真珠湾攻撃と南雲忠一(下)【連載】赫き群青 いま問い直す太平洋戦史(7) 真珠湾攻撃において機動部隊は、戦果拡大を目指し、さらに第3次攻撃隊を編成し、ドックや石油タンクなどの米軍地上施設を破壊すべきではなかったか、の議論がある。これを支持する論者は、ハワイ近海から急ぎ避退した南雲の采配を臆病で退嬰(たいえい)的だったと批判する。 その当否を論じるには、南雲に下された命令の内容を正しく把握する必要がある。昭和16年11月5日、連合艦隊司令長官が機動部隊に下した命令は「米国艦隊を撃破シ」(機密連合艦隊命令作第1号)とあり、これを受け機動部隊が定めた作戦方針も「在布哇(ハワイ)敵艦隊ニ対シ奇襲ヲ決行シ之ニ致命的打撃ヲ与」え、「空襲終ラバ機動部隊ハ速ニ敵ヨリ離脱シ」(昭和16年11月23日付機密機動部隊命令作第1号)とされ、敵の地上施設攻撃は含まれていない。
![真珠湾攻撃、適切だった追撃見送りの判断 | オピニオンの「ビューポイント」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/99cebdf5bfef28ebc9d4062fc29d7359a5bde00a/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fmedia.vpoint.jp%2Fwtview%2Fwp-content%2Fuploads%2F2022%2F01%2Ftaiheiyo220108.jpg)