アリストテレスは軽率で、デカルトは過大評価――。科学史の先哲を、ノーベル物理学賞のスティーブン・ワインバーグ教授が容赦なく切り捨てる著書「科学の発見」が、論争を巻き起こしている。現代の視点で過去を裁く手法に批判はあるが、一方で教授が投げかけるのは「科学とは何か」という根本的な問いだ。本人に聞いた。 ――なぜ物理学者のあなたが科学史なのですか? 「もともと歴史に興味がありました。私は何かについて学ぼうと思ったときには、そのテーマを講義することにしています。テキサス大の学生たちに科学史の講義をするうち、古代ギリシャのプラトンやアリストテレスといった人たちは、科学者というよりも『詩人』、と呼んだ方がふさわしいと分かったのです」 ――辛辣(しんらつ)ですね。… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけま
経済学の教科書のはじめの方に登場する物々交換ですが、フェリックス・マーティン著「21世紀の貨幣論」には物々交換が人類学などから疑問を呈されているという話を以前書きました。 大昔、物々交換などなかった - シェイブテイル日記 今年4月に出版されたカビール・セガール著「貨幣の新世界史」でも、少し違う切り口から大昔には物々交換などなく、貨幣の起源は債務にある、という説を紹介しています。 以下は貨幣の新世界史から引用します。*1 (引用開始) - お金のもうひとつの起源 経済入門のクラスでは、お金の歴史をつぎのように教えるケースがほとんどだろう。 昔々、世界の果ての地で、人びとは物々交換を行なっていました。しかし、常に満足できる形で成立するわけではなく、やがてお金が発明されました。 アリストテレスの思想はこの考え方の延長線上にあるし、さらに時代を下れば、アダム・スミスなど古典派経済学者にも行き着く
トップ > Chunichi/Tokyo Bookweb > 書評 > 記事一覧 > 記事 【書評】 都市と暴動の民衆史 藤野裕子 著 Tweet 2016年2月7日 ◆騒乱に揺れた18年間 [評者]平井玄=評論家 この本は身に食いこむ。こんな学術書に出合ったのは本当に久しぶりである。 本書は「東京・1905-1923年」と副題されているように、明治の終わりから大正時代を舞台としたものだ。NHKの朝ドラを見ていると、この時期はようやく維新後の混乱から抜けて、大正デモクラシーを迎える穏やかな凪(なぎ)のように映る。植民地ではいろいろあっても昭和の大戦争はまだ先、産業は発展したのでは-。 大商人の「あさ」さんたちには確かにそうだったのだろう。ところが不安定な毎日を生きる大多数の人々にとってはまったく違ったのである。一九○五年の日比谷焼き打ち事件から市電値上げ反対暴動、さらに増税反対や憲政擁護
都市と暴動の民衆史―東京・1905—1923年 [著]藤野裕子 1905年、日露戦争の講和条約に反対する集会をきっかけとして、日比谷焼打(やきうち)事件が起こった。この事件から18年の米騒動までの間、東京をはじめとする都市では民衆暴動が相次いだ。だが普通選挙運動が活発となる20年代になると秩序化が進み、表面上は暴動が見られなくなる。それはなぜかを解き明かそうとしたのが本書である。 日比谷焼打事件の背景には政治集会の屋外化というべき時代の変化があった。集会が開園間もない日比谷公園で行われ、参加者が増えたことが暴動を誘発したのだ。しかもその参加者は、ほぼ全員が若年労働者を中心とする男性だった。著者は「男らしさ」をキーワードに、この時代に起こった暴動に共通する論理を掘り下げてゆく。 ところが20年代になると、民衆自身が政治主体となる権利を要求するため、暴力を抑えようとした。つまり普通選挙運動それ
わたしたち日本の歴史学会・歴史教育者団体は、日本軍「慰安婦」問題(以下、「慰安婦」問題)をめぐって、2015年5月に「「慰安婦」問題に関する日本の歴史学会・歴史教育者団体の声明」を発表した。だがその後、12月28日の日韓外相会談後におこなわれた共同記者発表(以下、日韓合意)と、2016年1月20日に言い渡された、吉見義明氏の名誉毀損をめぐる裁判(以下、吉見裁判)における原告敗訴の判決という、ふたつの大きな動きがあった。それらに対して、わたしたちは、以下の問題を指摘する。 今回の日韓合意は、第一に、「慰安婦」制度の責任を曖昧にしている。歴史研究は、日本政府・日本軍が軍の施設として「慰安所」を立案・設置・管理・統制したこと、「慰安婦」制度の本質は性奴隷制度であったこと、当時の国内法・国際法に違反していたことを明らかにしてきた。合意はそれらを踏まえておらず、「慰安婦」制度の責任については「軍の関
昨年末に慰安婦問題の解決について合意した日韓両国外相は共同記者発表で「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」と述べた。日本軍の慰安婦となった女性らが戦時中、慰安所で送った生活については、終戦直後の戦犯裁判資料や1990年代以降に口を開いた元慰安婦らの証言に残され、場所や時期、戦況によってさまざまだったとみられる。ただ、その境遇や移動経路が、本人の証言をもとに軍の記録や関係者の日記、現地調査などで詳細に追跡できる例はそれほど多くない。今回はその一例として、韓国の文玉珠(ムンオクチュ)さん(1924~96)が語った部隊名や地名を手がかりに、多くの日本兵らが犠牲となったかつての激戦地ミャンマー(ビルマ)を訪ね、足跡をたどった。 ■ビルマ戦線を転々、証言と記録一致 朝鮮半島南部・大邱(テグ)出身の文さんは、日本が英領ビルマを占領した直後の1942年から45年までの約3年間を過ごした。体験を聞き
メイソン=ディクソン線 州境をめぐるペンシルベニア・メリーランド両植民地の主張 メイソン=ディクソン線(メイソン=ディクソンせん、Mason-Dixon Line)は、現在のアメリカ合衆国におけるペンシルベニア州、デラウェア州と、メリーランド州、ウェストバージニア州との間の州境の一部を定める境界線(英語版)である。[1] 1763年から1767年にかけてこの線の測量を行ったチャールズ・メイソン(英語版)とジェレマイア・ディクソンにちなんで名付けられた。一般に、アメリカ合衆国の北部と南部とを隔てる境界であると認識されている。[1] ペンシルベニア植民地とメリーランド植民地はともに勅許状を根拠として北緯39度と40度の間の土地の領有を主張していた。また、デラウェア湾に沿った低地3郡(Three Lower Counties、現在のデラウェア州にあたる。)は、ペンシルベニア植民地の一部とされてお
中世の彩飾写本の作り方をご紹介します。 「中世の写本」とは言っても、時代、地域、流派、用途ごとにかなりのバリエーションがあります。ここでは、中世末期(ルネサンス初期)15世紀末時禱書(じとうしょ)の代表的な作り方をご紹介。 中世の写本作りは、羊皮紙作りはもちろん、筆写、彩色、製本など、工程ごとに違った職人が担当する分担作業です。 ※ 時禱書とは、キリスト教の平信徒が持つお祈りの本。聖人の記念日が書かれた1年のカレンダーから始まり、4福音書からの抜粋、聖母マリアへの祈り、聖母マリアの時課、十字架の時課、聖霊の時課、死者の時課、告解詩篇、そして追悼聖務という各セクションがあります。スタンダードな内容に加え、地域ごとの聖人を祭った記念日や祈りを追加したり、逆にセクションを削除したりしてカスタマイズしたものも作られていました。 羊皮紙の準備 本を作るためにはまず羊皮紙が必要ですが、どのくらい用意す
日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会は東京都内で会見し、来週、広島を訪問するアメリカのオバマ大統領に対して、被爆者の話を聞くことなどすでに明らかにした要望に加え、原爆投下への謝罪を求める考えを明らかにしました。 日本外国特派員協会で行われた会見で日本被団協の藤森俊希事務局次長は「被爆者は原爆の投下が非人道的で国際法に違反することだと明らかにするよう求めており、それは謝罪によって確認される。多くの被爆者は謝罪しなくてもいいとは思っていない」と述べ、すでに明らかにした要望に加えてオバマ大統領への謝罪を求める考えを明らかにしました。 また田中煕巳事務局長は「核兵器による被害の真実を知ってもらうことは、オバマ大統領自身に変化をもたらすに違いないと思う」と期待を述べたうえで、「1人でもいいから直接、被爆者の声を聞いてほしい。そして、亡くなった人や家族を失った『本当の被害者』へぜひ謝罪してほしい」と
ファクトチェックです。 産経などで時折取り上げられている軍事ジャーナリストに井上和彦氏という方がいます。「日本が戦ってくれて感謝しています」という太平洋戦争に関する彼のネットや書籍での主張が妥当か、私が居住するシンガポールに関する記述を検証します。検証基準は下記です。 記述の事象は正確か (ファクトチェック) 記述の全体の位置づけが妥当か (例外や少数事象には注釈をつけるなど、一般的であるような誤解を避けているか) 記述の事象が正確かどうかや全体の位置づけの評価は、シンガポール教科書を含むシンガポール政府の記述を根拠とします。シンガポール政府の史実認識や解釈に異議があるかもしれませんが、今回の記事の視点は「シンガポール"が"、日本が戦ったことに感謝しているか」だからです。 井上和彦氏による、以下の3つの記事のシンガポールの記述を評価対象にします。 zakzak by 夕刊フジ: 【戦後70
日本国憲法が揺らいでいる。憲法解釈を大きく変更した安保法が国会で成立し、自民党はさらに改憲を目指す。その根底にあるのが「押しつけ憲法論」だ。だが日本国憲法がこれまで70年間、この国の屋台骨として国民生活を営々と守り続けてきたのも事実である。この連載では戦後70年、日本国憲法が果たしてきた役割、その価値を改めて考えたい。 第1回は日本国憲法がひとりの女性を救った物語である。 栃木県某市。その地域のことをどう表現すればいいのか、戸惑う。ちょっとした幹線道路と小さな道路に区切られた一角に団地が建ち並ぶ。辺りには民家と田んぼしかない。表現の手掛かりになるような特徴がなく、ぬるっと手から滑り落ちそうなところ。そんな地域が、日本憲法史上に特筆される裁判の舞台となった。 裁判の名前を「尊属殺重罰事件」という。日本で初めて最高裁判所が法令違憲の判決を下した事件といわれている。 事件は47年前の1968(昭
国連の女性差別撤廃委員会が今月公表した対日定期審査の「最終見解」は、優生保護政策で障害を理由に不妊手術を受けさせられた人への補償を日本政府に勧告した。国内の女性障害者や支援者は最終見解を歓迎し、政府に履行を求めている。 最終見解は「不良な子孫の出生防止」として障害者らの不妊手術を認めていた旧優生保護法下、約1万6500人が本人の意思によらず手術を受けさせられたとされるのに、政府が補償や謝罪をしていないことを問題視した。「実態を調べ加害者を訴追し、全ての被害者に法的な救済や補償を提供する」よう勧告した。 当事者団体「DPI女性障害者ネットワーク」(東京都)のメンバーはスイスで、委員会の2月16日の審査を傍聴した。神戸市の視覚障害者、藤原久美子さん(52)は自身が医師に妊娠中絶を勧められた経験を踏まえ、今も月経や妊娠、出産を周囲から疎まれる女性障害者がいることなどを委員らに説明した。 こ
慰安婦問題に関する日韓両政府の合意について、ザイド国連人権高等弁務官は10日、「当局が勇気があり、堂々とした女性たち(元慰安婦たち)と意思疎通するのが重要だ」と述べ、両政府が元慰安婦本人らにさらに寄り添い、理解を得るように促した。国連人権理事会での、世界各地の人権状況に関する年次報告の中で触れた。 ザイド氏はまた、元慰安婦を「日本軍による性奴隷制度を生き延びた女性たち」と表現。「(合意に基づいた)真の賠償を受けたかどうかの判断は彼女たち(元慰安婦たち)だけができる」とも指摘した。 これに対し、在ジュネーブ日本政府代表部の嘉治美佐子大使は、日韓合意は元慰安婦の「名誉を回復し、傷を癒やすためのものだ」としたうえで、「性奴隷制度との用語は事実に基づかない。日本は歴史や事実を否定したことはない」などと反論した。 韓国政府の代表は「戦時性暴力の犠牲者たちへの配慮に感謝したい」と発言。合意の実行に向け
今年のユネスコ(国連教育科学文化機関)世界文化遺産への登録を目指してきた「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎、熊本両県)について、政府は、ユネスコの諮問機関の指摘を受け、推薦を取り下げることを決め、9日の閣議で了解した。 「長崎の教会群」は、長崎市の「大浦天主堂と関連施設」など14資産で構成する。ユネスコの諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が先月出した中間報告は、個々の構成資産が、16世紀以来のキリスト教の受容過程という全体の価値にどう貢献しているかなどの証明が不十分と指摘。受容を伝来期、禁教期、復活期の3段階で説明する推薦書に対し、長い禁教の歴史の中で信仰を守ってきたことが特色で、そこに焦点を当て推薦内容を見直すべきだと提案した。 イコモスは、推薦を取り下げれば専門家による助言を始めると提案しており、政府は見直し後、再推薦する方針だ。来年の登録に向けては「『神宿る島』宗像(む
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