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ブックマーク / blog.tatsuru.com (12)

  • 学ぶ力 - 内田樹の研究室

    「学ぶ力」という文章を書きました。中学二年生用の国語の教科書のために書き下ろしたものです。が届いて、読んでみたら、なかなか「なるほど」と思うことが書いてあったので(自分で言うなよな)、ここに再録することにします。 中学二年生になったつもりで読んでね。 「学ぶ力」 「学ぶ力」 日の子どもたちの学力が低下していると言われることがあります。そんなことを言われるといい気分がしないでしょう。わたしが、中学生だとしても、新聞記事やテレビのニュースでそのようなことを聞かされたら、おもしろくありません。しかし、この機会に、少しだけ気を鎮めて、「学力が低下した」とはどういうことなのか、考えてみましょう。 そもそも、低下したとされている「学力」とは、何を指しているのでしょうか。「学力って、試験の点数のことでしょう」と答える人がたぶんほとんどだと思います。ほんとうにそうでしょうか。「学力」というのは  「試

  • コピペはダメだよ、について - 内田樹の研究室

    卒論を読んでコメントをつけて返すという仕事をしている。 疲れる。 ほとんど同じことをどの学生についても書いているからである。 「出典の書誌情報を明記しなさい」 この二年間、ことあるごとにゼミで言っているのだが、ほとんどの学生はそのほんとうの意味は理解していない。 それをたぶん「ズルをしてはいけません」という警告のように聴いているのだろうと思う。 「カンニングするな」とか「授業中私語をするな」とか「教室でカップ麺をべるな」というような注意と同列のものだと、たぶん思っている。 しているところを見つかったら叱られるけれど、見つからなければどうってことない、とたぶん思っている。 それでいったい誰が困るというのよ、とたぶん思っている(キムチ味のラーメン臭が教室に漂っていると、次の授業に教室を使うものは苦しむぞ)。 自己利益の追求を優先させることは悪いことではない、と教えられてきたからである。 自己

  • 「おせっかいな人」の孤独 - 内田樹の研究室

    鹿児島に行った話を書き忘れていた。 鹿児島大学におつとめの旧友ヤナガワ先生に呼ばれて、鹿児島大学が採択された教育GPの一環として、キャリア教育について一席おうかがいしたのである。 キャリア教育については、もし「労働のモチベーション」をほんとうに上げようと望むなら、「自己利益の追求」という動機を強化しても得るところはない、と私は考えている。 その話をする。 これについては、『潮』と『新潮45』の近刊にも書いているので、繰り返しになるが、私はこう考えている。 「仕事」には「私の仕事」と「あなたの仕事」のほかに「誰の仕事でもない仕事」というものがある。そして、「誰の仕事でもない仕事は私の仕事である」という考え方をする人のことを「働くモチベーションがある人」と呼ぶのである。 道ばたに空き缶が落ちている。 誰が捨てたかしらないけれど、これを拾って、自前のゴミ袋に入れて、「缶・びんのゴミの日」に出すの

    shozro
    shozro 2008/12/21
    研究室の掃除にはバイト代くらい請求してもいいかもしれない
  • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

    2024 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 2023 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre 2022 1月 - janvier 2月 - février 3月 - mars 4月 - avril 5月 - mai 6月 - juin 7月 - juillet 8月 - août 9月 - septembre 10月 - octobre 11月 - novembre 12月 - décembre

  • ショコラ・リパブリック言語論 - 内田樹の研究室

    学校に行く途中、二号線沿いにチョコレート屋の開店の看板が出ていた。 Chocolat Republic 「ショコラ・リパブリック」と読みながら、「変なの」と思った。 「チョコレート共和国」というのを英語で書くなら Chocolate Republic だろうし、フランス語で通すなら République du chocolat とかRépublique chocolatée(あ、これいいな「チョコレートフレイバーの共和国」)であろう。 どうしてこういうデタラメな表記をするのであろう・・・と学者にありがちな定型的な反応をしたあとに、いや待てよと思った。 「こういうデタラメな表記」がすらすらとできるのはもしかすると日人だけではないのか。 ある種の錯誤行為が「すらすらとできる」というのはあるいは能力の一種と言ってもよろしいのではないか。 そう思い至ったのである。 しかし、それは一体どのような能

  • 人生はミスマッチ (内田樹の研究室)

    リクルートの出している「RT」という冊子の取材が来て、「高校の先生に言いたいこと」を訊かれる。 中高の現場の先生には基的に「がんばってね」というエールを送ることにしている。 現場の教師の士気を低下させることで、子どもたちの学力や道徳心が向上するということはありえないからである。 現場の教師のみなさんには、できるかぎり機嫌良くお仕事をしていただきたいと私は願っている。 人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。 だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。 それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。 「気持ちよさ」は知識や技能を持っているので「まことに便利だ」という仕方で表現してもよいし、推論や想像で思考が暴走するのは「ぞくぞくする」という仕方で表現してもよ

  • 地球温暖化で何か問題でも? - 内田樹の研究室

    1年生のゼミで「地球温暖化」が取り上げられた。 地球温暖化を防ぐために、京都議定書の規定を守り、急ブレーキ、急発進を自制し、わりばしをやめてマイ箸を使いましょう・・・というような話を聴いているうちに既視感で目の前がくらくらしてきた。 「地球温暖化の原因は二酸化炭素の排出」と学生さんたちはすらすら言うけれど、温暖化と二酸化炭素のあいだの因果関係はまだ科学的には証明されていない。 というと、みんなびっくりする。 気象というのはきわめて複雑な現象である。 「バタフライ効果」という言葉で知られているように、北京で蝶がはばたきをしたことによる大気圧の変化が、カリフォルニアに暴風をもたらすことがある。 複雑系ではわずかな入力差に対して巨大な出力差が生じる。 この場合に「北京の蝶のはばたき」を暴風の「原因」と名づけることには無理があるだろう。 排ガスと温暖化の関係もそれに似ている。 池田清彦さんによると

    shozro
    shozro 2007/10/29
    ふと、これを思い出した。つhttp://q.hatena.ne.jp/1134788066
  • 三連休のはずだが・・・ - 内田樹の研究室

    明けて土曜日は学士会館で取材が二つ。 一つは旧友阿部安治くんの会社、教育開発出版株式会社の仕事で、教育問題について。 阿部くんはアゲイン店主石川 “針切りボーイ” 茂樹くんの青学仏文時代の友人の過激派文学青年で、私も二十歳頃からの長いおつきあいである。 夭逝したのみさぶーが「名前からして『治安』をひっくり返すんだから」と長嘆していたとおり、出版会社に入ってからも組合の委員長をやって経営者たちの心胆を寒からしめていたが、いつのまにかその会社の社長になっていた。 平川くんの跡を継いで、サンケイに「ビジネスアイ」というコラムを書いているので、名前をご存じのかたも多いであろう。 どうして子どもたちはこんなに学力が低下してしまったのでしょう? というインタビュアーの質問から始まって、1時間半ほど「学ばない子どもたち、働かない若者たち」の「モチベーションの崩壊」がどのようなダイナミックな構造をもって

  • 老いの手柄 - 内田樹の研究室

    Happy birthday to me〜 57回目の誕生日である。 まさか自分が57回目の誕生日に Happy birthday to me〜というような気の抜けた「行き場のないギャグ」を口にする老人になろうとは少年の頃には思いもしなかった。 人生というのは予断を許さぬものである。 私は16歳の頃に自分が57歳の時にどんなことを考えている人間になるのか想像もつかなかった。 想像がつかなかったのは、「57歳というのは、すごい大人だ」と思っていたからである。 16歳はガキであるから、ガキの想像力をもってしては57歳の爺の頭の中に渦巻く妄念や諦観や洞見についてはそれを忖度することはできるはずがないと思っていたのである。 そこらへんの考えの浅さがやはり16歳のガキである。 なんのことはない。 40年経っても、「がわ」が爺になっただけで、16歳の私はそのまま手つかずで残っているのである。 そういう

  • テレビの仕事 - 内田樹の研究室

    福田康夫と麻生太郎が生出演する「報道ステーション」を見る。 私はもともとテレビをまるで見ない人間なのであるが、「選挙速報」を甲野先生たちとわいわいツッコミを入れながら見たときに癖がついて以来、政治番組だけは一人でも見ている。 古舘伊知郎のインタビューを聴きながら、なんだか違和感を覚える。 彼は何か有用な情報を聞き出したいのか、それとも「質問してもきちんと答えない」様子を生放送で全国に放送したいのか、そこのところが私にはよくわからなかった。 相手が答えにくいような質問をして、その絶句するさまや、答えをはぐらかすさまから、その人の人物識見度量などを判定するということはたしかに可能である。 劫を経たジャーナリストの中には「それだけ」しかテクニックがない人(T原S一朗とか)もいる。 セレブたちが思いがけない質問に対応に窮するさまをみて視聴者が溜飲を下げるとか、爽快感を覚えるということもたしかにある

  • 格差社会って何だろう - 内田樹の研究室

    「格差社会」という言葉が繰り返し紙面に登場する。 格差がどんどん拡大しているから、これを何とかしなければならないという現実的な(あるいは非現実的な)さまざまの提言がなされている。 どなたも「格差がある」ということについてはご異論がないようである。 だが、私はこういう全員が当然のような顔をして採用している前提については一度疑ってみることを思考上の習慣にしている。 「格差」とは何のことなのか? メディアの論を徴する限りでは、これは「金」のことである。 平たく言えば年収のことである。 年収数億の人もいるし、数十万の人もいる。 とくに年収が低い階層のヴォリュームがこのところ急増している。 パラサイトシングルというのも、フリーター・ニートというのも、ネットカフェ難民というのも、過労死寸前サラリーマンも、要すれば「金がない」せいでそういう生活様態の選択を余儀なくされている。 そういう説明がなされている

  • 若者はなぜうまく働けないのか? (内田樹の研究室)

    CIRCUSという雑誌の取材がある。 お題は「どうして若者はうまく働くことができないのか?」 一方に引きこもったまま労働しない若者がおり、一方に過労で倒れそうな若者がいる。 いずれも「うまく働いている」わけではない。 どうしてなのか。 たしかに「どうしてなんでしょう」と訊きたくなる気もわかる。 お答えしよう。 これは複数のファクターの総合的な効果であるから、単一の原因を探してもダメである。 第一は働く個人の側の問題である。 『下流志向』で分析したように、労働を経済合理性の枠内でとらえると、労働者は自分の労働の成果に対して、「等価の」報酬が、「遅滞なく」、「固有名宛て」に給付されることを望む。 学生たちが知っている「work」の経験はさしあたり受験勉強と就活だけであるが、それはまさに、努力に対する報酬(成績や合否採否)が(成績発表、内定通知の日に)「遅滞なく」、努力にふさわしい評価として、固

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