タグ

ブックマーク / fxmc.hatenadiary.org (23)

  • 「最近のラノベ」論のために「昔のラノベ」を語る(90年代富士見主人公論) - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    「最近のラノベ」は学園ラブコメでハーレムばかりだ! という話を聞きます。 「最近のラノベ」は異世界ファンタジーでハーレムばかりだ! という話も聞きます。 どっちやねんw いっそ両者でとことん論争していただけないでしょうか。ハーレム属性のとくめー的にはどっちが正しくても万々歳です。 この認識のズレは、単なる時間軸のずれで。00年代後半から現在まで、ラノベのメインストリームは、美少女ゲームベースの学園モノのラブコメor現代伝奇路線で、それに取って代わりつつあるのが、ネット小説ベースのゲーム的な異世界ファンタジーである……という現状の反映ですな。 もちろんラノベの中には、学園も、異世界も、それ以外の傍流路線もあるわけですが。今年、2015年の時点では、最大勢力は"まだ"学園だと思います。アニメを見ても、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』の2期も『ハイスクールD×D』の3期もありました。俺

    「最近のラノベ」論のために「昔のラノベ」を語る(90年代富士見主人公論) - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • 水野良『ロードス島戦記 灰色の魔女(新装版)』その2:作品論 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    さて。歴史的背景はそんなところにしておいて。作品の内容を語ることにしましょうか。 とりあえず、主人公パーティーの話から。 PTは6人編成、多いですね。Wizardryが標準6人であるように、古いRPGのパーティー。ラノベだと、この規模のPTで思いつくのは、同様に古いRPGの流れを汲むフォーチュンクエストくらい。後の漫画やラノベでは、PT人数は4人程度で落ち着きます。それより多くなると色々理由をつけてふるい落としを。 主人公の名はパーン。後に自由騎士として名を馳せる彼も、物語開始時点では血気盛んな一介の剣士でしかありません。友人のエト(神官)を巻き込んで、ゴブリンの棲家に突貫し、半死半生になるくらい。若さを持て余す青年が、己の使命を見出すまで…というのが、この小説のひとつの筋です。 対になるのが、盗賊のウッド・チャック。青年期を獄中で棒に振った彼は焦っています。盗賊という職業からも正当な評価

    水野良『ロードス島戦記 灰色の魔女(新装版)』その2:作品論 - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • 水野良『ロードス島戦記 灰色の魔女(新装版)』その1:史的背景 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    『ロードス島戦記』は、言わずと知れたライトノベルの古典です。 のちにライトノベルと呼ばれることになる「視覚要素を重視した青少年向け文庫書き下ろし小説」が、独自の読者層とプロパー作家*1の抜擢・育成システムを確立し、ジャンルとして自立し始めたのが80年代末から90年代初頭のこと。*2 その過程において重要な作家としては、まず、水野良・神坂一・あかほりさとるの3人を挙げるのが妥当でしょう。 水野良は、日へのRPGの導入を牽引した団体のひとつ――グループSNEの主要メンバーです。ただし、彼らが広めたRPGは、ドラゴンクエストのようなコンピュータゲームではありません。ドラクエの原型になったウィザードリィやウルティマのそのまた起源、シナリオをGM(ゲームマスター)という主催者が語り、戦闘判定をサイコロ(ダイスと呼ぶ)で行う、実にアナログなテーブルトークRPGというゲームです。 テーブルトークRPG

    水野良『ロードス島戦記 灰色の魔女(新装版)』その1:史的背景 - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • 「人間が書けていない」の小論 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    に:人間が書/描けていない(にんげんがかけていない)<慣用表現> ある種の創作物に対して投げかけられる定型的な否定の表現。 とくに槍玉に挙げられるのは、(ハード)SFや(格)推理小説である。 「小説」という単語自体が、天下国家を論じる「大説」に対して、人間描写を重視したもの(→坪内逍遥・魯迅など)として成立したという歴史的経緯からすれば、「人間を書く」というのは小説の存在意義そのものであり、小説に対して「人間が書けていない」と否定するのは単純に「小説として出来が悪い」と言っているに等しい。つまり、これは批評の用語というより、罵倒か呪詛と認識した方が実態に近い。 にも関わらず、このフレーズがまるで呪いのようにSFや推理小説を責め苛むのは、これらのジャンルには、そう評するほかない「人間描写の希薄かつ稚拙な作品」が、実際に珍しくないからである。 理由としては、(ハード)SF・(格)推理小説

    「人間が書けていない」の小論 - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • ライトノベルとはアニソンと見つけたり。 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    みかづきさんの作品について云々しようといろいろ考えていたら、ライトノベルの構造ってアニソンのそれとよく似ているんじゃないか、という仮説を思いつきました。 短編集とか、巻末が続きになってる奴とかでなく、1巻で一区切りのタイプのラノベは、だいたい以下のような構造を持っています。 前奏(プロローグ)でサビ(クライマックス)のさわりを見せておく。 わりと穏やかなAメロ。背景では主要キャラが顔見せしてたり。(日常描写と設定・キャラ紹介)、 Aメロを不安定にしたようなBメロでサビに繋ぐ。(“日常”の変容、“異変”の始まり) 最後はサビ(クライマックス)を盛り上げるだけ盛り上げる。コンサートならシャウト。 んで、サビの終了は、すなわち日常の回復・新たな日常の始まりを意味する――と。 これがライトノベルの模範的な構造というものです。 長さのバランスも、アニソンと同じような形が望ましいと思います。前奏:Aメ

    ライトノベルとはアニソンと見つけたり。 - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • とくめーはいつもえらそうだ - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    えー、年度末から4月にかけては人の入れ替わりとかで忙しく、体調不良もありまして、仕事読書以外なんもする気力と余裕がないという状態でした。とくめーさんの中の人が、職場では善良で後輩に優しい好青年だといったら、皆さん信じますでしょうか。オタクにはありがちな二重人格というやつですねっ。 その間、読むだけはいろいろ読んだのですが、美少女・二次元とも、いつものノリ(手のかかるヒロインと難儀な主人公)のわかつき女史をのぞくと、4冊まとめてネタまみれな代物で、5冊に1冊あればいいものを4発まとめてらったとくめーさんは頭を抱えたい気分でした。 えー、真面目な御の話をしてもしかたがないし、エロ漫画のあたりも引かなかったので、ライトノベルの話でもしましょうか。 3月のラノベ界隈(ハーレム路線)のいちばんめでたい話は、阿智太郎『陰からマモル!』が完結したことでしょう。 個人的に、阿智太郎という作家の評価は

    とくめーはいつもえらそうだ - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • ハーレム系作品史補章 1995 エヴァ/奇跡的な失敗作 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    月刊のはずが隔月になりつつあるハーレム系作品史。 前回(1月)・前々回(11月)のテーマは『天地無用』、「テレ東6時台角川アニメ」です。95年第2・第3クールの『天地無用』『スレイヤーズ』に続く、角川の第二次攻勢は、95年第4クールからの『爆れつハンター』及び『新世紀エヴァンゲリオン』。あえて『爆れつ』という肩透かしも魅力的ですが、あかほりさとるのことはいずれ『サクラ大戦』で触れるはずなので、素直に『エヴァ』について語ります。 エヴァ自体は直接的にハーレム系作品とはいえない(でもハーレム的な読み方もできちゃうのは無視できない要素だったり)のですが、これを踏まえないと95年以降のオタク文化が語れないので。いまさらエヴァについて語る以上、ハーレム系作品史という観点と絡めて、ちょっと切り口の違ったアプローチをするつもりです。……また「補章」だ。 まず、皆さん誤解されているようなのですが。 エヴ

    ハーレム系作品史補章 1995 エヴァ/奇跡的な失敗作 - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • ダメクライマックス - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    物語が終盤に近づくにつれ、どんどん駄作になってしまう作品というのが存在する。 1つのパターンは、このブログに何度も来てくれている方、ハーレム小説リンク集をブックマークに登録してくれている方なら、誰もが実感しているであろうモノである。 すなわちハーレムラブコメの非ハーレムエンド。典型例は『らぶひな』。 昔々のラブコメといえば、主人公―メインヒロインという関係が絶対的に存在し、サブヒロイン(嫉妬深くタカビーなライバルキャラなど)は全面的にそれに奉仕する役目、すなわち予めフラれる(or恋愛対象にならない)ことが前提とされていた。 しかし、この状況は90年代には覆されることとなる。『同級生』や『ときメモ』や『ToHeart』などが代表例といえるだろうが、ゲームという媒体から、マルチシナリオ構造を持った恋愛物語が登場したからだ。そこでは、サブヒロインは、独自のシナリオと、主人公と結ばれる可能性を持つ

    ダメクライマックス - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • 『15×24』が売れない理由を一言で言おう。 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    新城カズマの『15×24』がライトノベル読者に受け入れられないたった一つの理由。 「ライトノベル」ではなく「ジュブナイル」だから。 「ジュブナイル。最近聞かない言葉ですね。ライトノベルとどう違うんですか? とくめーさんの定義だと」 「ジュブナイルってのは、80年代に流行った中高生向けの娯楽小説教育小説みたいなジャンルだ(追記:対象年齢は小学校高学年くらいからと言った方が正確かなあ)。眉村卓や新井素子といったSF畑の作家が手がけたもの(主に中心はハヤカワ)(訂正:むしろSFジュブナイルならむしろソノラマあたりをあげるべきか)と、赤川次郎や宗田理といった筆の早い一般小説作家が手がけたもの(主に中心は角川)の二系列がある。どっちも最近は、児童文学として再版されたりしてる。ハヤカワソノラマあたりの派手なガジェットに、角川のメディアミックス大好きな編集方針が合わさると、今のライトノベル業界に繋がる

    『15×24』が売れない理由を一言で言おう。 - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (1) - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    2010年です。ゼロ年代が終わりました。やったーっ!! にも関わらず、とくめーはいまだ90年代に引っかかってます。90年代のオタク文化に関しては、「ちゃんと語られていないこと」「忘れられてしまっていること」があまりに多いんですよ。ハガレン以前の少年ガンガンについてもそうですし、そのガンガン作品やランスシリーズ、スレイヤーズなどのラノベといった“90年代RPGパロディブーム”などについても、ゼロ年代FTパロ(ゼロ魔・ネ実組)と合わせて、いつかちゃんと語りたいところです。 ゼロ年代の十年間で、80年代サブカル文化に関する記録や研究がいろいろ出てるんで、90年代については10年代の十年間で回顧されると思うのですが、「90年代はエヴァとセカイ系の時代だった」みたいな語られ方はいい加減勘弁してほしいものです。 近年のオタク文化エヴァを起点に語るとき、エヴァ以前――90年代前半のことは視点から抜け落

    ハーレム系作品史1996 サクラ大戦/語られない90年代 (1) - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • ゼロ年代埋葬試論 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    2010年も8月になりました。保管庫の仕事はやっとこさスレッドに追いつきました。 既に当雑記で何度も述べているように、とくめーにとって決してよい時代とはいえなかったゼロ年代は終わりました。そろそろゼロ年代を、そして90年代を総括しなければいけない時期です。 「ゼロ年代」の作品群の特徴を、宇野常寛は「決断主義」だとか「サヴァイブ」だとかいう単語でまとめています。決断を回避して引きこもる90年代の「セカイ系」に対して、ゼロ年代は他者を傷つけてでも行動する「決断主義」の時代だった、と。 「セカイ系」だとか「決断主義」だとかいったカテゴライズができる作品群や流れの存在は、私も認めてます。けれど、それ以上に、そういう極端な作品ばかりを取り立てて重要視するのは、評論家やブロガーの偏見だとも思っています。 オタク文化における男の子と女の子の関係の流は、セカイ系の「女の子を守れない男の子の話」でも、決断

    ゼロ年代埋葬試論 - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • 少年ガンガン20年史 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    が:少年ガンガン<名> 現スクウェア・エニックス(合併以前はエニックス)から発売されている少年誌。 驚異的というべき漫画家の育成能力を活かした、「鈍器」とすら呼称される分厚い誌面で知られている。 ゲーム部門が伝統的に集英社と縁が深いことからくる王道少年漫画路線と、90年代中頃に独自の地位を築いたサンデー的/少女漫画的なほのぼの路線の二つの路線を内包していて、両者の対立は、編集者及び漫画家の独立闘争にまで到った。ほか、ドラクエ4コマ劇場以来の「反逆の伝統」も特筆すべき作品傾向である。 代表的な連載作は『魔法陣グルグル』『鋼の錬金術師』。その歴史はこの2作を基準点として、グルグル以前のロト紋・パプワ時代、グルグル時代、両作品の中間期である月天時代、ハガレン時代、ハガレン以降の5期に分けられる。 ロト紋・パプワ時代 創刊時のガンガンの看板作は『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』(91-97)。(

    少年ガンガン20年史 - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • ファンタジーという四つ首の龍 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    ジャンル小説というのもいろいろあるけれど、「ファンタジー」ほどつかみどころのない“ジャンル”はそうそうないと思う。 境界線論争始めるとキリがないジャンルとしては「ミステリ」なんてのが目立つけれど、ミステリとその周辺ジャンルなんて、たどっていけばだいたい乱歩か清張にたどり着く。外の境界線は定かではないが、中の核は明確だ。「SF」なら70年代頃の翻訳・同人関係者が作っていたコミュニティ。「歴史小説」なら、まあ吉川・司馬。「時代小説」なら捕物帖まで遡らずとも、池波・藤沢あたりの名前を挙げておけば、とりあえず問題ないだろう。 「ファンタジー」の共通の祖は? というと、これはもうJ・R・R・トールキンまで遡らないといけない。 日国内で「ファンタジー」という看板をつけられている作品は、だいたい4つの系統に分けられてしまう。 ハードカバーやハヤカワ・創元の“海外文学”系 図書館の児童コーナーでよくお目

    ファンタジーという四つ首の龍 - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • ハーレム系作品史 1992 天地無用!の必"要"性 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    えー、11月中にはやるというお話の、ハーレム系作品史『天地無用』の話。 とくめーにはとにかくそのとき出せる情報を全部叩き込まねば気がすまないという悪癖がありまして。アニメ史的な位置づけに注目して語っていったら、8kb。4000文字ぐらいの長文になってしまいました。 前回の『GS美神』のことはきれいさっぱり忘れて、先々月の『うる星』のアニメ版の話に戻りましょう。結局のところ。押井守は『うる星』を途中降板しています(84)。原作者との軋轢や映画版作成に伴うスケジュールの混乱など、好き放題の責任を取らされた。80's中頃から、地上波アニメでは、製作者の暴走が以前ほど許されなくなりました。たとえば富野なら『Zガンダム』(85-86)の次作が、暗いのダメよという会社の意向で『ガンダムZZ』(86-87)、その後しばらく地上波を離れていたり。 当時、漫画界で異常な強さを誇っていた集英社と、その相方であ

    ハーレム系作品史 1992 天地無用!の必"要"性 - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • ハーレム系作品史 1991 GS美神 極楽大作戦!! - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    前回紹介作の『うる星やつら』が実際にはハーレム作品ではないという結論だったので、今回がハーレム系作品史の事実上の編第1回ということになります。なにを語るかといえば、『うる星』路線をかなり強く継承した作品である『GS美神』です。連載開始は91年でOVA『天地無用! 魎皇鬼』(92-)よりわずかに早い。だからといって、『GS美神』を「いちばん最初のハーレム作品」に認定するつもりはありません。ってーのは、『GS美神』がハーレム系の方向性を示すのは中盤以降、92年になってからの話だからです。 もともと、椎名高志は「短編の名手」として漫画界にデビューしました。その頃の作品は『(有)椎名百貨店』の名でまとめられています。GS美神の初期エピソードも、『椎名百貨店』に、あるいは『うる星やつら』に近い“短編連作”形式です。 諸星あたる系列のスケベキャラである横島忠夫が、ボディコンイケイケ霊能力者美神令子の

    ハーレム系作品史 1991 GS美神 極楽大作戦!! - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  •  ハーレム系作品史 1978 うる星やつらはハーレムか? - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    ええ、ハーレム小説リンク集管理人、とくめーです。 5000PV/dayのリンク集とか取り回している以上、うん、まあ、一応この方面について極めて数少ない専門家の一人を名乗らせていただくことにいたします。 世間様というか評論家様の間では、どうにもこの手の作品は低俗なモノとして軽視される傾向が強く、文壇方面での言及とかはっきり言って全くもってなっていないので、私ごときが駄文を連ねることにも、それなりの意味があったりするのではないでしょうか。 というわけで、これから時間をかけて(とくめーは遅筆だ!)タラタラと気まぐれにハーレム系作品について語っていきたいなあなどと思うのです。 通説的には、ハーレム系作品の祖は『うる星やつら』(78-86)だということにされています。少なくとも新城カズマ『ライトノベル「超」入門』(06)なぞではそう言われている。経歴と作風からして、アレが願望充足的なエンタメ路線につ

     ハーレム系作品史 1978 うる星やつらはハーレムか? - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • オタクの本当の危機 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    近年のライトノベルってかオタク文化全体の状況として、当にヤバいのはコンテンツの消費速度の加速だと思うのですよ。 ゴジラは50年保つコンテンツだったわけじゃないですか。ウルトラマンやライダーもこのままいけば50年くらいもちますよね。ガンダムは既に30年オタクの共通認識であり続けてる。 そういう神話世界の人たちを挙げなくても、第三世代オタクの一部はエヴァで10年以上遊んでいます。Kanonが今年で10年ですか。あかほりが関わったものでいえば、サクラ大戦が「10年戦えるコンテンツ」ですな。 ……いまの作品に、それだけの力があるのがいくつあるかな。あるいは、今の世代のオタク、第四世代の人たちが、一つの作品の記憶を10年も大事に抱えていられるかな。萌えキャラは量産されてますが、10年はちと厳しいにしても、5年付き合える娘さんはどんだけいます? 10年どころか、1年、半年で(つまりコミケごとに)、業

    オタクの本当の危機 - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • 前島賢『セカイ系とはなにか』/「私たち」ではなく「彼ら」の歴史 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    前島賢『セカイ系とはなにか』、もう少し落ち着いて再読。 所感は変わらず。私は前島さんと同じ「オタク第三世代」なんだけど、「私たち」の話でなく「彼ら」の話としか読めなかった。 『セカイ系とは何か』で語られていたのは、『エヴァ』に始まる、自意識を持て余す製作者と読者の話。その持て余した自意識が、悩める非力な主人公とか、メタ言及的な作品とか、作品に過剰に自己投影した評論になってあらわれてくるっていう。 流れとしてはよくできていた。「彼らの歴史」としてはよくまとまっていたと思う。 でもさ、私はそれを「オタク歴史」とは認めたくない。何度もいってるように『Fate』と同じくらい『ToHeart2』だって売れた。『ToHeart2』や他の学園モノエロゲの名と、それを買っていたオタクの姿が、この「オタク史」には存在しない。 わかりやすく、おねかのえあの例を挙げてみましょう。この3作でいちばんの人気作は『

    前島賢『セカイ系とはなにか』/「私たち」ではなく「彼ら」の歴史 - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • 前島さんの『セカイ系とはなにか』を入手 - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    前島さんの『セカイ系とはなにか』を入手。パラパラと流し読み。 なんていうか、こういう90年代観が「正史」になったらいやだなあと常々危惧していた歴史認識。「90年代はエヴァの時代だった」的な。よくまとまってるから、なおさらイヤ。 たしかにこういう流れはあるんだけど、それはオタク流ではなくてあくまで評論界隈の狭い世界の話。前島さんを含めた「自意識を語る少数人」をベースに「オタク」を論じるという典型的な「立脚点の誤り」が見られる。『ポスト・エヴァオタク史』というサブタイがついてるけど、実態は『ポスト・エヴァオタク評論史』程度のものだと思う。 前島さんも、その前提となる論者たちも、最終兵器彼女―イリヤ―ほしのこえ的な「女の子を守れない/女の子に守られる」フィクションの存在を過大評価してるけど、オタク文化における美少女と主人公(キミとボク)の関係性の流は、『天地』から『ゼロ魔』『禁書』まで

    前島さんの『セカイ系とはなにか』を入手 - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • 碇シンジでは夜神月は止められない。だが―― - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    21日付エントリで、私は、90年代的「萌えオタのルール」「セカイ系のルール」と00年代的「中二病のルール」を、図表化して対比してみました。 どういう「意味」を持つのか整理できてない、と21日には書いたけれど、こうやって図にしてみると、多少いろいろなものが見えてきます。それをちょろっと書いてみましょう。 『ゼロ年代の想像力』のテーマに対する、とくめーの回答みたいなエントリになってしまいました。 90年代的なものとゼロ年代的なものを比較する(09,06/22版) 90年代的作品の傾向 ゼロ年代的作品の傾向 ムーヴメント 90年代葉鍵系ブーム 90年代セカイ系ブーム 00年代異能バトル系諸作品 原風景 能天気な80年代 バカ騒ぎのバブル バカ騒ぎのバブル 暗い90年代 暗い90年代 空虚な00年代 ベースとなった文化 サンデー・少女漫画 アニメ・ブンガク ジャンプ・新格 ファンの世代 オタク

    碇シンジでは夜神月は止められない。だが―― - とくめー雑記(ハーレム万歳)