「知の巨人」ともいわれ、世界の博物学(特に粘菌類)や民俗学に大きな業績を残した南方熊楠(みなかたくまぐす-1867~1941)は、清酒世界一統の創業者である南方弥兵衛(のちに弥右衛門に改名)の実子にあたります。世界一統は、この弥右衛門が1884年(明治17年)に創業。明治23年に熊楠の弟である南方常楠が事業を継承。現在の直系である社長(南方康治)は6代目にあたります。 南方熊楠はその偉大な業績とは好対照に大酒豪家としても知られています。東大予備門時代から大酒飲みで、留学先のミシガン州農学校は酒が原因で退学になり、ロンドンでもビールを浴びるほど飲んだとも。また親交の深かった孫文・柳田國男と酒を酌み交わした逸話や、その天衣無縫な飲みっぷりなど、酒にまつわる数々のエピソードも残されています。また昭和天皇が紀南行幸の際にはじめて民間人を詠んだ詩「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」