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2020年4月16日のブックマーク (5件)

  • 雪道を2キロ歩き、ソースかつ丼を食べ、温泉に入るサルに会う~地元の人頼りの旅in長野県~

    行く先々で「うちの会社にはいないタイプだよね」と言われるが、人はそんなこともないと思っている。愛知県出身。むかない安藤。(動画インタビュー) 前の記事:名画ぜんぶあります!徳島の大塚国際美術館で息をのむ > 個人サイト むかない安藤 Twitter 通勤から旅へと切り替える贅沢 いきなり現地に行ってあとは地元の人に頼り切って旅する企画。今回の目的地は長野県である。 東京からだと新幹線で1時間半なので思い立った時にふらりと行ける範囲ではないか。今日はいつもの通勤時間になにも準備せずにふらりとやってきた。 いつもの通勤時間に東京駅にやってきて、その場で長野行きの新幹線のチケットを買う贅沢。 朝、会社へ向かう人ごみの中を悠々とニューデイズで買い物をした。なぜなら僕はこれから旅にでるからだ。この贅沢ったらない。 いつもは買わないちょっと豪華な昼ごはんを買っちゃう。旅はすでに始まっているのだ。 記

    雪道を2キロ歩き、ソースかつ丼を食べ、温泉に入るサルに会う~地元の人頼りの旅in長野県~
  • パブリックエネミー自己責任論者

    自己責任という言葉が嫌いだ。なぜなら、その言葉を吐く人間は社会構造というものを理解していないからだ。 自己責任論者は「あなたが低収入なのはあなたの努力が足りないからだ。努力して高収入を掴んだ人はたくさんいる。だからそれができないあなたの努力は足りないのだ」などと平気で宣う。アホか、としか思わない。 社会には構造というものがある。その社会構造に則って人は様々な職などの社会的地位についている。 自分がつきたい社会的地位を目指して努力した人には大変申し訳ないが、あなたのその努力は社会的には意味がない。社会の側にはそのポジションにいるのがあなたである必要は別にないのだから。もちろん、社会的に個人の努力には意味がなくとも、人に内在する意味や価値を否定するわけではない。 社会構造というマクロを見たときに、個人の努力、ひいては自己責任というのはほぼ無意味だ。そこに構造がある限り、そこにたどり着く人は必

    パブリックエネミー自己責任論者
  • 市外局番は、きれいな柄であり、地域を読み解く鍵である(1) - 地理人レポート

    数年前、作っている過程はTwitterでお届けしたのですが、市外局番の一体何がおもしろいのか…はあまり文字化していませんでした。リアルで話すときには話すものの、めんどくさがってWebにアップしてなかったのです。 境界線を示す場合、点線を描けばいいのですが、塗り分ける方法もあります。世界地図には国ごとにいろいろな色が塗られていますよね。でも、それぞれの色に意味はありません。隣の国と違う色になるように塗り分けているのです。ちなみに、4色あれば、隣合う色が同じ色にならないので、4色で塗り分けるのが一般的です。 こんな感じで、上3桁を同系色(赤・黄・青・緑のどれか)で塗り分け、同じ上3桁、つまり赤・黄・青・緑の各エリア内を、さらにそれぞれ4色で塗り分けています。塗り分けることで境界や範囲、面積がはっきり見えますが、青系の色が広い範囲に及んでいるところもあれば、狭い範囲にとどまるところもあります。こ

    市外局番は、きれいな柄であり、地域を読み解く鍵である(1) - 地理人レポート
  • 大切な人大切な人、うるせえよ

    災害にしろ、感染症にしろ、非常事態に出てくる言葉に非常に違和感を覚える。 違和感?というか、不快感? 大震災のときにもそうだが、今この未曾有の事態にもよく聞く言葉だ。 「大切な人の命を守るために○○しよう」 ※○○には、今でいうと自粛とかStay Homeとか入るんだろうけど。 自分が守りたいと思うべき「大切な人なんかいない」場合、この言葉は正直気持ち悪い。 今回の騒動にしたって、世間も政府も世の中のすべてが単身者にちっとも優しくない。 独り者が独りで死ぬのは仕方ないから、まぁそこはどうでもいいんだけど。 「あなたのそばにいる大切な人が感染するかも・・・・」とかいうけど、そんな人いない。 家族やパートナーじゃなくても、友だちだって会社の人だっているだろう、とか言うのかもしれないけど、 別に私が守らなければならない相手ではない。 守るべきものもなく、残していくもの(子供とか)もないと、正直そ

    大切な人大切な人、うるせえよ
  • 医療の現場から|四谷三丁目

    頭がおかしくなりそうなのでしたためておく。 私は医療職に従事している人間である。看護師だ。 専門職ではあるものの、この歴史に刻まれるであろう混乱の中で私の有する専門性や経験値など紙切れ以下の価値もない。現状、私は「たまたま医療職に従事している一般人」であり、これは専門性を有する人間からの警告などではなく、ただならぬ混乱に巻き込まれた一般人の雄叫びである。 そのように受け止めてほしい。 私が勤めているのは首都圏の「けっこう大きな病院」である。今回の新型コロナウイルス感染症騒動の初期も初期から感染症対応病床で患者を受け入れていた。まあ来るよね、としか思わなかった。2カ月半前、もう遠い昔のように思える。 その後も、どこかで集団感染が発覚する度にそこから患者が運び込まれてきた。そのことに関して誰も動じたりはしない。みんなそれなりに、「けっこう大きな病院」に努めている自負みたいなもんも持っていて、周

    医療の現場から|四谷三丁目