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社会と歴史に関するtakahiro_kiharaのブックマーク (2)

  • ドラえもんの原っぱに「土管」があった深いワケ

    戦後、下水・汚水処理場が次々とでき、砂町汚水処分場のような屎尿(しにょう)を処理する設備も整った。それでも、高度経済成長期の東京の人口は増え続け、当然排泄も増え続ける。汲み取りトイレもまだ多く、砂町汚水処分場だけでは処理できない量だった。 いまでこそ日の水洗トイレ率(汚水処理人口普及率)は91.7%、東京は99.8%。しかし、1970年代は東京23区内ですら、鼻をつまみたくなるようなにおいが充満する汲み取りトイレの家庭は多かった。 練馬区でボットン便所が長く続いた理由 またしても私事で恐縮だが、筆者(神舘)が生まれ育った東京・練馬区の石神井の家はボットン便所だったし、杉並区の阿佐谷にある公立高校に進学したら、そこもボットン便所だった。 家でもボットン。学校でもボットン。入学式の日にとても悲しい気持ちになった。高校について厳密にいうと、母屋というべき鉄筋コンクリートの校舎は水洗トイレ。とこ

    ドラえもんの原っぱに「土管」があった深いワケ
  • 母乳とそれに代わるものの込み入った歴史 | 全米での粉ミルク不足から振り返る

    乳児用の粉ミルク不足がアメリカで深刻化している。では母乳に戻ればいいのかといえば、話はそう単純ではない。母乳とそれに代わるものの複雑な社会史を歴史家のスティーブン・ミームが概観し、現状を捉え直す。 深刻な粉ミルク不足は一見、母乳を喧伝しているように見える。女性が自然の流れに従いさえすれば問題はまったくないだろうとも考えられるからだ。 この議論の逆を行ったのが、母乳育児をやめるよう女性を説き伏せて粉ミルクを売ろうとしてきた「ネスレ」のような多国籍企業だ。そうした20世紀のマーケティング作戦は、消費者のボイコットと粉ミルクメーカーに対する世間からの反感を受けて終わり、乳児たちが死亡する事態にもつながった。 しかしこの恥ずべき出来事は、それより前の、もっと込み入った歴史を覆い隠してしまう。赤ん坊を母乳で養い育てるという仕事は長いあいだ、母乳か粉ミルクかの議論よりもはるかに厄介なことであり続けてき

    母乳とそれに代わるものの込み入った歴史 | 全米での粉ミルク不足から振り返る
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