タグ

2011年8月16日のブックマーク (3件)

  • イギリス暴動の裏にある鬱屈と絶望について

    ロンドンその他都市のあの「愚者の祭り」から1週間が過ぎて、あの月曜日の事情が少しずつ分かってきた。5年以上ロンドンに住んでいる者としてあれこれ考えることも多かったし、諸事情で「暴徒」のおかれた環境について少し知る機会もあったので、少し書いておきたい。 あの日起こったことは何だったのかこれについては、無軌道な若者の暴走と言うことで概ねコンセンサスは取れているように思う。以下のtogetterは現状ロンドンで理解されていることに近い。 http://togetter.com/li/172491 警察が、最初の暴動の抑制に失敗したことで、「今なら何をやっても大丈夫」という無礼講的なお祭り騒ぎが一挙に拡大したと言うことなのだろう。周囲の興奮と燃えさかる炎に当てられて、「乗るしかない、このビックウェーブに!」とばかりに舞い上がってしまった子供が相当数いたであろう事は間違いない。(ロンドンで逮捕された

    イギリス暴動の裏にある鬱屈と絶望について
    takahiro_kihara
    takahiro_kihara 2011/08/16
    はて、「中流社会を捨てた国」http://d.hatena.ne.jp/takahiro_kihara/20091121 の話とちょっと違うなぁ(ま、これはもっと古い時代の話ですけど。)
  • 戦争は「軍部の暴走」だったのか - 『あの戦争と日本人』

    あの戦争と日人 著者:半藤 一利 文藝春秋(2011-01) 販売元:Amazon.co.jp ★★★★☆ 明治以降の近代史をみるとき、二つの有力な史観がある。一つはそれを財閥や地主が軍部と結びついて対外侵略を行なった「帝国主義」と考える唯物史観で、アカデミズムや左派メディアにはまだその影響が強い。もう一つは明治の英雄が近代化をなしとげたと考える司馬史観で、「新しい歴史教科書をつくる会」などの右派はこれに依拠している。 著者は司馬遼太郎の編集者だったので、基的には司馬史観に共感しながらも、明治国家と昭和の戦争を「非連続」と考える司馬に異を唱える。特に大きな岐路は日露戦争だった。『坂の上の雲』では英雄の活躍によって不可能な勝利が可能になったように描かれているが、最近発見された当時の戦史によれば、その実態は違う。 たとえば二〇三高地の攻略は、結果的には無意味だった。2万人の犠牲を出して攻略

    戦争は「軍部の暴走」だったのか - 『あの戦争と日本人』
    takahiro_kihara
    takahiro_kihara 2011/08/16
    とりあえず図書館にあるようだ。
  • 目に見えにくい、子どもの“読書格差” - シロクマの屑籠

    生涯所得を数千万円変える“当の”情報格差/若者よ書を求め街へ出よ? - デマこい! リンク先は、子ども時代の蔵書数と情報格差についての記事で、面白かった。 「子ども時代の蔵書数」が生涯所得と相関するのかどうかは知らないけれど、脳が急成長している時期にどんな体験をするかによって、子どもの能力獲得と素養の伸びしろが左右されるだろう、とは推定したくなる。 ところで、子ども時代の「読書」ってどんな体験だろうか。 人は、「読書」を「一人で黙ってを読むこと」だと思いがちだ。大人の目線で考える場合はそれで間違っていないし、だったら「蔵書数が多ければそれで良し」ということにもなろう。しかしリンク先の文章が対象にしているような、子ども時代の「読書」について考える際には、そういう捉え方では足りない。ここでは、子ども時代の「読書」がどういう体験なのかを踏まえたうえで、“読書格差”について考えてみる。 三種類

    目に見えにくい、子どもの“読書格差” - シロクマの屑籠
    takahiro_kihara
    takahiro_kihara 2011/08/16
    本嫌いの親が、本好きの子どもを育てることは、まぁ不可能でしょう。