曳田川が流れる谷に面した棚田の合間、石垣の上に大きな平屋の工房があります。牛ノ戸焼六代目の小林孝男さんに制作工程を案内していただきました。敷地の下のほうにある、草の生えた小山を指差し、これが荒土だと言われました。曳田川の流れにより堆積した白い土で、周囲の田んぼから掘り出して積んであるものです。この土を求め、江戸時代末期に石見焼の産地から、初代梅五郎が職人を引き連れて移住します。当時は60人ほどの職人が働いていたそうです。当初は器のほか瓦も作り曳田川を下って賀露港まで運び、北前舟で全国に流通させる大規模な窯場でした。瓦一枚に3kgの粘土を使うといいますから、この地で大量の土が採掘され、今も尽きないことに驚きます。特に牛ノ戸の土はよく焼締るため、他の窯場では作るのが難しい「酢どっくり」を量産していました。1日100本作っても追いつかないほど需要があり広範囲に流通し、北海道でも発見されています。