タグ

ブックマーク / medt00lz.s59.xrea.com (12)

  • 理不尽にやると上手くいく - レジデント初期研修用資料

    ちょっと前、「ジューサーの中に金魚を入れる」という現代美術の展示があった。 ジューサーの中に金魚と水が入っていて、スイッチだけリモコンで、観客の側に置かれる。観客は誰もがそのスイッチを押すことができるようになっていて、「いつでも金魚を殺せる」という、その感覚が展示になっていた。 金魚の寿命を延ばすもの この展示で、実際にボタンを押せた人はたぶんいないのだろうけれど、これをたとえば、ジューサーに入れた金魚をインターネットで公開して、ネットの向こう側にいる誰もが、匿名のままそのボタンをクリックできるようにしておくと、誰かがボタンを押してしまう。多数決ルールを導入して、「ボタンを押した人が累計で10人を超えたら、ジューサーの電源が入ります」という看板を出しておくと、ボタンが押される閾値はますます下がる。 匿名ルールを廃して、たとえばTwitter のような、押した人をある程度トレースできるメディ

  • 努力には正しい方向がある - レジデント初期研修用資料

    どこかに就職したり、何か会社を興してみたりといった体験を持たない、生まれついての「プロの政治家」という人たち、 学校を出て、最初から政治家として活動して、努力した人たちが、そのまま最上階まで行ってしまうのは、恐ろしいことだと思う。 努力した人はしがみつく 何かの目的を持った人、目標を「これ」と決めて、それを実現するためのやりかたを考えた経験を持つ人は、 あらゆる場所が通過点になる。目標を達成したなら、たぶんまた別の目標が見つかって、やるべきことや、必要な資格なんかは、その都度変わってくるだろうから。 漠然と「努力」を重ねて、努力の「ご褒美」として、一番高い椅子を手に入れてしまった人には、もはや「上がりの先」を想像することができない。努力をもっとやろうにも、 そこにはもう、問題集とか、次のご褒美を用意してくれる誰かはいないから、先が見えない。 こういう人が頂点に座ってしまうと、今度はじゃあ、

  • 面白い物を生み出す仕組み - レジデント初期研修用資料

    出版社ごとの、文化というか、時間の流れかたについて。 原稿は忘れた頃にやってくる ずいぶん昔、所属医局で教科書を書くなんて話が持ち上がったときには、ずいぶんゆっくりとした流れだった。 企画書が回ってきて、分野ごとに担当執筆者が決められて、締め切りはたしか、3ヶ月ぐらい後だった。時間の流れかたは、締め切りが遠いとずいぶん速くて、「そのうち書こう」なんて思った原稿はそのままになって、最後の数週間、大いに慌てた。実際に「締め切り」が来て、原稿はもちろんそろわないから、それからまた、ずいぶん時間がたった。 原稿を書いたことすら忘れた頃、印刷物になった原稿が、手元に帰ってきた。みんなでそれに赤で訂正を入れて、たぶん訂正したのはそれっきりで、原稿はになった。 今でも時々、上の先生がたがを書く。やっぱり「忘れた」とか「忘れた頃に」なんて言葉は多くて、出版のペースは、そんなに変わっていないような気がす

  • 「学」は平凡に価値を付加する - レジデント初期研修用資料

    根拠なんてなくても、すごい技術を持っていればそれでご飯がべられるけれど、状況が変わったり、才能のある素人が業界を浸すると、技術は安く買いたたかれて、最後には業界が滅んでしまう。 業界の仕事が「学」として確立すると、平凡であることにも価値が生まれて、お金を取る根拠が生まれるのだと思う。 才能は買い叩かれる プロが「才能の無駄遣い」を発揮する場面が増えた。ニコニコ動画もそうなんだろうし、blog が増えて、専門家が自分の意見を書く場面が増えて、フリーライターの人たちなんかは、今はけっこう大変らしい。ある分野の専門家は、たぶん「書くこと」以外の仕事べているのだろうから、何かを書くことそれ自体は「才能の無駄遣い」であって、それは無償で為されることが多いから。 いろんな業界の「才能の無駄遣い」は、それを見せてもらうのははすごく面白いのだけれど、残念ながらそれは「無駄」であって「無償」が前提で

  • 大きなものの作りかた - レジデント初期研修用資料

    この1年ぐらい、自分なりに大きなものを作ってきて思ったこと。 何かやりたいこととか、明確な目的があって、そんな骨格に肉をつけていくように、一つのプロダクトが仕上がっていくことは、むしろ少ないんじゃないかと思う。プロダクトというものは、たぶん最初に「制限された迷走」を行う時期があって、目的とは無関係な制限に、膨らんだ発想がぶち当たるぐらいまで大きくなって、そこではじめて、目的みたいなものが見えてくる。目的が生まれて、価値のものさしが生まれて、膨らんだ何かは今度は削られて、一つの骨格に基づいたプロダクトというものが生まれるんだと思う。 何か「これ」というものを書く、作るときにはたぶん、「こうしたい」なんて漠然とした願望はあっても、実際問題作ってみないと、「こうしたかった」という、具体的な何かは見えてこない。 「こうしたかった」は、下手すると手を動かしている人にはついに見えることがなくて、「こ

  • 「下向き」の想像力について - レジデント初期研修用資料

    頭がいい人が、「上」に向かって想像力を働かせて、それまで誰も考えなかったようなサービスを作る方向と、 同じく頭のいい人が、「世の中には想像を絶する馬鹿がいる」という信念の下に、 カモをコントロールするやり方を模索する方向と、想像力には「上」と「下」みたいな方向性がある。 上向きの想像力が生み出すプロダクトはすばらしいけれど、世の中を回しているのは、 むしろ下向きの想像力なんだと思う。 振り込め詐欺のこと 振り込め詐欺の人達が使う手口はあまりにもあからさまで、どうしてあんなものに大勢が引っかかるのか 不思議でしょうがないけれど、あの人達の秘訣というのは、「たくさんの人に電話をかける」、 それが全てなんだという。 「普通」が好きな、常識的な人達は、たぶん「こんな話に騙される人が世の中にいる」、 そのこと自体を信じられない。信じられないから、そもそもああ言うことをやろうなんて思わない。 振り込め

    shozro
    shozro 2008/11/22
    洗脳搾取虎の巻!
  • 「無能な上司」という能力 - レジデント初期研修用資料

    「皇国の守護者」という、戦記物の小説を読んだ。 戦記物の常で、主人公は能力があるのに低い地位に甘んじていて、軍隊には、無能な上司があふれてた。 主人公が活躍するたび、「無能な上司」はそれを無視したり、足を引っ張ったり、 あるいは間違った判断を下すことで、主人公を不利な状況に追い詰めたり。 売れた小説というものは、多かれ少なかれ、社会の鏡として機能する。 この小説はずいぶん売れたみたいだから、「不遇な有能」である主人公と、 それを取り巻く「無能な上司」という構図に、自ら置かれている社会を見た人は、 きっと多いのだろうなと思う。 無能な上司のお仕事 小説世界、主人公はもちろん大活躍するわけだけれど、 その舞台を設営するのは、「無能な上司」の大切な仕事。 設営の条件は厳しくて、どうしようもない無能しかいない軍隊を設定してしまうと、 そもそも主人公が活躍するはるか以前の段階で、戦いが終わってしまう

  • レジデント初期研修用資料: 良心なんて最初から無かった

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 昔のお医者はやる気があったとか。内からほとばしらんばかりの良心にあふれてたとか。 爺医の人達のお茶のみ話。 よかった昔。医師は良心と奉仕、患者は慎みと公共心持ちよって、お互い美しい日々。 時代が代わって、医師は良心失って、患者は慎み無くして下品になって。 お互い大切な何かを失って、だからこそ医療はこれだけ殺伐としたなんて。 問題は全部現場のせいになって、司法とマスコミだけが高笑い。 最初は誰でも獣 良心とか道徳とかいう概念は、状況を説明するために事後的に付加された 考えかたであって、生得的に実装されている性質なんかではないのだと思う。 たとえば能は弱肉強ルールを叫んでいる状況で、実際には協調しながらの 行動のほうが都合がよかったり、目先の

  • できる人はみんな正装 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 社会的に成功した医師であるとか、たぶん多くの技術系の人達というのは、 みんな普段から正装しているか、あるいはその人の正しさを保証してくれる コミュニティを周囲に作って、いずれにしても外から見て「正しい格好」を保っている。 技術要素と営業要素 そろそろ社会に出てくる研修医の人達は、最初のうちはネクタイに背広、 それができないのならば、少なくとも清潔で、社会的に正しい格好を外してはいけない。 仕事には、技術的な要素と営業的な要素2つの側面があって、技術がすぐれているだけ、 営業が上手なだけ、どちらか一方だけでは絶対に成功しない。 両者はある程度までしか補間できない。 技術が足りないものは、どんなに営業したところで結局売れないし、 どんなにすぐれた

  • ムカデの足は考える - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 互恵的利他主義について、もう少しだけ。 ムカデという生き物は、文字どおり無数の足を持っていますが、 実に効率よく、すばやく動きます。 あの足の動きを中枢だけで制御するのは無理です。制御に要する計算量は、 足の数だけ増えてしまい、足が100を越えたあたりで限界が来るでしょう。 昆虫は、恐らくはそれぞれの足ごとに簡単な反射弓を持っていて、 それぞれの足は、足が観測した情報だけで、その足の行動を決定しているといわれています。 MIT で作られたムカデ型のロボットは、各足ごとにサーボとCPUとを備えていました。 それぞれの足は簡単な反射弓だけで制御されており、ロボットには中枢神経に相当するものが 何ら実装されなかったにもかかわらず、 このロボットは

  • レジデント初期研修用資料 知的っぽいけれど知的でない

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります ネット世界には、知性のスカウター振り切っちゃってるような人たちと、それ以外の大勢と。 残り99% の「それ以外」が上位1% の物のふりをして、知的を擬態するときのやりかたとか。 「それ以外」にとって知的とは何か 知的は眼鏡をかけている。難しそうなを読んで、英語を話すこともある。 静かに語り、よく笑い、たまにオルガンを弾いたりする。 世の中の大部分を占める「それ以外」は、知的であるということを、 瑣末な記号の集積として理解する。 当に知的な人にとっては、「知的であること」は結果。 「そうでない人」にとって、知的であるということは、 中身の問題ではなくてスタイルの問題。 結果を目的化した時点で、それはまがい物なんだけれど、 それを評価する

  • 寝たきりの人にとって自然とは何か - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 痴呆が進んでしまった人というのは、事が事として認識できなくなってしまったり、 あるいは嚥下障害がひどくなってむせ込んでしまったりして、事が口から取れなくなる。 老健施設では責任問題になってしまうから、事ができない人に対して 「何もしない」という選択はとれない。何かしないといけないから、 こんな人は「何とかして下さい」という依頼で病院にやってくる。 老衰の人、特に90歳にもなるような人というのは、事をしないだけで、基的には元気。 病院としては、病院内で感染症を拾う前に何とか返したいのだけれど、 「何とかする」まで施設は引き取ろうとしない。 家族に相談しても、答えは同じ。「何とかして下さい」。 売り言葉には買い言葉。 結局こんな人には

  • 1