壁崩壊という大事件が歴史に刻まれていたとき、ぼくは東欧旅行に出ていたのだが、ベルリンに戻って直感した。あらゆることが、もうこれまでとは違う、と。それでも、東の生活はすぐに激変したというわけではなく、街を行き交う人は揃いも揃ってジャージや擦り切れたジーパン、スニーカーという出で立ちのままだった。 壁という隔たりがなくなり、東の者たちは西の様子を一目みたいと思った。それは西の者も同じで、東はどんな様子か興味津々だ。国境はいまだに存在したが、看守たちは手のひらを返したように一様に慇懃で愛想よく、なにを持ち込んでも気にしないといった様子だった。さらに東の共産主義政権は崩壊していたので、実質的に法律が効力を発しておらず、音楽規制なども取り下げられた。東の国営レコードレーベル・アミーガでさえ、“ゾング(ZONG)”に改名されたのだ。 東と西のあいだに、脅威などもう存在しない。冷戦が終結したことに、みな
1989年5月、ハンガリー政府がハンガリー・オーストリア間の国境を開放、鉄条網を撤去*した。この出来事は、ドイツ国民に大きな変化をもたらした。数百もの東の者たちがハンガリーの観光ビザを申請しはじめたり、友人が東欧に消えたかと思えば数日後に西側諸国に出現したなんて報告も日々耳にするようになった**。東は確実に崩壊しはじめ、混沌と革命の時代にさしかかっていた。予定されていた東ドイツ40周年パレードが、天安門事件のような惨事なるんじゃないか、という噂さえも流れていた。チェコ共和国は亡命を計る東ドイツ民を阻止すべく、ハンガリーとの国境を閉鎖せざるを得なかった。たいてい誰にでも、私財をなげうって亡命した知り合いがいる。東ベルリンには実に不穏な雰囲気が漂っていたが、ベルリンの壁が崩壊する気配はまだなかった。 *第二次世界大戦後、社会主義政権国家だったハンガリーにも、オーストリアの国境にベルリンの壁のよ
東の音楽キッズ、ラジオの前で正座 1980年代も後期に差し掛かると、西ベルリンのミュージックシーンの狂乱はしぼみかかっていた。自然発生的に生まれては消えていた急進的なエネルギーは目に見えるように失われ、多くのバンドはプロの道に進むか、解散していた。パンクやジャーマン・ニューウェーブバンドの大量放出は飽和状態を生み、ついにその泡は弾けた。SO36やRisiko(リスク)のようなバーやクラブは閉店。音楽シーン全体はドラッグ漬けの昏睡状態に溺れていて、多くがその犠牲になり、たとえばぼくを訪ねベルリンに来たニック・ケイヴなんかも、もうパーティは終わったと街を去ってしまった。ただぼくだけは違った。西には小さいながらもダンスミュージックシーンはあったし、それでももし退屈になれば、冒険的な危うさを含む東にいつでも逃げこむことができたから[1]。 そう、生気を失う西の音楽シーンとは反対に、今度は東がだいぶ
#007「教会極秘パンクライブ第二弾。そこには恐るべき“ヤツら”が待ち構えていた…」 歌詞に“隠れメッセージ”、ハガキに“暗号” 西の人間は東でなにが起こっているのかなんて気にも留めなかったが、実際東には西の音楽に影響を受けた“なりきりバンド”が次々誕生していた。ザ・ポリスを真似たジェシカ、ノイバウテンのようなAGゲイガー、“ジェネシス+ディープ・パープル+ユーライア・ヒープ”なカラット。しかしやはり音楽活動は容易いものでは到底なく、楽器ひとつ手に入れるのが骨折り、やっと手に入れた楽器にはケーブルを張りアンプに繋ぐ。いや、その前にアンプを見つけるという大仕事があったか。それに、東では「バンド結成=党の方針に従う」。物議を醸すような話題や政治的内容の歌は断固禁止、それでも歌おうとした者は高い代償を払わされる。みな歌詞はドイツ語でなければならなかったので、外国語を“利用”して意味深なメッセージ
#006「西では“ゴミ”を楽器にしたバンドが誕生。東の隠れゲイディスコではぼくの“密輸テープ”が流れた」 西で誕生、“ゴミ”を楽器にした実験バンド 時計の針が深夜12時を過ぎないと、なにもはじまらない街。しかしいったん過ぎると朝9時まで“夜”が続く街。それが西ベルリンだった。夜行性動物たちの溜まり場クラブ「Risiko(リスク)」に、上の毛(頭の毛)だけでなく“下の毛”も整えることができる“ぶっ飛びサロン”。夜はアートショーや実験音楽のライブパフォーマンスなんかをやっていた。トイレはなく、シンクが洗髪と“排泄”兼用だった[1]。 ぼくの西での生活に余裕などない。9時5時とは真逆のサウンドエンジニアの仕事、常に担当バンドのため次のギグチャンスに目を光らせるマネージャーの仕事。レコードを買うお金や東へ行き来する費用も確保したい。だから、シェーネベルクのクラブのバウンサーだってバーテンダーだって
#005「東の無名バンドを英音楽番組に出演させよ。史上初、共産主義国のアングラバンド“逆輸入”実録」 教会での違法パンクライブを成し遂げた、ぼくマーク・リーダーと東西の音楽狂たち。この偉業の成功で勢いに乗ったぼくのもとに一件の依頼が舞い込んできた。それは、本国イギリスで人気を誇っていたテレビ音楽番組『The Tube(ザ・チューブ)』からだった。80年代の人気バンド、たとえばフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドやバナナラマなどの登竜門だった番組が、西ベルリンに出張し地元のミュージックシーンを紹介する“特別番組”を作りたいと言い出した。そこで、ミュージシャン兼ファクトリーレコード特派員であってベルリンの音楽シーンにも詳しかったぼくに“仲介人”になってくれないかとお呼びがかかったというわけだ。それは何から何まですべて準備をこちらがしなければいけないことを意味していた。出演するのにふさわしいミュ
「東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだった」 回顧する男は、マーク・リーダー(Mark Reeder)。 イギリス人音楽プロデューサー、ミュージシャン。そして“音楽運び屋”。 冷戦時代、ベルリンの壁と秘密警察の手をくぐり抜け、 抑圧の東ベルリンへ禁じられたパンクロックを“密輸”した男である。 「壁の西側には色鮮やかなグラフィティが施され、東側では兵隊が銃を構え整列する」 人権、文化、金銭の価値、国民の一生、そして人間の尊厳を決定した 高さ3メートルの「ベルリンの壁」。 それを境に、西は「経済」「自由」「文化」のすべてが豊かに栄え、東はすべてに飢えていく。 それは「音楽文化」も同じだった。 命懸けの東から西への逃亡。厳重な検問を乗り越えねばならない西から東への越境。 しかし、マークは幾度となく壁をすり抜けた。 西から東へ極秘の“ブツ”、パンクを密輸、禁じられた音楽を東
「東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだった」 回顧する男は、マーク・リーダー(Mark Reeder)。 イギリス人音楽プロデューサー、ミュージシャン。そして“音楽運び屋”。 冷戦時代、ベルリンの壁と秘密警察の手をくぐり抜け、 抑圧の東ベルリンへ禁じられたパンクロックを“密輸”した男である。 「壁の西側には色鮮やかなグラフィティが施され、東側では兵隊が銃を構え整列する」 人権、文化、金銭の価値、国民の一生、そして人間の尊厳を決定した 高さ3メートルの「ベルリンの壁」。 それを境に、西は「経済」「自由」「文化」のすべてが豊かに栄え、東はすべてに飢えていく。 それは「音楽文化」も同じだった。 命懸けの東から西への逃亡。厳重な検問を乗り越えねばならない西から東への越境。 しかし、マークは幾度となく壁をすり抜けた。 西から東へ極秘の“ブツ”、パンクを密輸、禁じられた音楽を東
ぼくが故郷を去る夏から遡ること、数年前。ある日、ぼくが働いていた英・マンチェスターのレコードショップに“パンク”がやって来た。それは、ザ・ダムド(ロンドン三大パンクバンドの一つ)のシングルで、立て続けにあのセックス・ピストルズのデビューアルバム『アナーキー・イン・ザ・UK』も入荷した。みんな口を開けば“パンク” “パンク”。パンクロック創成期だ。 ぼくのレコードショップ(ちょっとガタがきた小さいヴァージン・レコード)は瞬く間に「パンクのメッカ」になり、ぼくはというと昼間から音楽を聴きにぶらぶらとやって来ては居座る一文無しのパンクキッズたちに目を瞑り(レコードを買うお金さえない彼らの気持ちは染みるようにわかっていたから)、セックス・ピストルズのセカンドアルバム発売日には、その“問題作”(エリザベス女王をコテンパンに罵ったレコード)を一日中売りさばいた。 深紫の壁に銀の星の飾り、チューインガム
【新連載】「ベルリンの壁をすり抜けた“音楽密輸人”」 鋼鉄の東にブツ(パンク)を運んだ男、マーク・リーダーの回想録 「東ベルリンは、世界一入場規制が厳しい“ナイトクラブ”のようだった」 回顧する男は、マーク・リーダー(Mark Reeder)。イギリス人音楽プロデューサー、ミュージシャン。そして“音楽運び屋”。 冷戦時代、抑圧の東ベルリン、壁と秘密警察の手をくぐり抜け、禁じられたパンクロックを“密輸”した男である。 1970年代後半から80年代後半にかけてのドイツ・ベルリンの話だ。 一夜にして有刺鉄線が張り巡らされ、着々と作られた3メートルの壁は、人権を、文化や金銭の価値を、国民の一生を、そして人間の尊厳を決定した。「ベルリンの壁」—その非情な一枚の壁は、 一つの街をユートピアの西ベルリンと、ディストピアの東ベルリンにわけてしまった。 「壁の西側には色鮮やかなグラフィティが施され、東側では
ミュージカル「テニスの王子様」やドラマ「WATER BOYS2」などに出演した滝口幸広さんが11月13日未明、突発性虚血心不全で死去した。享年34歳という若さでの訃報に、ネット上には「役者としてもこれからだったでしょうに‥‥。本当に残念です」「滝口さんの笑顔は見てる人を笑顔にしてくれてるもので、それがもう舞台やテレビで見られないと思うと本当悲しいです」など追悼コメントが多数寄せられた。 また、ファンの中には同世代の人も多く「同い年なのでショックです」といった内容のコメントも目についた。 医療ジャーナリストは「若い方も気を付けるべき疾患」と話す。 「突然死の中で最も多いのが、急性心臓死です。虚血性心疾患とは、心臓の冠動脈が狭くなったり、閉塞したりして心筋に血液が行かなくなることで起こる疾患です。例えば、寒い時期に入浴中の死亡事故が多発しているのは、耳にしたことがあると思います。寒い脱衣所で服
レーザーカッターで、箱組みを作る人は多いですが ふつうは四角い箱になってしまいます。。。 しかし、データを工夫して作ることで四角くないボックスを作ることが十分に可能です。 今回は台形とコーナーヒンジを組み合わせ、こういうユニークな形のボックスを作ってみました。 箱が斜めになっているので、ちょっと難しそうな形状ですが イラストレーターをCADのように使って寸法を計算していけば データ作りもそれほど難しくありません。 レーザーでカットするとこのようなパーツになります。 コーナーの寸法もバッチリ取れているので隙間もでていません。 斜めになっている箱ですが、途中で止まる部分を作ることで、蓋をすることができます。 さらに、UVプリンターで蓋に柄をプリントすることで ラブリーな感じを目指してみました。 この辺まで作るとなんか売れそうな感じがしますね♪ レーザーカッターに必須のイラストレーター入門 レー
いわゆる退職エントリです。(遅) ということで最終出社キメてきました🙏フォトブックが特に嬉しすぎる😂😂😂色紙、前チームメンバーのメッセージが適当すぎて、ほんとそういうところやぞ!!!(満面の笑み)というお気持ち😂😂😂 pic.twitter.com/NOStaZmV1c— ぷぽ (@pupupopo88) 2019年10月18日 高円寺のとあるIT企業に総合職で入社、気づけば7年7ヶ月と在籍していました。この業界からすると、長く務めた方かなと思います。 まともに自己PRもできず、文系未経験だったのにも関わらず、エンジニアとしてここまで成長させてもらったことは大変感謝しています。 社内向けエントリ(?)をがっつり書いたので「もういいか」とも思ってたのですが、ここ最近の某社のエントリに若干触発されてしまいました。あと、周りに「まだですか?」と煽られる。(人のせい) 社内向けのでも
※ このエントリは、はてなグループ終了に伴う、サブブログからの引越エントリ(2011/02)です。 ※ 情報が古い可能性もありますので、ご留意ください。 サーバが以下のエラーを残し OS ストール。 kernel: Uhhuh. NMI received for unknown reason b0. kernel: You probably have a hardware problem with your RAM chips kernel: Dazed and confused, but trying to continue該当サーバには ECC メモリを積んでいたので、おそらく2つ以上のエラーが発生し、NMI (Non-maskable Interrupt) が検出したということか。 "trying to continue" と書いてあるが、実際は2分後くらいに Reboot してしま
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
発表者 深野 祐也(東京大学大学院農学生命科学研究科附属生態調和農学機構 助教) 田中 陽介((公財)東京動物園協会 多摩動物公園) 曽我 昌史(東京大学大学院農学生命科学研究科生圏システム学専攻 准教授) 発表のポイント インターネットの検索データと動物園への寄付記録を使い、動物園と動物アニメ(けものフレンズ、注1)が、市民の絶滅危惧種への関心と保全のための行動に与える影響を、全国スケールで定量化しました。 日本各地の動物園と動物アニメの放映は、絶滅危惧種動物への検索数や閲覧数を大きく増加させていました。さらに、アニメの放映後、アニメに登場する動物への寄付が増加していました。 ウェブデータと動物園の記録を組み合わせることで、動物園やメディアといったこれまで定量化の難しかった普及啓発の効果を明らかにできました。また市民の関心の増加が、寄付という実際の保全行動につながることをはじめて示しまし
先週から香港が荒れている。各地の大学を中心とした抗議活動が活発化し、先週は中文大学、いまは理工大学で大規模な抗議活動が行われている。 そうした中で、中国人や台湾人の留学生が一時帰国するニュースが伝わってきました。 【香港の大学が「戦場」に 台湾人留学生126人が一時帰国へ】 香港中文大学で警察と学生の衝突が発生したのを受け、台湾で対中政策を所管する大陸委員会が、台湾人留学生の帰国手続きを現地事務所を通じて進めていることが分かった。 https://t.co/UUm03L7u3V#HongKongProtests — 黒色中国 (@bci_) 2019年11月14日 日本人留学生はどうしているのだろうか?と思っていたら、その後で報道が続きました。 【混乱続く香港 日本人留学生に帰国の動き】 「学内にはたくさんのバリケードが築かれていて、彼らは最後まで戦うつもりで備えていました。私たち留学生が
アニメ「鬼滅の刃(きめつのやいば)」の関連CDで、イスラム教に関する音声の不適切な使用があったとして、販売元のアニプレックスは2019年11月22日、CDを同梱する商品の出荷停止と回収を発表した。 同CDをめぐっては、モスク(イスラム教礼拝所)で礼拝を呼びかける「アザーン」が使用されていたとして、海外で批判を集めていた。 ■「私たちの宗教に対する侮辱とみなされる」ツイートも 「鬼滅の刃」は2016年から「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載されている作品。18巻まで刊行されている単行本の累計発行部数は1600万部以上にのぼっている。2019年4月から9月に掛けてはアニメ化もされた。 今回問題となったのは、19年10月30日発売のブルーレイ&DVD第4巻に同梱されたCDの収録音源だ。アニプレックスの発表によれば、「イスラム教に関わる音声の不適切な使用があったことが判明」したという。 同CDをめ
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