タグ

ブックマーク / heapsmag.com (10)

  • #010 最終話「分断した東西を統合したのは"テクノ"だった」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    壁崩壊という大事件歴史に刻まれていたとき、ぼくは東欧旅行に出ていたのだが、ベルリンに戻って直感した。あらゆることが、もうこれまでとは違う、と。それでも、東の生活はすぐに激変したというわけではなく、街を行き交う人は揃いも揃ってジャージや擦り切れたジーパン、スニーカーという出で立ちのままだった。 壁という隔たりがなくなり、東の者たちは西の様子を一目みたいと思った。それは西の者も同じで、東はどんな様子か興味津々だ。国境はいまだに存在したが、看守たちは手のひらを返したように一様に慇懃で愛想よく、なにを持ち込んでも気にしないといった様子だった。さらに東の共産主義政権は崩壊していたので、実質的に法律が効力を発しておらず、音楽規制なども取り下げられた。東の国営レコードレーベル・アミーガでさえ、“ゾング(ZONG)”に改名されたのだ。 東と西のあいだに、脅威などもう存在しない。冷戦が終結したことに、みな

    #010 最終話「分断した東西を統合したのは"テクノ"だった」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS
    takuwz
    takuwz 2019/11/23
    “テクノは、分断された国の若者たちを統合した。テクノはひとつのライフスタイルだった。テクノは、ヒッピーのような自由や愛、平和を孕んでいて、ドイツを象徴する新しい音楽となった。テクノの祭典・ラブパレード
  • ベルリンの壁・崩壊前夜「ボウイと東が壁に向かって合唱し、ラブ&ピースが街を席巻した日」 HEAPS Magazineー時代と社会の、決まり文句に縛られない。

    1989年5月、ハンガリー政府がハンガリー・オーストリア間の国境を開放、鉄条網を撤去*した。この出来事は、ドイツ国民に大きな変化をもたらした。数百もの東の者たちがハンガリーの観光ビザを申請しはじめたり、友人が東欧に消えたかと思えば数日後に西側諸国に出現したなんて報告も日々耳にするようになった**。東は確実に崩壊しはじめ、混沌と革命の時代にさしかかっていた。予定されていた東ドイツ40周年パレードが、天安門事件のような惨事なるんじゃないか、という噂さえも流れていた。チェコ共和国は亡命を計る東ドイツ民を阻止すべく、ハンガリーとの国境を閉鎖せざるを得なかった。たいてい誰にでも、私財をなげうって亡命した知り合いがいる。東ベルリンには実に不穏な雰囲気が漂っていたが、ベルリンの壁が崩壊する気配はまだなかった。 *第二次世界大戦後、社会主義政権国家だったハンガリーにも、オーストリアの国境にベルリンの壁のよ

    ベルリンの壁・崩壊前夜「ボウイと東が壁に向かって合唱し、ラブ&ピースが街を席巻した日」 HEAPS Magazineー時代と社会の、決まり文句に縛られない。
    takuwz
    takuwz 2019/11/23
    “音楽の力はさらに大きくなる。89年7月、雨降りの土曜。西ベルリンでとあるデモンストレーションが遂行された。といっても、なにに抗議反対するわけでもない。150人のレイブミュージックファンが集い、“平和、幸福、
  • #008「録音とび時間なし、ドラムマシン密輸の東バンド極限レコーディング。そして自宅アパートには怪奇な鏡が…」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    東の音楽キッズ、ラジオの前で正座 1980年代も後期に差し掛かると、西ベルリンのミュージックシーンの狂乱はしぼみかかっていた。自然発生的に生まれては消えていた急進的なエネルギーは目に見えるように失われ、多くのバンドはプロの道に進むか、解散していた。パンクやジャーマン・ニューウェーブバンドの大量放出は飽和状態を生み、ついにその泡は弾けた。SO36やRisiko(リスク)のようなバーやクラブは閉店。音楽シーン全体はドラッグ漬けの昏睡状態に溺れていて、多くがその犠牲になり、たとえばぼくを訪ねベルリンに来たニック・ケイヴなんかも、もうパーティは終わったと街を去ってしまった。ただぼくだけは違った。西には小さいながらもダンスミュージックシーンはあったし、それでももし退屈になれば、冒険的な危うさを含む東にいつでも逃げこむことができたから[1]。 そう、生気を失う西の音楽シーンとは反対に、今度は東がだいぶ

    #008「録音とび時間なし、ドラムマシン密輸の東バンド極限レコーディング。そして自宅アパートには怪奇な鏡が…」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS
    takuwz
    takuwz 2019/11/23
    “生気を失う西の音楽シーンとは反対に、今度は東がだいぶ緩んできた。ラジオでは放送許可が下りた西バンド、たとえば、ザ・キュアーやデペッシュ・モード、ニュー・オーダーを流す番組もあった。「カセットレコーダ
  • #007「教会極秘パンクライブ第二弾。そこには恐るべき"ヤツら"が待ち構えていた…」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    #007「教会極秘パンクライブ第二弾。そこには恐るべき“ヤツら”が待ち構えていた…」 歌詞に“隠れメッセージ”、ハガキに“暗号” 西の人間は東でなにが起こっているのかなんて気にも留めなかったが、実際東には西の音楽に影響を受けた“なりきりバンド”が次々誕生していた。ザ・ポリスを真似たジェシカ、ノイバウテンのようなAGゲイガー、“ジェネシス+ディープ・パープル+ユーライア・ヒープ”なカラット。しかしやはり音楽活動は容易いものでは到底なく、楽器ひとつ手に入れるのが骨折り、やっと手に入れた楽器にはケーブルを張りアンプに繋ぐ。いや、その前にアンプを見つけるという大仕事があったか。それに、東では「バンド結成=党の方針に従う」。物議を醸すような話題や政治的内容の歌は断固禁止、それでも歌おうとした者は高い代償を払わされる。みな歌詞はドイツ語でなければならなかったので、外国語を“利用”して意味深なメッセージ

    #007「教会極秘パンクライブ第二弾。そこには恐るべき"ヤツら"が待ち構えていた…」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS
    takuwz
    takuwz 2019/11/23
    “オルヴォ社のカセットテープは一ヶ月の家賃分だったので、録音したテープは回し聴きかコピー。イギリスのような海賊放送(放送免許なしのラジオ放送)は存在しなかった。なんせ秘密のラジオ局をつくろうとしても、
  • #006「西では"ゴミ"を楽器にしたバンドが誕生。東の隠れゲイディスコではぼくの"密輸テープ"が流れた」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    #006「西では“ゴミ”を楽器にしたバンドが誕生。東の隠れゲイディスコではぼくの“密輸テープ”が流れた」 西で誕生、“ゴミ”を楽器にした実験バンド 時計の針が深夜12時を過ぎないと、なにもはじまらない街。しかしいったん過ぎると朝9時まで“夜”が続く街。それが西ベルリンだった。夜行性動物たちの溜まり場クラブ「Risiko(リスク)」に、上の毛(頭の毛)だけでなく“下の毛”も整えることができる“ぶっ飛びサロン”。夜はアートショーや実験音楽のライブパフォーマンスなんかをやっていた。トイレはなく、シンクが洗髪と“排泄”兼用だった[1]。 ぼくの西での生活に余裕などない。9時5時とは真逆のサウンドエンジニア仕事、常に担当バンドのため次のギグチャンスに目を光らせるマネージャーの仕事。レコードを買うお金や東へ行き来する費用も確保したい。だから、シェーネベルクのクラブのバウンサーだってバーテンダーだって

    #006「西では"ゴミ"を楽器にしたバンドが誕生。東の隠れゲイディスコではぼくの"密輸テープ"が流れた」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS
    takuwz
    takuwz 2019/11/23
    “驚くかもしれないが、東でもディスコは“合法”だった”
  • #005「東の無名バンドを英音楽番組に出演させよ」史上初、共産主義国のアングラバンド"逆輸入"実録。ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    #005「東の無名バンドを英音楽番組に出演させよ。史上初、共産主義国のアングラバンド“逆輸入”実録」 教会での違法パンクライブを成し遂げた、ぼくマーク・リーダーと東西の音楽狂たち。この偉業の成功で勢いに乗ったぼくのもとに一件の依頼が舞い込んできた。それは、国イギリスで人気を誇っていたテレビ音楽番組『The Tube(ザ・チューブ)』からだった。80年代の人気バンド、たとえばフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドやバナナラマなどの登竜門だった番組が、西ベルリンに出張し地元のミュージックシーンを紹介する“特別番組”を作りたいと言い出した。そこで、ミュージシャン兼ファクトリーレコード特派員であってベルリンの音楽シーンにも詳しかったぼくに“仲介人”になってくれないかとお呼びがかかったというわけだ。それは何から何まですべて準備をこちらがしなければいけないことを意味していた。出演するのにふさわしいミュ

    #005「東の無名バンドを英音楽番組に出演させよ」史上初、共産主義国のアングラバンド"逆輸入"実録。ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS
    takuwz
    takuwz 2019/11/23
    “タリストは見事に美しい手作りギターを持っていて(“買えないモノは作ればイイ”という東の精神によるもの)”
  • #004「性に音楽、西ベルリン狂乱時代。その頃、東でも世紀の"違法パンクライブ"がはじまろうとしていた」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    「東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだった」 回顧する男は、マーク・リーダー(Mark Reeder)。 イギリス人音楽プロデューサー、ミュージシャン。そして“音楽運び屋”。 冷戦時代、ベルリンの壁と秘密警察の手をくぐり抜け、 抑圧の東ベルリンへ禁じられたパンクロックを“密輸”した男である。 「壁の西側には色鮮やかなグラフィティが施され、東側では兵隊が銃を構え整列する」 人権、文化、金銭の価値、国民の一生、そして人間の尊厳を決定した 高さ3メートルの「ベルリンの壁」。 それを境に、西は「経済」「自由」「文化」のすべてが豊かに栄え、東はすべてに飢えていく。 それは「音楽文化」も同じだった。 命懸けの東から西への逃亡。厳重な検問を乗り越えねばならない西から東への越境。 しかし、マークは幾度となく壁をすり抜けた。 西から東へ極秘の“ブツ”、パンクを密輸、禁じられた音楽を東

    #004「性に音楽、西ベルリン狂乱時代。その頃、東でも世紀の"違法パンクライブ"がはじまろうとしていた」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS
    takuwz
    takuwz 2019/11/23
    “その晩ぼくたちは教会のコミュニティーホールに集まり、この日最初で最後の記念撮影をした。そして30人ほどの内輪の友だちを前に、照明もステージもないライブがはじまったのだ。警察がぼくたちに逮捕しに突入して
  • #003「東ベルリンに恋に落ちた。そして、"カセットテープ密輸中毒"になった」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    「東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだった」 回顧する男は、マーク・リーダー(Mark Reeder)。 イギリス人音楽プロデューサー、ミュージシャン。そして“音楽運び屋”。 冷戦時代、ベルリンの壁と秘密警察の手をくぐり抜け、 抑圧の東ベルリンへ禁じられたパンクロックを“密輸”した男である。 「壁の西側には色鮮やかなグラフィティが施され、東側では兵隊が銃を構え整列する」 人権、文化、金銭の価値、国民の一生、そして人間の尊厳を決定した 高さ3メートルの「ベルリンの壁」。 それを境に、西は「経済」「自由」「文化」のすべてが豊かに栄え、東はすべてに飢えていく。 それは「音楽文化」も同じだった。 命懸けの東から西への逃亡。厳重な検問を乗り越えねばならない西から東への越境。 しかし、マークは幾度となく壁をすり抜けた。 西から東へ極秘の“ブツ”、パンクを密輸、禁じられた音楽を東

    #003「東ベルリンに恋に落ちた。そして、"カセットテープ密輸中毒"になった」ーベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS
    takuwz
    takuwz 2019/11/23
    “密輸テープを手に入れた東の若い音楽狂たちの喜びを目にできるのなら、危険を冒す価値さえあるとまで感じていたから。その日を境に、カセットテープの密輸が“中毒”になった。”
  • #002「デヴィッド・ボウイがベルリンに移住。まもなくして、ぼくもベルリン行きを決めた」—ベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS

    ぼくが故郷を去る夏から遡ること、数年前。ある日、ぼくが働いていた英・マンチェスターのレコードショップに“パンク”がやって来た。それは、ザ・ダムド(ロンドン三大パンクバンドの一つ)のシングルで、立て続けにあのセックス・ピストルズのデビューアルバム『アナーキー・イン・ザ・UK』も入荷した。みんな口を開けば“パンク” “パンク”。パンクロック創成期だ。 ぼくのレコードショップ(ちょっとガタがきた小さいヴァージン・レコード)は瞬く間に「パンクのメッカ」になり、ぼくはというと昼間から音楽を聴きにぶらぶらとやって来ては居座る一文無しのパンクキッズたちに目を瞑り(レコードを買うお金さえない彼らの気持ちは染みるようにわかっていたから)、セックス・ピストルズのセカンドアルバム発売日には、その“問題作”(エリザベス女王をコテンパンに罵ったレコード)を一日中売りさばいた。 深紫の壁に銀の星の飾り、チューインガム

    #002「デヴィッド・ボウイがベルリンに移住。まもなくして、ぼくもベルリン行きを決めた」—ベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人" | HEAPS
    takuwz
    takuwz 2019/11/23
    “ベルリン、スパイ映画とネオンの詩”
  • 【新連載】「ベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人"」 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録 | HEAPS

    【新連載】「ベルリンの壁をすり抜けた“音楽密輸人”」 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録 「東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだった」 回顧する男は、マーク・リーダー(Mark Reeder)。イギリス人音楽プロデューサー、ミュージシャン。そして“音楽運び屋”。 冷戦時代、抑圧の東ベルリン、壁と秘密警察の手をくぐり抜け、禁じられたパンクロックを“密輸”した男である。 1970年代後半から80年代後半にかけてのドイツ・ベルリンの話だ。 一夜にして有刺鉄線が張り巡らされ、着々と作られた3メートルの壁は、人権を、文化や金銭の価値を、国民の一生を、そして人間の尊厳を決定した。「ベルリンの壁」—その非情な一枚の壁は、 一つの街をユートピアの西ベルリンと、ディストピアの東ベルリンにわけてしまった。 「壁の西側には色鮮やかなグラフィティが施され、東側では

    【新連載】「ベルリンの壁をすり抜けた"音楽密輸人"」 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録 | HEAPS
    takuwz
    takuwz 2019/11/23
    “ソ連でビートルズが禁止されていたように、東ベルリンでもまた先進的な音楽は禁じられる。 西側には自由という太陽がさんさんと注ぎ、東側では抑圧という雨がじとじととと降っていたのだ”
  • 1