→紀伊國屋ウェブストアで購入 「生と死をめぐるおもしろ対談集」 まったく科学的な知識のないわたしでも、「再生医療」とか「ES細胞」とか「iPS細胞」とかは聞いたことがあるし、京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥教授がノーベル賞を受賞したことや、iPSのiが小文字なのはiPodのようなキャッチーさを出すためだったらしいとか、その程度は知っている。 でも、いったいiPS細胞で何がどこまでできるのか、よくわかっていない。なんだかすごそうだ…ということしかわからない。「再生医療」というからには「再生」をしてくれるのですよね? でもなにを再生してくれるのでしょう。美肌とか?身体や内臓が部分的に欠損したときに、その代わりをつくってくれるのでしょうか? クローン技術とは違うの…ですか? あまりに質問がドシロウトすぎて、たずねることさえはばかられるというもの。とはいえ、やっぱりこの話題になっているiPS細胞
彼女たちはなぜ万引きがやめられないのか? 窃盗癖という病 著者:河村 重実 出版社:飛鳥新社 ジャンル:社会・時事・政治・行政 職業的窃盗者や反社会的犯罪者による窃盗ではない窃盗癖を、摂食障害との関連において取り扱い、窃盗癖と摂食障害の概要からその治療法、再犯時の弁護法と具体的な症例の数々までを紹… 彼女たちはなぜ万引きがやめられないのか?―窃盗癖という病 [著]河村重実 [監修]竹村道夫 一見遠い話のようだが、この本で引かれた手記を読んで、ハマってしまってどうにも抜けられない窃盗癖患者の苦しみが立ち上がるその足許(あしもと)が、自身のそれと地続きでないと言い切れる人がどれだけいるだろう。動機も発動の仕方も相当に複雑だが、彼らが「これまでの人生で、自分に責任があるとは思われない、割に合わない役割を背負わされた体験者」であるのは間違いないと竹村医師はいう。 議論は、高い比率でみられる過食嘔吐
・世にも奇妙な人体実験の歴史 「何世紀ものあいだ、薬の安全性の検証は事実上、一般大衆の体によっておこなわれていた。用量を超えて飲めばほとんどの薬が危険だが、安全な服用量は誰にも分からなかった。とりあえず飲んでみて、様子を見るしかなかった。患者は薬を飲み、医者は患者が死ぬかそれともよくなるかを見るのだった。」 古代から19世紀にいたるまで多くの人々が病気の原因は悪い血であると信じていたので、腕を切開して瀉血したり、ヒルに血液を吸わせたりして、だらだらと何リットルも患者から血を奪っていた。医学的には患者を弱らせるのみの行為だった。 本当に効く薬や治療法を見つけるには、誰かが最初に試してみなければならない。動物実験というのも現代では盛んだが、結局のところ、最後は人間が試さない限り、本当に効くのかどうかわかりはしない。 ここに書かれているのは医学の本当の歴史である。一部の勇気のある医者が自らの身体
座敷牢の調査報告書。 一言でいえばこんなところだろうか。ただし、100年前の話。 著者の呉秀三は、「日本精神医学の父」と呼ばれる、明治から昭和のはじめにかけて活躍した医学者だ。精神病患者の看護法を刷新したことで知られる。つまり、本書は看護や治療のやり方を一新すべく、当時の精神病患者がおかれた状況を実地調査したレポートなのである。 明治43(1910)年から、東京帝国大学医科大学精神病学教室主任だった呉は、夏休みのたびに教室の助手などを全国に派遣し始める。共著者の樫田五郎を含む15人は、1府14県に散らばり、写真や絵とともに患者の置かれた状況を記述していく。交通の発達していない時代に、徒歩や人力車、馬車で、山奥まで出かけたそうだ。 当時の患者数は14万から15万。一方、当時の精神病院の病床数は私立も含めて約5000。患者に対して、治療施設が圧倒的に足りていないとなると、患者は自分の家にいるし
梅毒の正体を知るために患者の膿を自分に塗布した医師、サナダムシを飲まされた死刑囚、爆発に身をさらし続けた博士…。常識を覆すマッドな人体実験を紹介する。【「TRC MARC… 世にも奇妙な人体実験の歴史 [著]トレヴァー・ノートン [訳]赤根洋子 ピロリ菌、という名称を私たちが耳にしたのは、そんなに昔のことではない。十二指腸や胃の潰瘍(かいよう)の元凶とされる細菌である。酸性の強い胃の中で生きられるはずがない、と言われていた。潰瘍の原因はストレスや喫煙や誤った食生活や酒だとされてきた。 オーストラリアのバリー・マーシャルとロビン・ウォレンは共同で研究し、ピロリ菌を発見、これが潰瘍に関与しているのでは、と疑った。マーシャルは自らピロリ菌を飲んで確かめた。案の定だった。ピロリ菌を除去すれば快癒することを証明したが、一般の病院で治療が行われるようになったのは、マーシャルの実験から十三年後である。彼
→紀伊國屋書店で購入 「「終活」のバイブル」 日本では「終活」という言葉が流行っているらしい。紛れもなく老人大国であるから、それは当然の現象であるし、自分の身の始末を元気な時に考えておくことは、重要なことであるに違いない。だが、我々はなかなか自分の思い通りに死ねない世の中に生きている。病にかかって入院すれば、医者の言いつけ通りにしていないと、怒られるし、追い出されるかもしれない。自分の体であるのに、時として正確な情報も与えられず、檻の中の動物のように「飼われる」だけの状態でいることもままある。 我が家のモットーは「死ぬまで元気でいること」である。長生きしたいのではない。最後までできる限り「元気で」いたいのだ。病院で種々の管に繋がれ(スパゲティ症候群)親しい人とも会えない形で長い間おかれるのは、誰しも望まないのではないだろうか。もちろん生老病死はコントロールできるものではない。それでも死の「
本書では自らの体を実験台にした奇人変人と呼ぶにふさわしい研究者が数多く登場する。血液、薬など医学を中心に17のテーマが収められているが、どこを読んでも驚きのエピソードにあふれている。 寄生虫を飲み込んだり、進んで感染症に罹ったりと、内容は多岐にわたるが、想像するだけで気持ちが悪くなりそうな実験例も少なくない。黄熱病研究ではアメリカ人の医学生スタビンス・ファースは感染経路を調べるために体に患者の尿を塗り、嘔吐物を摂取した。イギリスの外科医ジョン・ハンターは淋病と梅毒の関係性を知るため、淋病患者の膿を自分の性器に塗りこんだ。常軌を逸した行動に映るが、「自説は果たして正しいのか」ということに自らの体を賭けてでもこだわる研究者の強烈な自負も見え隠れする。 著者は彼らの功績はあまりにも評価されていないと指摘する。実際、嘔吐物にまみれたスタビンス・ファースの名前を誰も覚えていないのは事実だ。歴史に埋も
ある日、突然難病にかかったら・・・。 あまり想像したくない出来事ですが、実際にそうなってしまった女子大学院生の体験記です。文字通り想像を絶する症状、(しょうがないのですが)拷問といえなくもない検査地獄、先の見えない長い闘病生活で疲弊してくる人間関係などなどが生々しく描かれています・・・。 ただ文体はあくまでもライト、それが賛否両論だったりもするでしょうが、個人的には興味深く(というのが正しい表現かわからないですが)、一気に読み終えることができました。 誰にでも訪れる可能性がある病気。これとどう向きあうべきか(自分の病気であっても、親しい人の病気であっても)、他の人の体験から学んでおくことは、健康なときにこそやっておくべきかと感じました。 病院の見つけ方、お医者さんとの付き合い方、社会保障の手続きうんぬん、いろいろ学ぶことはあるのですが、個人的に一番考えこんでしまったのがまわりの人との付き合
外科医の華麗なメスさばき、大学医学部内の権力争い……生死を巡る人間ドラマを描いた医療小説が人気だ。このジャンルの特色は、現役の医師でもある書き手が多く活躍していること。聴診器をペンに持ち替えて、彼らはどんな問題を投げかけるのか。(川村律文) 帚木(ははきぎ)蓬生『インターセックス』(集英社)は、性器の形状や染色体が曖昧(あいまい)で、男女どちらかに性別を決められないインターセックス(半陰陽)の人々を、精神科医でもあるベテラン作家が取り上げた力作だ。 性差医療に取り組む医師の秋野は、産婦人科を中心に高度医療に取り組む病院にヘッドハンティングされる。多様な性を受け入れ、支援しようとする秋野の行動は、医師たちの意識を変えていく。一方で、秋野は病院内で不自然な事故死が続いたことに気づく――。 ミステリー仕立ての物語の中に、悩みを抱える人々が自助組織を作るシーンなども描かれ、性差のあり方について新た
・かぜの科学―もっとも身近な病の生態 これは素晴らしい。全人類に強くおすすめ。 統計によると私たちは一生に200回風邪をひくそうだ。成人は少なくとも年に2回、小児は10回以上かかる。 「もちろん、一回一回の罹患そのものは大したことではない。けれども、一人の人が平均寿命のうちにこの取り立てて悪性でもない病原体に苦しむ期間を合計すれば、およそ五年間にわたって鼻づまり、咳、頭痛、喉の痛みに襲われ、おおまかに言って一年間床につく計算になる。」 全人類が長い間悩まされてきた風邪には俗説の療法も多い。どうするとうつるのか、どうすると予防できるのか、どうすると治るのか。この本は科学的観点からいえることを整理してくれる。 一般常識を打ち破る事実も多く、目からうろこな本である。 たとえば、 ・咳やくしゃみによって発生する飛沫が風邪を広めるという証拠はないに等しい ・鼻をかんでも鼻が詰まった感じはとれない(鼻
東日本大震災に際して、被災地のただ中で救命医療活動に携わった医師九名による臨場感溢(あふ)れる証言集である。 「今回の震災では医療者たちの多くも被災しながら、患者のために診療を続けてきた」と言われる通り、津波で妻や家族を亡くし、自宅や診療所を流された医師も少なくない。それでも彼らを医療へと駆り立てたのは「医者が投げ出してしまったら、それですべてが終わってしまいます」という信念であった。 とりわけ、遺体の検死と身元確認に当たった歯科医師の奮闘ぶりは、これまで報道がなされてこなかっただけに印象に残った。まさに「歯は人間の履歴書」なのである。 また、原発災害が重なった福島県で「もう人が仮設村に移動し始めているのに、そこに診療所を作るためには、県の議会で承認されないとダメですとか官僚的なことを言う」という医師の言葉は、行政の事大主義を痛打して、義憤を覚えるほどである。 読後「医療とはまさに人を支え
2010年10月20日13:00 カテゴリ書評/画評/品評Medicine やっぱり健康が一番 - 書評 - 無菌室ふたりぽっち 著者より献本御礼。 無菌室ふたりぽっち 今田俊 正直、闘病記の類いに感動するには、私はあまりに多くの本を読んで来た。 そして患者たちに同情するには、あまりに統計を知りすぎている。 人は一人の例外なく、必ず死ぬという意味で生まれた時から不治の病の患者だとすら達観している。 しかし、本書を読了してからは、はっきりこう感じる。「白血病だけはご勘弁」。 本書の価値が、そこにある。 「やっぱり健康が一番」と思わせる闘病記と出会うのは、白血病に罹るより稀かも知れないのだから。 本書「無菌室ふたりぽっち」は、白血病の闘病記。著者は急性骨髄性白血病にかかり、一度は寛解したものの再発し、弟の骨髄移植を経て今に至っている。まだ「これで大丈夫」だと医学的に言うには、もう三年この状態が
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く