将軍ではなく、関白を選んだのだろうか? 天下取りのイメージ 織田信長に仕えた秀吉は「人たらし」の人間性と行動力で信長に重用

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    shinchi 2020/12/27
  • 豊臣秀吉が亡くなる前の行動を時系列で追ってみた 【朝鮮出兵、死因】 - 草の実堂

    安土桃山時代 豊臣秀吉が亡くなる前の行動を時系列で追ってみた 【朝鮮出兵、死因】 安土桃山時代 豊臣氏, 豊臣秀吉, 駒井秀勝 コメント: 1 投稿者: rapports 2020/12/12 最終更新:2020/12/14 豊臣秀吉にまつわる歴史的大発見 2020年、豊臣秀吉にまつわる歴史的大発見が立て続けに報じられた。 5月、秀吉が最後に築いたとされる幻の城「京都新城」の遺構が発見された。 豊臣秀吉晩年の「京都新城」跡 御所から石垣や金箔瓦 https://this.kiji.is/632863637455111265?c=586273634388706401 6月、秀吉とその養子であった豊臣秀次に仕えた、駒井重勝の自筆日記の原とされる一部が見つかった。 慶長3年(1598年)8月18日に天下人・秀吉が亡くなってから422年。「秀吉の新たな人物像が明らかになるのでは?」と研究者や歴史

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    shinchi 2020/12/14
  • 尼子晴久 ~謀神・毛利元就を何度も破るが、なぜか評価の低い大名 - 草の実堂

    戦国時代 尼子晴久 ~謀神・毛利元就を何度も破るが、なぜか評価の低い大名 戦国時代 尼子晴久, 尼子氏, 毛利元就 コメント: 2 投稿者: rapports 2020/11/24 最終更新:2024/3/25 尼子晴久(あまごはるひさ)は、中国地方を制した出雲の戦国大名・尼子経久(あまごつねひさ)の孫で、出雲をはじめ隠岐・備前・備中・備後・美作・因幡・伯耆8カ国の守護を兼務し、室町幕府の相伴衆に任じられ、尼子氏の最盛期を築き上げた武将である。 毛利元就の居城・吉田郡山城の戦いでは敗れたが、難攻不落の名城・月山富田城において大内義隆・毛利元就の連合軍を破り、毛利元就をあと一歩のところまで追い込み、何度も毛利元就を苦しめた武将・尼子晴久について解説する。 尼子晴久の生い立ち 尼子晴久は永正11年(1514年)2月12日、出雲国(現在の島根県)の戦国大名・尼子経久の嫡男・尼子政久の次男として生

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    shinchi 2020/11/24
  • 関東の覇者でありながら評価の低い・北条氏政 【小田原征伐では日本中から集団リンチ状態】 - 草の実堂

    北条氏政(ほうじょううじまさ)は、北条早雲・北条氏綱・北条氏康と続いた相模国の後北条家四代目の当主である。 「武田信玄」「上杉謙信」の攻撃を跳ね返した偉大な父・氏康の跡を継ぎ、関東に覇権を確立し後北条家としては最大の領地を獲得している。 豊臣秀吉に最後まで抵抗して後北条家を滅亡させたために評価は高くないが、武田・上杉・今川・織田・徳川・豊臣といった戦国時代を代表する武将たちと覇権を競い合った北条氏政について解説する。 北条氏政の生い立ち 北条氏政は天文7年(1538年)相模国の北条家第三代当主・北条氏康の次男として生まれる。 ※生年は天文10年(1541年)という説もある。 兄が16歳で亡くなったため嫡男として育ち北条新九郎氏政と名乗り、天文21年(1552年)以降に元服したとされている。 天文23年(1554年)7月、武田信玄の娘・黄梅院を正に迎え、この婚姻によって武田・今川・北条の「

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    shinchi 2020/11/20
  • 筆頭家老が暴走して最悪な結果となった「会津騒動」※江戸初期の大事件 - 草の実堂

    江戸時代 筆頭家老が暴走して最悪な結果となった「会津騒動」※江戸初期の大事件 江戸時代 加藤明成, 加藤氏, 堀主水, 天秀尼 コメント: 0 投稿者: rapports 2020/11/16 会津騒動とは 江戸時代の初め、会津40万石の筆頭家老・堀主水(ほりもんど)が、藩主・加藤明成(かとうあきなり)の失政を批判して出奔した「会津騒動」という幕府を巻き込む大事件があった。 その結果、加藤家は40万石から1万石への大減封となり、会津藩は3代将軍・徳川家光の弟・保科正之のものとなった。 最悪の結末を迎えることになった「会津騒動」についてわかりやすく解説する。 暴君! 加藤明成 加藤明成(かとうあきなり)は、天正20年(1592年)豊臣秀吉に仕えた加藤嘉明(かとうよしあきら)の長男として生まれる。 父・加藤嘉明は、賤ヶ岳の戦いで「賤ヶ岳の七槍」の1人として武功を挙げ、秀吉の天下取りを助けた武

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    shinchi 2020/11/17
  • 武士に憧れた公家・近衛信尹の苦悩【秀吉が関白を奪う原因を作り公家から袋叩きにされ心を病む】 - 草の実堂

    安土桃山時代 武士に憧れた公家・近衛信尹の苦悩【秀吉が関白を奪う原因を作り公家から袋叩きにされ心を病む】 安土桃山時代 二条昭実, 藤原氏, 豊臣秀吉, 近衛信尹, 近衛氏 コメント: 0 投稿者: rapports 2020/11/10 最終更新:2024/4/6 近衛信尹とは 近衛 信尹(このえ のぶただ)は、公家でありながら武士に憧れ、豊臣秀吉の朝鮮出兵に参陣しようとした人物である。 関白になる予定だったが、時の権力者「豊臣秀吉」に関白の座を奪われ、そのことが原因で公家社会から孤立し心を病む。 そして摂関家のエリートでありながら武士になろうと無茶な行動を起こし、天皇の怒りを買って薩摩へ流罪となった。 しかし書道・和歌・連歌・絵画・音曲諸芸に優れた才能を持っており、書の世界では後に「寛永の三筆」と称えられた。 関ヶ原の戦い後は、島津家と徳川家康の仲介を行い、島津家の所領安堵に貢献した。

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    shinchi 2020/11/11
  • 日本三大悪女「淀殿」の壮絶な生涯【父と兄を信長に殺され、母と義理の父を秀吉に殺され、家康に滅ぼされる】 - 草の実堂

    淀殿(よどどの)は天下人・豊臣秀吉の嫡男・豊臣秀頼を生み、豊臣家の存続のために徳川家康と対立し、大坂夏の陣で秀頼と共に自害という壮絶な生涯を送った女性である。 浅井三姉妹の長女・茶々として生を受けた淀殿は「戦国一の美女」と賞された母・お市の方に似た美人であった。 親の仇でもある豊臣秀吉の側室となった淀殿の胸中はいかばかりか? 「女帝」「悪女」と称され、壮絶な生涯を送った淀殿について解説する。 淀殿の出自 淀殿(茶々)は永禄12年(1569年)、近江国(現在の滋賀県長浜市)の戦国大名・浅井長政と織田信長の妹・お市の方の長女として、小谷城で生まれた。 母・お市の方は信長の妹で、浅井家と織田家の同盟のために長政に嫁いだが、二人の仲は周りがうらやむほど仲睦まじく、永禄13年(1570年)には次女・お初、天正元年(1573年)には三女・お江が生まれ、浅井三姉妹と呼ばれるようになった。 母・お市の方は

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    shinchi 2020/11/03
  • 細川藤孝 「本能寺の変後に光秀を見限った文武両道のエリート武将」 - 草の実堂

    安土桃山時代 細川藤孝 「能寺の変後に光秀を見限った文武両道のエリート武将」 安土桃山時代, 戦国時代 細川氏, 細川藤孝, 織田氏 コメント: 1 投稿者: rapports 2020/7/8 最終更新:2023/8/9 細川藤孝(ほそかわふじたか:幽斎とも)は、NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」で、眞島秀和が演じた文武両道の将軍奉公衆で、明智光秀の盟友となった人物である。 和歌・茶道・蹴鞠・囲碁・料理など戦国時代最高の教養人でありながら、剣聖・塚原卜伝(つかはらぼくでん)から剣術を学び、免許皆伝の「一の太刀」を授かった文武両道の武将でもある。 明智光秀の盟友として織田信長に仕えた彼に、「能寺の変」という歴史的な事件が起こる。 そして「能寺の変」の後に、光秀から協力の要請が届き、細川藤孝は人生最大の決断を迫られることとなる。 この決断は日歴史に大きな影響を与えたと言っても過言では

    細川藤孝 「本能寺の変後に光秀を見限った文武両道のエリート武将」 - 草の実堂
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    shinchi 2020/07/09
  • ミステリー小説オススメ作品 「年間読書数100冊越えの筆者が選ぶ!」 - 草の実堂

    エンタメ ミステリー小説オススメ作品 「年間読書数100冊越えの筆者が選ぶ!」 エンタメ 小説 コメント: 3 投稿者: アオノハナ 2020/7/4 最終更新:2024/4/7 皆さん、こんにちは。年間読書数100冊越えのの虫、ライターのアオノハナです。 日国内の文学から、海外の文学にいたるまで、筆者オススメの名作を、独自の視点でお伝えします! 今回は、読書好きの方にも人気の高い、《ミステリー》。 これからの展開がどうなるのか、ハラハラドキドキしながら読み進める方、ご自分も登場人物になりきって、推理しながら読み進める方、《ミステリー》小説の楽しみ方は人それぞれ、だと思うのですが、あなたはどのようなタイプですか? ちなみに筆者は、読むミステリー小説によって、読書の仕方が変わります(笑) 推理しながら読み進める時もあれば、まるで芝居の観客のように、ハラハラしながらぺージをめくる、という場

    ミステリー小説オススメ作品 「年間読書数100冊越えの筆者が選ぶ!」 - 草の実堂
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    shinchi 2020/07/06
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