紀伊国屋書店といえば、本の業界にいれば知らぬ者なしの大手ナショナルチェーンである。某 T 社が年間売上高で紀伊国屋書店を抜いたと息巻いているが、こちらは FC システムで、多数の加盟企業の集合体、すべて直営店での運営の紀伊国屋書店とは比べられない。そして、すべて歴史と経験則で測ることはできないが、書店業は色々な意味で、それらが大いにものを言うのも事実である。書店はノウハウを持つ書店人と看板で成り立つものである。(もうそんな時代じゃないよ、という声が聞こえるが)その意味でも、紀伊国屋書店の業界での地位は揺るがないであろう。 紀伊国屋書店創業者の田辺茂一氏は僕らの世代にとっては馴染み深く、よく NTV の「 11PM 」に出ていたことを思い出す。この人物と、文化を売る「紀伊国屋書店」とのイメージギャップが大きく、戸惑うことしきりであった。余談だが、同様なことで思い出すのは、(最近は違うかもしれ
何かに強烈に心を動かされて、今まで生きて来た道とは全く違う事をする場合がある。 河川敷に住む野良猫と仲良くなったミュージシャン・田村氏 ( 著者本人 ) 。散歩に連れ立って歩くほどにその野良猫・ローラと娘猫・エムちゃんと親交を深める。 ある日 3 匹の捨て猫を見つけ途方に暮れる彼にローラが救いの手を差し伸べる。 我々の日常の中で良く見かける野良猫だが、彼らが生きているのは弱肉強食の野生の世界。他者の手助けをするなど滅多にないはず。ましてや、生物種としても全く別個の物である人間の手助けなど、そもそも完全な意思の疎通ができない事からも困難なはず。しかしローラは田村氏の、「捨て猫達を助け、育てて欲しい」という願いを受け入れる。 激しい感銘を受けた彼は、一匹の野良猫との種を越えた心の通い合いや、必死に願い、助けられた事から見つめ直した命の重さ・大切さを多くの人に伝えたいと強く思う。 本来の生業とし
数学が私の実生活において役に立った場面は何だったかと考えると、思い出すのは下らないことばかり。「ランダムに出てくるカプセル入りの玩具を全種類揃えるには、平均で何回レバーを回さないといけないか」を友人と二人で懸命に計算したものです。 だけど、そこにはたしかな探求心と喜びがありました。 そんな日常にひそむ軽重さまざまな疑問・問題を、数学をつかって解きほぐしていく12篇の随筆集が、この一冊です。 例えば、『マットレスを一定の操作でひっくり返し、マットレスがとりうるすべての配置を順繰りに実現する方法』を見つけるべく群論を用いたり、『金持ちはさらに豊かになり、貧乏人はさらに貧しくなる……そこに抗いがたい物理法則があると思えてくる』ことを検証すべくコンピュータシミュレーションを行ったり…。 それぞれのトピックは、紐解かれる数多の論文や、コンピュータを用いた数理実験、そして「後から考えてみると」で紹介さ
もう何を読んでもめったなことでは驚かなくなった私だが、本書にはびっくりした。これは、「まったく新しいかたち」の小説である。何というか、この小説は「かたちをもたない」のだ。 登場人物が、生と死の、男と女の、人とけものの、境目をなくして幻想の世界に入っていく、というのは倉橋由美子や小池昌代の極上の作品で見られる。つまり「筋の中で、かたちをもたないものたち」というのはある。ところが本書では冒頭、登場者が「本を読む」ということにとまどいをみせる。 目で字を追っているのに、ことばが頭の中で意味につながらない、よって何度も同じページを行ったり来たりしてしまう。それが、何日も続く。文字やことばや意味が、かたちを結ばないところから物語ははじまり、そのかたちをもたない文字やことばがゆらゆらしながらもどうにか立ち上がり、登場者は自分が「ひとになってしまった」ことに気づく。 なってしまったものはしょうがないので
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く