ギフトカクヨムで活動する作家に贈り、創作活動をサポートできるギフトを、毎月プランに応じた個数受け取れます。
スピリチュアル系の世界でよく口にされる言葉で、『目からウロコ』というのがある。視点の変化、大げさには価値観の大転換(パラダイム・シフト)が起こった時のことを言ったものだ。 目に張り付いて、その人の視界を遮っていたウロコのようなものが剥がれ落ち、よく見えるようになる(視野が開ける)というイメージ。 でも、この言葉の語源が『新約聖書』にあるというのは、案外知られていない。 知っている人ももちろんいらっしゃるだろうが、以下の話にとりあえずお付き合いください。 イエスの十字架での死後、「クリスチャン」と言われる人々が出現するようになった。死んだ大工(イエス)を「神の子・救い主」として信仰するやつららしい。 己を神に等しい者だなどと宣伝するのは、ユダヤ教の伝統からすると冒涜極まりない。そのイエスとかいう死人が美化されるのは、何としてでも防がねば—— 当時の権力者階級、宗教指導者階級はそう考えた。 そ
新型コロナウイルスの蔓延で思い出した歴史。 それはハンセン病患者への強制隔離政策だ。 実は昔、ハンセン病元患者の方とお会いしたことがある。 玉城しげさんは感染症が誰でもかかる可能性があること、今思えば、コロナ禍を予言するようなことを話してくれた。 読み進めながら人間が如何に変わっていないか、突きつけられた。 あのクルーズ船に乗ったのはたまたまだ。 それなのに人間は不当な差別を行い、怖がる。 自分の中の差別とも向き合うような作品でした。
図書館の帰りに、書店に寄ってなんとなくふらついていると面白そうな本を見つけた。エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ著の「自発的隷従論」だ。不勉強な私は初めてその名前と著書を知ったが、ちくま学芸文庫から出ていることもあり買って読んでみることにした。素朴な問いから、人間の本性、政治のあるべき姿…客観的かと言われれば疑問符はつくが興味深い良書であった。古今東西の逸話や史実に、圧政や圧政者の構造的悪に迫っていく様は、硬い論文というよりも、一つの文学作品としても読むことができる。 なぜ多数の人々は、たった一人の圧政者に隷従するのだろうか?「自発的隷従論」の中で、ラ・ボエシは「これほど多くの人、村、町、そして国が、しばしばただ一人の圧政者を耐え忍ぶなどということがあり得るのはどのようなわけか、ということを理解したいだけである」と書いている。その疑問を出発点に、本書は考察を進めていく。 ラ・ボエシは「自由」こそ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く