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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (9)

  • 新美南吉 ごん狐

    これは、私(わたし)が小さいときに、村の茂平(もへい)というおじいさんからきいたお話です。 むかしは、私たちの村のちかくの、中山(なかやま)というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐(ぎつね)」という狐がいました。ごんは、一人(ひとり)ぼっちの小狐で、しだの一ぱいしげった森の中に穴をほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って芋をほりちらしたり、菜種(なたね)がらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家(ひゃくしょうや)の裏手につるしてあるとんがらしをむしりとって、いったり、いろんなことをしました。 或(ある)秋(あき)のことでした。二、三日雨がふりつづいたその間(あいだ)、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。 雨があがると、ごんは

  • 河口慧海 チベット旅行記

    チベットは厳重なる鎖国なり。世人呼んで世界の秘密国と言う。その果たして然(しか)るや否やは容易に断ずるを得ざるも、天然の嶮(けん)によりて世界と隔絶し、別に一乾坤(けんこん)をなして自ら仏陀(ぶっだ)の国土、観音の浄土と誇称せるごとき、見るべきの異彩あり。その風物習俗の奇異、耳目(じもく)を聳動(しょうどう)せしむるに足るものなきに非(あら)ず。童幼聞きて楽しむべく、学者学びて蘊蓄(うんちく)を深からしむべし。これそもそも世界の冒険家が幾多の蹉跌(さてつ)に屈せず、奮進する所以(ゆえん)なるか。 余(よ)のこの地に進入せしは勇敢なる冒険家諸士に倣(なろ)うて、探検の功を全うし、広く世界の文明に資せんとの大志願ありしに非ず。仏教未伝の経典の、かの国に蔵せられおるを聞き、これを求むるの外、他意あらざりしかば、探検家としての資格においては、ほとんど欠如せるものあり。探検家として余を迎えられたる諸

  • 喜田貞吉 憑き物系統に関する民族的研究 その一例として飛騨の牛蒡種

    ここに憑き物系統とは、俗に狐持・犬神筋などと言われる所謂「物持筋」の事である。これがもし昔時の或る術を修得した暦博士や陰陽師の徒の、任意に識神(しきじん)を使役すると信ぜられたものの様に、その個人限りが有する一種の不可思議力であったならば、そこに系統も糸瓜(へちま)もあったものではない。この場合もしその術を何人にも伝える事なくして、その人が死んでしまった時には、その術はその人の死とともに永く世に失われてしまって、よしや血を分けた子孫がそこに幾らも存在していても、全くその術からは無関係な、ただの人間になってしまうのである。算木(さんぎ)一つの置き方で人を笑い死ぬまで笑わせたり、お座敷の真ん中に洪水を起して、畳の上で人を溺らせたりした様な恐ろしい奇術者も、僅かに今昔物語や吾鏡にその霊妙なる放れ業の記事を止めているのみで、後世その伝説が全く失われてしまったのはこれが為である。しかしこの様な技能

    skam666
    skam666 2015/12/21
    “ 国そのものが山間にあるところの飛騨において、しかもさらにその山間の或る一地方には、牛蒡種(ごんぼだね)と呼ばるる一種の系統が今も認められているという”
  • 作家別作品リスト:喜田 貞吉

    公開中の作品 安達ヶ原の鬼婆々(余白録) (旧字旧仮名、作品ID:55415) 「あばた」も「えくぼ」、「えくぼ」も「あばた」 ――日石器時代終末期問題――(新字新仮名、作品ID:49788) 石上神宮の神宝七枝刀 (新字新仮名、作品ID:49790) 遺物・遺蹟と歴史研究 (新字新仮名、作品ID:49791) 牛捨場馬捨場 (新字新仮名、作品ID:54853) エタ源流考 (新字新仮名、作品ID:54437) エタと非人と普通人 (新字新仮名、作品ID:54436) エタに対する圧迫の沿革 (新字新仮名、作品ID:54426) 「エタ」名義考 (新字新仮名、作品ID:54441) 蝦夷とコロボツクルとの異同を論ず (旧字旧仮名、作品ID:50754) 遠州地方の足洗 (新字新仮名、作品ID:54435) 奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 (新字新仮名、作品ID:49805) 奥羽北部の石器時

  • 織田作之助 中毒

  • 河野広道 性に関するアイヌの習俗 知里真志保

    従来、史家の多くは性の問題に関するかぎりことさらに触れようとしなかった。しかしながら、人間生活の土台は性ととの上に打立てられているのであるから、人類史研究の為には、先ずこの根問題の解明が要請されるのである。 文はこの意味に於て、健全なる郷土史の研究を志す人々の為の資料として執筆されたものである。 アイヌの物語りや日常会話の中には、性器や性交に関することどもがきわめて露骨にとり扱われているが、その表現は健康であり、いささかの卑猥さも感じられない。健康な民族の性生活は健全である。アイヌもまた、和人の侵略を蒙るまでは、健康な社会生活を営んでいたから、その性生活は健全であったのである。 アイヌ民族は、幼年時には男女ともに全身裸体となって性器を露出したままでいるのは普通のこととされていた。未熟な性器を見ていたずらに興奮するほどの精神病者も居らず、裸の少女を見たからといって淫心をおこすようなこと

  • 知里幸惠編訳 アイヌ神謡集

    序 その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう. 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀(さえ)ずる小鳥と共に歌い暮して蕗(ふき)とり蓬(よもぎ)摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで鮭とる篝(かがり)も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円(まど)かな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく. 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影

  • 青空文庫のXHTML,TEXTの読み方

    青空文庫のXHTMLTEXTが読みにくい 青空文庫の作品を開いてみると、どうも読みにくい。 こんな横書きで表示しているものを、みんなスクロールして読んでいるんだろうか? いや、確かにこのままの状態で読み進めれば、ディスプレイの光も相まって、目がしょぼしょぼしてしまいます。とても長編をこのまま読んでいくのは無理でしょう。 じゃあ、どうすればいいの? 方法はいろいろあります。その方法を順次、ご紹介していきましょう。 XHTMLを読みやすくする方法 横書きで表示されている青空文庫のXHTMLページを縦書きで表示させる方法があります。 例えば「えあ草紙」を使えば、青空文庫の作品のURLを入力するだけで、縦書き、ページめくり、で読む事ができます。 このようにWebブラウザー上に縦書きで表示され、左右をクリックすることによってページを読み進めていく事ができます。これは別に青空文庫に限ったことではあり

    skam666
    skam666 2013/08/10
    青空文庫を縦読みで読みやすくする各種サービスや拡張機能についてのまとめ記事
  • 知里真志保 アイヌ宗教成立の史的背景

    座長(小林高四郎)では知里さんにお願いします。 知里(真志保)私ははじめ、言語から見たいわゆる貞操帯の起源、というような演題でお話しようかと思い、いささか資料も準備して来たのでありますが、はからずも先刻に河野広道氏がその問題にふれられ、ご親切にも私の持参した新資料―樺太アイヌのチャハチャンキ(chax-chanki)までも自発的に紹介の労をとって下さったので、その問題は一応ひっこめることにいたします。貞操帯に関する論議はなかなかデリケートな点にもふれなければなりませんし、かたがた病床から起きだして来たばかりの私にとってはそのようなよけいな神経を使うのはいささか重荷でもありますので、ここではアイヌに存在した呪術的仮装舞踊劇のことをお話して、神話の起源にふれ、神の観念の形成される史的背景を明らかにし、さいきん問題になっているイオルやパセオンカミの問題にもふれてみたいと存じます。 アイヌの社会に

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