荒俣宏の『プロレタリア文学はものすごい』(平凡社新書)は、すでに絶滅したプロレタリア文学をSFやホラー、エロ小説として読み直していて、じつにおもしろい。 たとえば平林たい子の小説には、セックス、出産、生理、排便、はては痔の話まで、エログロと呼べるほどの描写があふれている。平林たい子はこうした「女を捨てた描写」によって、プロレタリア文学界を生き抜いた。しかし貧しき民衆の最底辺の生活を赤裸々に描いた平林であるが、自身は幼少の頃から英才教育を受け、トルストイやドストエフスキーを読破するインテリ女性であった。 プロレタリア運動において、いち早く情況に目覚めて女性解放のリーダーとなったのは、女教師たちだったという。そのため昭和初期、プロレタリア運動の高揚期に登場した女流作家の多くは、女教師を主人公とした物語を書き綴った。階級意識に目覚めた女教師が、旧体制に縛られた学校の中で、校長を批判し、同僚と戦い