敬告读者:国家图书馆总馆南区因维修改造,自5月10日起暂停提供服务,部分服务将调整至总馆北区和古籍 馆陆续恢复。相关内容详见国家图书馆主页公告栏。由此带来的不便,敬请读者谅解。
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前回書いた経緯からわかるとおり通州事件における民間人殺害は、1937年7月29日早朝の冀東政府や日本軍・領事館警察関係者の監禁・殺傷事件と正午前ごろの一般民間人の監禁・殺傷事件の二つの様態があります。 第一の冀東政府・日本軍・領事館警察関係者の監禁・殺傷事件は、政府軍関係者の始末という反乱を成功させるためには避けられない行動と言え、家族は言わばその巻き添えになったと言えます。この過程では、冀東政府に派遣されていた日本人顧問や学生計4人、領事館警察の警官及びその家族、通州特務機関の機関員らが主に犠牲になっています。これらの施設は通州城内の北門付近と西大街路にありました。近水楼のあった西海子から見て真東に冀東政府のある北門、真南に西大街路があります。特務機関や領事館警察は西大街路にありました。 朝日軒、北平館という旅館*1も特務機関と同じく西大街路にあったようで*2、おそらくは日本人の政府・軍
なかなか本筋に入れず、3回目に突入。 1回目:通州事件/通州起義 2回目:通州事件/通州(通県)起義の背景 - 誰かの妄想・はてな版 今回ようやく本筋の通州事件に入ります。 まず、事件の時系列を簡単に見てみましょう。参考としたのは寺平忠輔氏の「盧溝橋事件」と安藤利男記者の「虐殺の巷通州を脱出して」(アジア歴史資料センター:B02030917700)、生存者緒方一策氏*1に対する朝日新聞の取材記事(1937年8月4日)などです。 事件発生 当時通州城内にいた関係者を示しておきます。 冀東政府(殷汝耕ら) 冀東保安隊(張慶余ら) 日本軍守備隊(辻村憲吉中佐、山田正大尉、藤尾心一中尉ら) 領事館警察(浜田末喜ら) 特務機関(細木繁中佐、甲斐厚少佐ら) 7月29日午前2時半 冀東保安隊が反乱を起こして、まず襲撃したのは首席殷汝耕のいた冀東政府です。この冀東政府関係建物の制圧はほとんど抵抗を受けず成
私が最初に読んだ小熊英二氏の著書は、『市民と武装――アメリカ合衆国における戦争と銃規制』(2004年)だった。これは、「市民と武装――アメリカ合衆国における「武装権」試論」と「普遍という名のナショナリズム――アメリカ合衆国の文化多元主義と国家統合」の二本の論文を収めたもので、前者はもともと1994年に発表されている(後者は1992年に執筆したが、未発表だったとのこと)。 最初に読んだときは「アメリカの銃規制問題」の歴史的背景を考察したものというぐらいの印象しか持たなかったが、今回再読してみて、氏の問題意識はむしろ、市民権の問題を「武装権」の歴史から捉えるというところにあることがわかってきた。 一七世紀イギリスの思想家ハリントンによれば、土地が君主や貴族によって独占されていた時代は傭兵や貴族が軍の主力となるが、共和制では土地を所有して自立した市民は自らの財産を守るため武装しており、こうした人
先日古本屋で『清末政治思想研究』(小野川秀美著 昭和44年 みすず書房)という本を買ったのだが、その最後の章が「劉師培と無政府主義」という題になっていて、面白そうなのでそこから読み始めた。 以前に読んだトウ小平の伝記にも、トウが留学していた頃のフランスの中国人留学生の間では、コミュニストとアナキストの勢力が拮抗していたというようなことが書いてあった。 これはちょっと意外だったが、考えると毛沢東も何かアナーキーな感じがある。(大昔の)道教による民衆運動だとか陽明学左派だとか、中国の思想史の流れを考えると、もともとそういう土壌があったようにも思うが、よく分からん。 それでこの章を読むと、1900年代初め頃の中国(清国)における無政府主義の主張や動向が詳しく書かれていて、たいへん面白かった。その代表者は劉師培という人で、非常に斬新な主張を行った人のようだが、幸徳秋水や堺利彦、北一輝などともつなが
最近、以前ほどネットを見なくなっていて、情報にうとくなってるのだが、数日前にこういう一連の記事を読んで驚いた。 http://bund.jp/modules/wordpress/?p=8236 http://bund.jp/modules/wordpress/?p=8320 http://bund.jp/modules/wordpress/?p=8379 6月11日の東京でのデモ開始前の集会でトラブルがあったことは、前日からツイッターを見たり、その後の情報によって少しは知っていたが、具体的に当日何があったのかは、実はほとんど知らなかった。 こちらの情報なども参考にしてみると、 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110620/p1 http://d.hatena.ne.jp/fut573/20110619/1308487730 http://livingtoge
yingze 中国 読み流してたけど、中国語は分からないが漢文の知識で現代中国語は読める・機械翻訳は当てにならないキリッって人に中国語出来ない認定されたのか、なんだか胸熱。これまでのかみ合わない具合の原因が分かってきた。 2011/07/11 http://b.hatena.ne.jp/yingze/20110711#bookmark-50382934 id:yingzeさんのこの発言は私の以下の発言を受けてのものです。 D_Amon ちなみに中国語を読むことは難しいことではない。漢文を読める能力があれば、後は簡体字の省略の法則性などをつかめばどうにかなるレベル。対して機械翻訳は未だあてにならない。機械翻訳に頼るなんてのは誤読の原因 2011/07/10 http://b.hatena.ne.jp/D_Amon/20110710#bookmark-50381562 一応、yingzeさんの
通州事件/通州起義の続き。 通州事件直前までの話です*1。 北平総攻撃の準備行動 一般的に盧溝橋事件直後は(北支限定での)対中戦争については日本政府が積極的であり、軍部は消極的だったとも言われます。郎坊事件、広安門事件などの中国側からの挑発の結果、やむなく攻撃した、的な主張です。しかし、実際には郎坊事件にせよ広安門事件にせよ、日本軍側の挑発行為と言える側面があります。 例えば郎坊事件ですが、郎坊駅は中国側第29軍の支配下にあり、日本軍部隊が立ち入るには中国側の許可を必要とする場所でした。7月25日、日本軍は電線修理の名目で郎坊に部隊を派遣し、それには中国側も許可を出していますが、日本軍が派遣したのは一個中隊200人で電線修理の規模ではありませんでした。しかも電線修理は夜中になっても終わらず、日本軍は中国側に宿舎の提供を要求し、それがこじれた結果、武力衝突に至っています。日本側は電線修理の名
Welcome! 欢迎! The photographs presented here cover over a century of modern China's history, and a very wide range of places, communities and themes. They represent the work of a 2006-2021 Historical Photographs of China project based in the Department of History at the University of Bristol, that located, digitalized, archived, and published online photographs from the substantial holdings of imag
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