“茶道は日常行為が規範化され様式化された時、それがもつ本来の日常性を形骸化する危険性を有していたといえよう。 しかし逆に言って、作動におけるそうした形式性を否定してしまうと、茶道はたちまち日常に還元し埋没して、その存在の根拠そのものをみずから否定することになる。つまり茶道とは、日常生活にも続く営為であるがゆえに、その日常性をいったん否定し、そこから乖離しなければ成立しないのである。だからそれは一種の「虚構」といってもよい。” 『千利休』(講談社学術文庫)村井康彦 ロイター:茶道とゲリラとフランス人 http://today.reuters.co.jp/tv/videoChannel.aspx?storyId=3f8feb3cee76d93b3e002964496edd3f0b0fb9f6 都市の路上から砂漠まで、そこに組み立てられた即席茶室が置かれると、日常と「虚構」の日常が出会う。 「虚