保守二大政党の可能性を最初に気付いたのは小沢一郎であると言われている。彼は自民党幹事長時代に党本部主導で1991年の都知事選挙*1に元NHKキャスターの磯村尚徳を擁立、現職の鈴木都知事を支持する都本部と対立し、結果的に彼は敗北している。 中央主導で豪腕を発揮する小泉純一郎が拍手喝采を浴びているのに比べ、こと時の小沢一郎は悪者以外の何者でもなかった。時代とは皮肉なものである。 この選挙で社会党や共産党の公認候補か完全に泡沫化し、小沢一郎は保守二大政党の可能性を確信し、後の自民党からの集団離脱に至ったと言われている。 私は長らく保守二大政党論には懐疑的であった。特に理念に差がない2つの党がどちらがよい法案を出せるかと争うという仕組みは、立法府と行政府の役割分担が明確な国ならともかく、日本のように議員立法が盛んでなく、政府提出法案がほとんど成立するような国では与党に利するだけであると考えていたか