過去は到来する。未来は構成される。私たちが構成する未来が、誰かにとっての過去として、決定された形で到来するのである。原子力発電所と、それがもたらすコストとリスクについての思考は、私たちの視野に、ヒトの一生を超えるタイムスパンを要求する。もし政治が「価値の権威的配分」(D. イーストン)であるとするなら、その配分が同時に次の「政治」の条件を構成することへの視座も欠かすことができないだろう。それは、配分(分配)としての性格とは一応区別される、政治の構成的側面である。 法外なものとリークの射程――ウィキリークスをめぐって 「受益者負担」と言われながら、負担が未来へと先送りされるとき、私たちはどう考えればよいか。主要な問題は、システムの「持続可能性」などではない(それは二次的問題である)。コストとリスクを負わされる者に発言が可能でないことが問題なのだ――「代表なくして課税なし!」。今・ここで、語り