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ブックマーク / number.bunshun.jp (17)

  • 史上最年少15歳でドラフト指名され阪神へ…“神童”辻本賢人はいま、何をしている?「周りの人は僕が野球をやっていたことを知らない」(酒井俊作)

    「野球をやっていたことを知らない人が9割なので」 まだ桜がつぼみのまま閉じこもろうとしていた3月中旬、神戸の生田神社の近くにあるカフェで、ある翻訳家と話す機会があった。じっくりと向き合うのは久しぶりだった。あの頃をどのように過ごし、いまをどのように生きているのか……。彼と別れてから、ボイスレコーダーを聞き直した。ふと脳裏をよぎったのは、かつて読んだの一節だった。 《人間はひとりひとりがそれぞれじぶんの時間をもっている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。》(ミヒャエル・エンデ『モモ』岩波少年文庫、大島かおり訳) 翻訳家の朝は早い。彼とLINEでやり取りする時、メッセージが届くのはいつも午前4時である。海外と業務の打ち合わせをするために早起きするのだという。世の中が寝静まっている夜明け前に動きだすようになってから、ずいぶんの時が経つが、この

    史上最年少15歳でドラフト指名され阪神へ…“神童”辻本賢人はいま、何をしている?「周りの人は僕が野球をやっていたことを知らない」(酒井俊作)
  • 佐々木朗希20歳の完全試合は「漫画超え史上最高の105球」 過去15例と比べても破天荒な理由の数々〈13連続奪三振+19K+164km〉(広尾晃)

    フォークやツーシーム、チェンジアップなどの「落ちる球」「動く球」の進化によって、投手の奪三振は増える傾向にある。しかしプロ野球全体のレベルアップによって選手の実力差は小さくなり、完全試合や最多奪三振記録など「投手が打者を圧倒する」記録は、平成以降出現しにくくなっていた。 それだけに4月10日のロッテ・佐々木朗希がZOZOマリンスタジアムで見せた投球は、破天荒だと言ってよい。しかも相手は昨年のリーグ優勝チーム、オリックス・バファローズだった。 全く大げさでなく、日プロ野球84年の歴史で「最高の投球」と言っても良いのではないか。どんな野球漫画でもこんな記録は描けないだろう。故・水島新司は天上で何を思うだろうか? 佐々木朗希が達成した偉大過ぎる記録の数々 この日、佐々木朗希が達成した主要な記録を列記する。 ☆完全試合 史上16人目 1994年5月18日、巨人・槙原寛己が達成して以来約28年ぶり

    佐々木朗希20歳の完全試合は「漫画超え史上最高の105球」 過去15例と比べても破天荒な理由の数々〈13連続奪三振+19K+164km〉(広尾晃)
  • 2頭が安楽死、福永祐一は鎖骨骨折…香港スプリントの“落馬事故”はなぜ起きたのか? “わずか1秒半”の悲劇で、避けるのは不可能(島田明宏)

    12月12日に香港シャティン競馬場で行われた香港スプリント(芝1200m、3歳以上GI、12頭立て)で、4頭が落馬する事故が起きた。残念なことに、香港の2頭(アメージングスター、ナブーアタック)が予後不良(救命不能と診断され、安楽死処置)となり、日のピクシーナイトも骨折。落馬した4人の騎手のうち3人が病院に搬送され、福永祐一が鎖骨を骨折したことが判明した。 2頭が天に召されたことは悲しいが、福永を含め負傷した3人の騎手は事故発生直後から意識がはっきりしており、致命傷にならなかったことは不幸中の幸いだった。 突如発生した“アクシデント”の真相 アクシデントは、各馬がスパートをかけようとする4コーナーで発生した。 まず、3番手の外目を走っていたライル・ヒューイットソンのアメージングスターが前脚に突如故障を発生したと思われ、支えを失って転倒した。直後にいたザカリー・パートンのラッキーパッチが横

    2頭が安楽死、福永祐一は鎖骨骨折…香港スプリントの“落馬事故”はなぜ起きたのか? “わずか1秒半”の悲劇で、避けるのは不可能(島田明宏)
  • 「大谷翔平がそうだろ。これがプロだよ」セルジオ越後が6年前に語っていた“日本サッカーに辛口である理由”(武智幸徳)

    7月28日に77歳になるセルジオ越後氏。サッカー解説者としてなぜ“辛口な批評”をするのか。その理由を聞いた「Sports Graphic Number」掲載記事を特別に公開する。 〈初出:2015年3月19日発売号「〈来日から43年を経て〉セルジオ越後『僕が辛口である理由』」/肩書などはすべて当時〉 なぜ、セルジオ越後はいつも毒舌を吐くのか。'72年の来日以来、サッカー界の発展を考え続ける日系ブラジル人解説者の音と、願いとは。 1972年に日にやって来て「当に驚きだった」 日風にいうと終戦の直前、1945年7月28日に生まれたセルジオ越後が日サッカーリーグの藤和不動産(後のフジタ。現湘南ベルマーレ)にやって来たのは1972年のことである。 日リーグ初のプロ経験者として、ブラジル仕込みの華麗なテクニックを披露する日系2世に日のファンは度肝を抜かれた。一方、セルジオが日に来て最

    「大谷翔平がそうだろ。これがプロだよ」セルジオ越後が6年前に語っていた“日本サッカーに辛口である理由”(武智幸徳)
  • 横山典弘「はっきり言って全然足らない」武史「アドバイスは聞く。でも…」 父子が明かす“3代騎手ファミリー”の親子関係(藤井真俊(東京スポーツ))

    発売中のNumber1027号「ウマい騎手ってなんだ?」は日ダービー直前競馬総力特集だ。 名手と謳われた故・横山富雄を父に持つ典弘の三男・武史が今年のダービーで1番人気間違いなしの馬の手綱を取る。そこで、長男・和生も含めて父子3人が一同に会し、存分に語り合った記事を特別に公開する。 初出:Sports Graphic Number 1012号「横山典弘×横山和生×横山武史「横山家、勝負師三代の教え」~受け継がれる遺伝子~」(2020年10月8日発売/肩書等すべて当時) 武史 自然な流れですよね。 和生 口に出して親に伝えたタイミングはあります。でも当は小さい頃から自然と、いずれは騎手になるって思っていました。 典弘 馬乗りの息子として生まれて、ジョッキーという存在が当たり前の環境だったわけだから。俺が小さい頃はオヤジが負けた時は悔しいし、もちろん勝てばうれしい。自分がオヤジと一緒にレー

    横山典弘「はっきり言って全然足らない」武史「アドバイスは聞く。でも…」 父子が明かす“3代騎手ファミリー”の親子関係(藤井真俊(東京スポーツ))
  • 「24年もかかってごめんね」元SMAP森且行が3つに分かれた5人を再び“1つ”にした日(霜田明寛)

    森且行がオートレーサーを目指し、SMAPを脱退したのは1996年5月のことだった。グループの冠番組『SMAP×SMAP』放送開始の翌月である。 今では珍しくなくなってしまった、現役のジャニーズアイドルのグループ及び事務所からの脱退だが、当時は異例中の異例のことだった。特に森は、その歌唱力の高さから初期のSMAPを引っ張っていたメンバーでもあり、6人の中で最も早く連続ドラマで主演を務めたのも彼だった。 しかも、抜けたのは“1996年のSMAP”。 1991年に発売されたデビュー曲で、ジャニーズとしては珍しく1位を取れなかった当時を人たちが「僕ら、落ちこぼれだったからね」と振り返った話は有名だが、この年はそれまで溜まったパワーをいよいよ爆発させんとしているとき。 前年にはジャニーズとして初めて日テレビ系列24時間テレビのパーソナリティーに抜擢。前月から香取慎吾の初主演ドラマ『透明人間』と、

    「24年もかかってごめんね」元SMAP森且行が3つに分かれた5人を再び“1つ”にした日(霜田明寛)
  • 職人アニメーター西尾鉄也が語る、「人の身体のかっこよさを描くこと」(宮田文久)

    躍動する人間の身体を、アニメーションで描く――。 その道の第一人者にして、尋常でないこだわりを持つアニメーターがいる。その名を、西尾鉄也。キャラクターデザイン・作画監督を務めた代表作『NINKU-忍空-』のほか、『NARUTO-ナルト-』といった人気作品にも参加。現代日のアニメーション界を背負って立つひとりである。伝説的なアクションシーンも数多い。 アスリートの身体をどう伝えるかを日々考える編集部は、ぜひ話を伺いたいと、インタビューという“異種格闘技戦”を申し込んだ。稀代のアニメーターが、意外なスポーツ好きの一面も覗かせながら語ってくれた、「人の身体のかっこよさを描くこと」の奥深さとは――!? ――いきなりのインタビューのお願い、お受けいただいてありがとうございます! 「スポーツメディアさんからの取材なんて初めてですよ!(笑) でも、普段とは違うお話ができるんじゃないかと思って、受けさせ

    職人アニメーター西尾鉄也が語る、「人の身体のかっこよさを描くこと」(宮田文久)
  • 五輪ボランティアスタッフに学ぶ、従業員満足度と顧客満足度の連係。(葛山智子)

    番。夏というと、世界の2大スポーツイベントであるFIFAワールドカップやオリンピック(夏季)で繰り広げられた名シーンを思い出す。10年以上さかのぼるが、シドニーの地で颯爽と1位でオリンピックパークの中をかけ抜けゴールのあるスタジアム・オーストラリアを目指す高橋尚子選手を偶然目にした。偶然というのは、オリンピックを観戦していたのではなく、当時ボランティアとしてシドニーオリンピックに参加していたからだ。 実はオリンピックを陰で支えるボランティアの数は大変多く、シドニーオリンピックには5万人、前回のロンドンオリンピックでは6~7万人が参加したという。そのボランティアスタッフは夏の日差しの強い中、神経を使う仕事につきながらも、誰しもが自分の仕事に誇りを持ち、楽しんでいるように見えた。きっと読者の中にも、オリンピックやワールドカップなどで誇らしげに働くボランティアに遭遇した経験を持つ人もいるだろ

    五輪ボランティアスタッフに学ぶ、従業員満足度と顧客満足度の連係。(葛山智子)
  • スピードスケートだけでメダル6個!日本を変えたデビットコーチの4年間。(矢内由美子)

    平昌五輪で金3、銀2、銅1、計6個のメダル獲得と入賞9という成績を残した日スピードスケート勢。メダルゼロどころか入賞もわずか4だった'14年ソチ五輪からの大躍進の背景とは――。 '14年6月。日電産サンキョー・スケート部の今村俊明監督は、3人の選手を連れてスケート王国のオランダに向かった。'10年バンクーバー五輪では同社(当時)の長島圭一郎と加藤条治が男子500mでそれぞれ銀、銅メダルを獲得したが、ソチ五輪では2人とも入賞止まり。女子中長距離の高木菜那は入賞からも遠かった。 今村監督は高木、入社1年目のウイリアムソン師円ら中長距離の3選手とともに、オランダのプロチーム「ニューバランス・スピードスケートチーム」の門を叩いた。 簡単に受け入れてくれた訳ではない。日電産サンキョーが同チームのスポンサーフィーを払っての参加だった。今村監督はスケート仲間の知人を頼って情報を収集し、「良いコーチ

    スピードスケートだけでメダル6個!日本を変えたデビットコーチの4年間。(矢内由美子)
    tanakara_botamochi
    tanakara_botamochi 2018/02/26
    数字を見せられると他の選手と比べられてやる気が出る
  • 女子選手が必ず直面する思春期問題。伊藤華英が語る生理と競技の関係。(伊藤華英)

    近年女性アスリートの活躍が目立つ。 思い出してみるだけで、沢山のアスリートの名前や顔が浮かぶだろう。 スポーツの起源を辿ると、女人禁制だった古代オリンピックに対し、近代オリンピックでは第2回大会から女性の参加が認められ、近年の参加者は男女半々になっている。 さらに最近は、女性アスリートは新たな地位も確立してきている。「美人アスリート」としてスポーツのアイコンになったり、バラエティ番組で存在感を発揮するなど、親しみやすく、爽やかな印象と華やかな功績でスポーツ界を盛り上げる、まさに強さと美しさを兼ね備えた存在だ。 このように活躍する選手たちの多くは、10代の頃から芽が出て20代後半から30代で引退する瞬間まで、トップを走り続ける。開幕した世界水泳でも世界中から若い才能が集まっているが、特に水泳でオリンピックを目指すような選手は、幼少期から競技を始め、10代の頃から世界のトップで戦う選手がほとん

    女子選手が必ず直面する思春期問題。伊藤華英が語る生理と競技の関係。(伊藤華英)
  • 「肩をたたかれるまではやらないと」ヤンキース黒田博樹の自負と覚悟。(菊地慶剛)

    昨年末FAとなり、ヤンキースと1600万ドルで1年契約を結んだ黒田博樹投手。今シーズンも先発の柱として期待されている。 「またしんどい1年が始まるというのが一番ですね」 2014年の初練習を終えたヤンキースの黒田博樹投手は開口一番、苦笑いを浮かべながらこう呟いた。 世界最高峰のメジャーで長年にわたり投げ続けることは、決して簡単なことではない。ましてや来月には39歳になるベテランともなればなおさらだ。 それでもメジャーのマウンドに立つことができる黒田が、まさにメジャーでもごくわずかな“選ばれし選手”であることに疑いの余地はない。 残留か日球界復帰か引退か……考えた3つの選択肢。 しかし、そんな黒田でも、昨シーズンが終わった時点で日球界復帰のみならず、現役引退も真剣に考えていたという。 だが彼が最終的に下した結論は、自身にとって最も困難な道である「メジャー残留」だった。 「去年に関しては、

    「肩をたたかれるまではやらないと」ヤンキース黒田博樹の自負と覚悟。(菊地慶剛)
  • 名投手シリングの“告発”の行方は?薬物疑惑をもみ消すMLBの隠蔽体質。(菊地慶剛)

    レッドソックスの薬物問題に関して、2008年チーム在籍当時の話を証言したカート・シリング氏。過去、最多勝利2回、最多奪三振2回、ワールドシリーズMVPに輝くなど、メジャー屈指の名投手である。 何とも暗澹たる気持ちを拭いきれない。 キャンプ取材開始直前の2月上旬に、知り合いのMLB関係者から“これを読んでみてください”というメッセージとともにESPNの公式サイトのURLが送られてきた。 そこにはある記事が掲載されていたのだが、読んでいるうちに何とも言えぬ切なさがこみ上げてきてしまった。 内容はMLBが調査に乗り出したという、2008年のレッドソックスで起こった薬物疑惑に関するものだった。 MLBはレッドソックスから情報提供を受けた結果、薬物疑惑の“根拠無し”という結論に達し、調査を打ち切ったというものだった。 カート・シリング氏による薬物に関する驚きの証言。 事の発端はこうだ。1月にマイアミ

    名投手シリングの“告発”の行方は?薬物疑惑をもみ消すMLBの隠蔽体質。(菊地慶剛)
  • スポーツの見方が変わる?「ニコ生」という新潮流。~W杯最終予選×ネット中継の相性~(細江克弥)

    サッカー日本代表がW杯出場を決めた6月4日の夜、お台場のとある会場では1000人を超えるサポーターが一喜一憂を繰り返していた。 600インチの特大モニター、そのど真ん中に田圭佑のPKが突き刺さったのは、会場に“憂”の空気が充満しかけたその時だった。待ちに待った一番の歓喜の瞬間に、1000人のサポーターが沸く――とここまでは、よくあるパブリック・ビューイングの光景である。 ステージの隅に設けられた小さな雛壇では、インターネット動画サービス『ニコニコ生放送』の中継が行なわれていた。出演者は19インチの小型モニターを見ながら高くも低くもないテンションでサッカーを語り、時折、目の前のサポーターではなく“ネット”の向こう側に話し掛ける。この日の視聴者は約13万人。決戦の舞台となった埼スタが誇るキャパシティーの2倍である。 世の中の仕組みを変えたインターネットは、どうやらスポーツの観戦スタイルも変え

    スポーツの見方が変わる?「ニコ生」という新潮流。~W杯最終予選×ネット中継の相性~(細江克弥)
    tanakara_botamochi
    tanakara_botamochi 2013/07/08
    FC琉球の試合を放送していたのが懐かしい
  • 「アツいぜ!チケット」返金続出で考えさせられた“ファンのあり方”。(鷲田康)

    「最高のプレーをしても『金を返せ』と言われるんじゃ選手のモチベーションが下がるだけだよ」と語った中畑清監督。ただし、この企画のネタでスポーツ新聞の一面を飾るなど、宣伝効果は抜群だったという声も……。 スポーツ紙の記者になったころ、一番嫌だったのはナイターシーズンの内勤仕事だった。 ナイターをやっているときに、会社で細かいメモなどの原稿や写真のキャプションを書くのが役割だが、実はもっと大事な仕事が待っていたのである。 それは巨人が負けたときの苦情電話の処理係だった。 会社に入った当時は、まだ各部署がダイヤルインではなかった。代表番号(これが新聞には必ず載っているから始末が悪い!)にかかってくる電話を、交換台のお姉さまたちがつないでくれるシステムだった。ナイターで巨人が負けたときにはデスクの脇のいくつかの電話が“苦情専用”となって、試合終了直後からひッきりなしに鳴り響くのである。 「読者からで

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  • 楽天・田中将大と広島・前田健太。邂逅の日を待ちわびる2人のエース。(氏原英明)

    ふたりの沢村賞受賞コメントは以下の通り。「まだまだ歴代の方、現役でやっている沢村賞をとった方に実力的に及ばないと思う」(前田健太・写真左)。「僕の中では、投手のタイトルで一番大きい物はこの『沢村賞』と捉えていました」(田中将大) 同い年でありながら、また、高校時代はエースとして甲子園に出場しながら、公式戦での対戦がない2人――。 ダルビッシュら球界を代表したピッチャーがメジャーへ活躍の場を移すことになりそうな2012年。これからの注目は、この2人がいつ対決するかではないだろうか。'11年と'10年の沢村賞投手同士による名勝負にプロ野球の未来を託すのは早計ではないはずだ。 振り返れば、高校時代から田中と前田は不思議なほど交わらなかった。 この舞台でふたりの対峙を見られたなら……と何度思ったことか。 関西出身の2人は、ボーイズリーグに所属した中学時代から顔見知りの存在である。しかし、駒大苫小牧

    楽天・田中将大と広島・前田健太。邂逅の日を待ちわびる2人のエース。(氏原英明)
  • 実は言葉の人、落合博満。オレ流語録8年分、一挙公開!(村瀬秀信)

    退任の記者会見にて「中日以外のチームから監督のオファーがあればどうしますか」との質問に対し、「話があれば聞く」と答えた落合博満氏。「初老の男性に戻った。映画館の右の後ろで女房と映画を観たり、温泉にでも行きたいと思います」というコメントも残している 非常に楽になりました。監督という肩書は結構重たい。それを外して、普通の57歳か58歳の初老の男性に戻ったということじゃないでしょうか――。 11月22日。中日ドラゴンズ・落合博満監督の退任会見が名古屋市内で行われた。キャンディーズの解散会見、いや、10月31日にあった橋下大阪府知事の「普通の42歳に戻りたい」発言に続く、異能者たちだけに許された「普通の○○に戻る」発言は、落合博満がドラゴンズ監督としての重責を全うしたことを告げる最後の言葉となった。 思えば監督就任となった'03年10月8日の会見での、「どういうタイプの監督になるかは誰にもあてはま

    実は言葉の人、落合博満。オレ流語録8年分、一挙公開!(村瀬秀信)
  • 高木豊 「“蛙の子は蛙”ではない」 ~プロ野球選手の息子3人がサッカー選手になったわけ~(安藤隆人)

    ときに励まし、ときに挑発する。俊足巧打でならした名プレイヤーは、 自身とは違う道に進んだ息子たちに対して、父親としてどう接したのか。 高木家独自の教育方針に基づいた3兄弟への三者三様のアプローチに迫る。 「野球? やらせたいなんて全くなかったね」 『蛙の子は蛙』というが、高木豊にはこの概念は存在しなかった。かつて大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、日ハムファイターズに在籍した俊足好打の名選手。大洋時代は屋鋪要、故・加藤博一両氏と共に『スーパーカートリオ』として名を馳せた。現在はプロ野球解説者として、テレビや雑誌で幅広く活躍するが、彼の3人の息子たちは今、野球界ではなく、サッカー界に身を置いている。 清水に所属する長男・俊幸(20)、東京Vに所属(6月20日にオランダ・ユトレヒトへの移籍が発表)する次男・善朗(18)、東京Vユースに所属する三男・大輔(15)。3兄弟とも、世代別日本代表に選出

    高木豊 「“蛙の子は蛙”ではない」 ~プロ野球選手の息子3人がサッカー選手になったわけ~(安藤隆人)
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