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「従軍慰安婦」がさらにひどくなってる - Transnational History の件の続き。 キーワード「従軍慰安婦」の4回目の編集を終了。 ・トップの概要 ・1. 強制連行はあったのか、どうやって集めたのか? ・2. 軍や国は関わったのか? ・3. 証拠はあるのか? トップから上記までを中心に事実誤認を訂正。無関係な記述を削除。 さらに歴史研究者の論文や著書に沿いながら真面目に編集していく。 ひとつひとつ出典を明記しリンクを付けていく。 かなり疲れる作業である! 他もひと通り手を加えなきゃ。終わり見えねー。 先が長い。少し大雑把な記述に…しょうがない。 もう…ヘロヘロや。 まったく手付かずの箇所は以下。 6. 河野談話は政治決着と聞いたけど? 10. 論争ってどういう事になってるの?
日本人が来たときはほんとうに恐ろしかった。昼だろうと夜だろうと村人はみな野山に逃げて隠れた。あの頃私にはすでにひとりの子供がいたが、逃げるときはつるで編んだ笊を提げて中に子供を入れた。平時は笊をカン(;土でできたオンドル式のベッド)の上に置いた。ひとたび情報が入るとすぐに子供を連れて逃げた。 私たちの村では毎日山の高いところに見張りを立て、その3つの山の上にそれぞれ箒をたてていた。馮家会や三交に駐屯していた日本兵が出発するとすぐに箒はゆらゆら揺れた。あの頃、村人は常に逃げる準備に忙しくて、ほんとうに可哀想だった。ときには真夜中ですら人々は家を出て隠れなければならなかった。 一度野原に隠れていたとき、山狩りをしていた日本人に見つかった。私たちは持っていた服や布団も全部捨てさせられた。私たちの身内のひとりの老人は歳のために速く歩けなかったが、日本人がやってきて「バンッ」と彼を一発殴った。私は子
(実際にアップロードしたのは8月31日です) 産經新聞の報道により一部で盛り上がりを見せているのが、沖縄戦の際の渡嘉敷村での民間人集団自決が「軍の命令によるものではなかった」とする新証言、というトピックである。この件に限らず沖縄戦全般について私は不勉強なので現時点での判断は控えるが、産經新聞の報道が事実通りなら元大尉の名誉回復のため、この事件について発言してきた各論者の誠実な対応が求められるところであろう。 他方で、「軍の命令」がなかったとしても、沖縄で(あるいはサイパンで)強いられた集団自決があったことまでが相対化されるようなことがあってはならない、とも思う。というのも、アジア太平洋戦争における日本人民間人の犠牲者は(史料によって相違があるが)約80万人とされるのに対して、沖縄だけで9万人とも言われる民間人の犠牲が出ているからだ。80万のうち「外地」での犠牲者が30万、「内地」での犠牲者
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
はてな『キーワード「従軍慰安婦」 - 駄文 』というエントリをid:s_kotakeさんがあげられています。キーワード従軍慰安婦』の一部を編集したところ、即日、「大体元に戻って」いたんだそうです。(ちなみに秦郁彦は肯定派じゃないでしょと。) まぁある人が書き換えているわけですが、どのような願望を持って書き換えているのか、編集前と(最初の)編集後の比較をとりあえずメモしておきます。 上が2011年12月15日までの記述。 下が2011年12月16日から22日にかけて書き換えられた記述。(現在のものとは若干違いがあります。) です。 日中戦争や太平洋戦争中、朝鮮や中国、南洋、日本などから動員され、兵士相手に慰安所(買売春施設)で暴力的に性の相手をさせられた女性たち。1991年韓国の元慰安婦から補償と謝罪要求が提起され一般に広く知れ渡った。従軍慰安婦という名前は1973年に作家の千田夏光氏が書き
「ああ、たしかに従軍慰安婦は大切に「保護」されていたのだろう」 http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120117/1326825260 hokke-ookamiさんの上記ブログ記事で繰り広げられた「従軍慰安婦問題」についての議論を見て思った事ではあるのだが、確かに左派は熱心に史料研究を行っている。勿論その根元にある感情が「何が何でも日本が悪かったと思いたい」である事を抜きにしても、この勉強熱心な態度は素直に尊敬出来るのである。勿論、「慰安婦制度=強姦」であると断定するには、吉田証言における「慰安婦狩り」ほどの凶悪な性犯罪行為が立証されている訳ではない上、「当時でも問題とされる行為」だったのならなぜ当時に誰も問題にせず、戦後50年も経ってから表面化したのかも疑問であるなど、突っ込み所はあるにはある。ただ、少なくとも「慰安婦」を現在の「売春婦」と同列に見な
いや〜逃げちゃいましたね。それまでの執拗さ(なにしろ「満十六才ヨリ」という条項が違法であることを認めるまでに6日も粘ったわけだから)を考えるとびっくりするほどの逃げ足の速さです。「最後通告」だ! と脅かして「従軍慰安婦とは何が問題で何を論点としているのか」とか訊いてくるからきっちり答えたというのに。しかも酷いのは、「従軍慰安婦とは何が問題で何を論点としているのか」と問うておいて、後からこんなこと言いだすわけですよ。 その全ての項目をアメリカが訴えているの?意味不明なのだが。 慰安婦決議のその横目全てがあるのか?無いよね。 勿論韓国政府の訴えの中にもない。 (http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120117/1326825260#c1327411360) だったら最初から「アメリカと韓国は何を問題にしているのか?」と問えばいいのに。しかも、ここでも彼は嘘
アルジェリア系でマルセイユ選出の国会議員、ヴァレリー・ボワイエ議員が提出した、「アルメニア人虐殺」を否定する者たちに禁固と罰金を与えることを定める法案が、38票の賛成で可決された。 議席数577名のフランス国民議会(下院)にあって、審議に加わった議員の数が50名であったためである。 法案成立のために元老院(上院)を通過する必要のあるこの法案は、「虐殺の罪、人道に反する罪、そして戦争犯罪を弁護、否定、あるいは軽視する表現を用いたものたちを罰すること」を規定している。 議論は「アルメニア人虐殺」があったことを前提として行われているため、「アルメニア人虐殺はなかった」と発言する者に対し、フランスの裁判所が禁固一年と最高4万5千ユーロまでの罰金を課すことを可能にするものである。 フランスの女性議員であるボワイエ議員は、この法案がEU法の枠組みで準備されていることを示唆している。従って、「憎悪犯罪(
先日、下のエントリに対して、従軍慰安婦を「保護」していた当時の条件が書き込まれた。 そんなところで「散々指摘」されたという話をされても、なんというか困るよ - 法華狼の日記 通りすがりの人 2012/01/17 20:12 ここのブログ主がソースとしたこの京大の永井って人、資料のタイトルだけで詳細を載せていないものがかなりあるんだけど、なぜ詳細を書かないかというと詳細書くと印象がガラっと変わってしまうからなんだよね。 条 件 一、契約年限 満二ヶ年 一、前借金 五百円ヨリ千円迄 但シ、前借金ノ内二割ヲ控除シ、身付金及乗込費ニ充当ス 一、年齢 満十六才ヨリ三十才迄 一、身体壮健ニシテ親権者ノ承諾ヲ要ス。但シ養女籍ニ在ル者ハ実家ノ承諾ナキモ差支ナシ 一、前借金返済方法ハ年限完了ト同時ニ消滅ス 即チ年期中仮令病気休養スルトモ年期満了ト同時前借金ハ完済ス一、利息ハ
コメント欄でid:smtz8さんに御教示いただいた点についてです。 ネトウヨおなじみの通州事件は1937年7月29日に起きた事件ですが、この事件とは別に「冀東暴動」という事件が1938年7月に起きています。通州事件のほぼ1年後です。森本堅吉氏の「憲兵物語」では通州事件と冀東暴動が混同されていますが、前後の記述を読む限り同書中の記載はほとんどが1938年の「冀東暴動」を指しており、1937年の通州事件のことではないことがわかります。 114ページに、 冀東暴動のとき、冀東政府最高顧問の細木原特務機関長は、中国要人との宴会から帰って、着替えの間もなく殺され、つづいて日本人二百人以上が惨殺された。 とあり(「細木原」は「細木」の誤記として)、この説明はどう考えても通州事件を指しているのですが、その他の場所で「冀東暴動」と呼んでいる事件では通州事件とは別個の事件を指しています。 どうも、森本氏がこ
通州事件のエントリーに関して以下のコメントを頂きました。 『憲兵物語』森本堅吉(構成・三宅一志)によると ・通州事件の原因 共産党による長期的な地下工作の成果→事件後関係者は共産軍に逃避 日本側は華北における共産党の浸透ぶりを軽視していて最後まで翻弄された ・中国側の残虐行為 遺体にも残虐行為をする、残虐行為の質は向こうのほうが上→日本軍の残虐行為は それに対する報復 とされており当時の報道や証言は概ね事実に沿ったものと思われる http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20110813/1313252419 「憲兵物語」は随分以前に読んだ記憶がありましたが、さすが記憶が曖昧だったので図書館で確認してみました。ですが、 元憲兵の森本氏は事件当時の通州にいたわけではなく事件直後に通州に入ったわけでもなく、同じ冀東*1でも主に唐山に勤務していたわけですから、通州事件に関する
防衛研 新たな戦史を編さん 12月30日 16時29分 太平洋戦争の開戦から70年となることし、防衛省防衛研究所は、大本営を中心とした指導部が開戦を決断した経緯や、戦争中に下した命令などを分析した新たな戦史の編さんを進めています。 太平洋戦争を含めた先の大戦を体系的に分析した公刊史料としては、防衛省防衛研究所が昭和41年から55年にかけて編さんした戦史叢書があります。しかし、戦史叢書を巡っては、内容の大半が、現場の部隊が行った戦闘の分析に費やされ、指導部側についての分析が少ないことや、内容の一部に誤りがあることなどが、指摘されていました。このため、防衛研究所は、近年見つかった史料の分析なども踏まえたうえで、指導部側に焦点を当てた新たな戦史の編さんを進めています。大本営を中心とした指導部が開戦を決断した経緯や、1942年のミッドウェー海戦など重大な作戦の際に下した命令などを分析し、数冊程度に
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