1990年秋、社会人野球の強豪、三菱自動車京都のグラウンド。伊藤は隣で投球練習していた同僚の永田晋一に声をかけた。「スライダーの投げ方を教えてください」。伊藤は花園高を出て2年目。直球とカーブしか持ち球がなく、同じ相手と何度も対戦する社会人野球で投球内容が苦しくなっていた。 スライダーを得意としていた永田は「ボールの縫い目に人差し指と中指をはわせ、チョップするように横回転を加える」典型的な投げ方を伝えた。伊藤の飲み込みは早かった。「すぐに私のスライダーを超えられました。ホームベースの幅を完全にまたぐくらいの大きな曲がり方だった」。現役引退後、投手コーチも務めた永田は懐かしそうに当時を振り返る。 ▽“球持ち”武器に 永田は伊藤のキャッチボールを見て気づいていた。長い手足を生かしたしなやかなフォーム。「肩、ひじ、手首と関節が異常に柔らかいと思った」。事実、伊藤は手の甲を反り返らせて指を手首にく