安土桃山時代 秀吉の2回目の大返し「美濃大返し」について解説 【羽柴秀吉vs柴田勝家】 安土桃山時代 佐久間盛政, 柴田勝家, 美濃大返し, 豊臣氏, 豊臣秀吉 コメント: 2 投稿者: rapports 2021/3/6 最終更新:2024/4/7 美濃大返しとは 「美濃大返し(みのおおがえし)」とは、賤ヶ岳の戦いの際に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が美濃国大垣(現在の岐阜県大垣市)から近江国木之本(現在の滋賀県長浜市木之本町)まで、13里(約52km)の道のりを5時間余りで駆け抜けた大掛かりな軍団移動のことである。 今回は、秀吉にとっては2度目の大返しとなる「美濃大返し」について解説する。 それまでの経緯 天正10年(1582年)6月2日、明智光秀の謀反・本能寺の変によって、織田信長とその嫡男で織田家当主の織田信忠が自害した。 敵討ちとなった山崎の戦いで光秀を討った羽柴秀吉は織田家家中で大