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アイヌとヨーロッパに関するskam666のブックマーク (5)

  • 日本という謎の国に来たら、そこに別の謎の民族がいた | フランス人アイヌ研究者独占インタビュー(1)

    アイヌに出会うまでの細道 ──どのような経緯でアイヌに関心を持ったのですか? まず日に関心を持ち、それからアイヌに関心を持ちました。 日に興味を持ったのは、父方の祖母の影響です。映画好きの祖母が三船敏郎のファンだったんです。それでフランスのテレビで黒澤明の作品が放送されるときは祖母と一緒に見ていました。 『羅生門』を見たときの衝撃はいまでも覚えています。突然、私の目の前に日という不思議な国の景色が広がりました。 人生で初めて見た日人がおそらく三船敏郎だったのだと思います。いい役者ですよね。ハンサムだし、野獣みたいなところもあります。『羅生門』の三船を見て、まだ幼かった私はおっかなくて震えあがりました。 それから12歳になった頃、日というお寺が多い神秘的な国があると友人に話していたら、その友人が中学校の図書館から三島由紀夫のを借りてきて私に貸してくれました。 それが『金閣寺』でし

    日本という謎の国に来たら、そこに別の謎の民族がいた | フランス人アイヌ研究者独占インタビュー(1)
    skam666
    skam666 2020/09/16
    “フランス人から見たアイヌの魅力とはなにか。 博士論文「日本におけるアイヌの社会文化的変容」で、第35回(2018年度)「渋沢・クローデル賞」のフランス側受賞者となったリュシアン=ロラン・クレルク氏”
  • 海外マンガの人々―セバスチャン・リュドマンさんインタビュー | ComicStreet(外漫街)

    海外マンガの仕事に関わる人物を紹介する「海外マンガの人々」。今回ご紹介するのは、日で生活しながら、日のマンガをフランス語に翻訳する翻訳家として活躍中のセバスチャン・リュドマンさん。2018年、フランス語に翻訳された日マンガを対象に小西財団漫画翻訳賞が新たに創設されましたが、リュドマンさんはその記念すべき第1回グランプリに輝きました。 250巻!? すごいですね! そもそもリュドマンさんは、どんなふうに日や日文化と出会ったのでしょう? マンガは小さい頃から読んでいたんでしょうか? 実は、日文化を知ったのは、大学生になってからなんです。 大学1年のときは、主にドイツ語英語を学び、それ以外に中国語を選択していたんですが、その後、なんとなく日語を学ぶことになりました。 僕はもういい年なんですが、僕の小さい頃には日のマンガはまだフランスの書店に並んでいませんでした。大学生になって、

    海外マンガの人々―セバスチャン・リュドマンさんインタビュー | ComicStreet(外漫街)
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    skam666 2019/03/09
    『ゴールデンカムイ』仏語訳者氏インタビュー
  • 社会ニュース:どうしん電子版(北海道新聞)

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    skam666 2017/02/08
    “ドイツの民間学術団体「ベルリン人類学民族学先史学協会(BGAEU)」は2日、アイヌ民族の遺骨を6体保管していることを明らかにした。うち1体は19世紀後半に札幌周辺で盗掘されたものと認定し、返還すると決めた”
  • アイヌ遺骨:返還に壁、独研究140年の歴史 | 毎日新聞

    当時ウィルヒョウが描いた頭骨のスケッチのコピー=ベルリンで2016年7月6日午前9時59分、中西啓介撮影 【ベルリン中西啓介】ドイツで見つかったアイヌ民族の遺骨について、北海道アイヌ協会は返還を求める方針だ。だが、ドイツ側は「不適切な収集」の裏付けなどが必要だとの考えだ。長年放置されてきた遺骨の調査には、140年以上という歴史の壁が立ちはだかっている。 「不適切収集」の証明必要 ベルリン中心部の国立図書館に19世紀発行の民族学誌が収蔵されていた。すり切れた布張りの表紙を開くと、アイヌの頭骨のイラストが次々と現れた。 執筆したのは、ベルリン大教授のルドルフ・ウィルヒョウ(1821〜1902年)。細胞病理学や人類学の礎を作った「権威」だ。

    アイヌ遺骨:返還に壁、独研究140年の歴史 | 毎日新聞
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    skam666 2016/08/09
    “ドイツで見つかったアイヌ民族の遺骨について、北海道アイヌ協会は返還を求める方針だ。だが、ドイツ側は「不適切な収集」の裏付けなどが必要だとの考え”
  • アイヌと共に生きた男 ニール・ゴードン・マンロー 《前編》 [Neil Gordon Munro] - Onlineジャーニー

    アイヌと共に生きた男 ニール・ゴードン・マンロー [前編] 20世紀前半、日でアイヌ人たちの保護に人生を捧げた 一人のスコットランド人がいた。 彼の名はニール・ゴードン・マンロー。 考古学への興味から来日するが、 アイヌ先住民との不思議な縁が彼のその後の運命を決した。 「アイヌの皆の様に葬ってくれるね」と言い残し 北海道の地に没したマンローの生涯を辿りながら、 彼がこれまで正当に評価されることなく 日の近代史に埋もれていた理由なども、 マンロー生誕150周年を機に探ってみたい。 © Fosco Maraini 参考文献: 『わがマンロー伝―ある英人医師・アイヌ研究家の生涯』桑原 千代子著・新宿書房刊、 『N.G.マンローと日考古学』横浜歴史博物館編纂ほか 2013年春、横浜歴史博物館で、ある特別展が開かれた。タイトルは「N・G・マンローと日考古学 ―横浜を掘った英国人学者」。ス

    アイヌと共に生きた男 ニール・ゴードン・マンロー 《前編》 [Neil Gordon Munro] - Onlineジャーニー
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    skam666 2013/07/07
    “アイヌ人たちの保護に人生を捧げた一人のスコットランド人がいた。彼の名はニール・ゴードン・マンロー(略)正当に評価されることなく日本の近代史に埋もれていた理由などもマンロー生誕150周年を機に探ってみたい”
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