妥協だ!! 妥協せよ!! 妥協こそ最高だ!! 妥協!! 妥協!! 妥協!! っと、何かいきなりおかしな文面から書き始まりましたが、妥協といっても自身への事ではなくコミュニケーションの手段としての妥協の事ね。 さて、コミュニケーションの肝として一番重要なのが「協調性」だと思ってる人が多いかもしれませんが、相手が選んだ選択が「拒絶」だとしたらどうなるのか? この場合こちらが(消極的な意味での)無視をするという選択をするならば、まだ問題の深刻化は防げる(むしろ、それこそ儀礼的無関心に近い)のですが、何故か、この解決法が取られることは滅多に無く「協調の強要」を、更には「攻撃」という手段に出る可能性の方が高いみたいなのです。 一応、ソースというか実例として挙げると、いじめがこれに近いでしょう。 本来そこで教えられるべきは、お互いに干渉せず、気持ちよく共同生活を送れるようにするための知恵であるはずだ。