2013-12-03 先生、その教え方では差別はなくなりません。 雑記 ぼくのいた銀行ではこの季節、同和教育を受けるのが年中行事だった。定年後の学校教諭から2時間程度の講義を聴く。 講義は、被差別部落出身者やハンセン病罹患者の体験談の紹介から転じて、こういう言葉遣いは身体障がい者を傷つける、こういう習慣は差別の温床になる、という事例(出自、病気、身体の欠損、性、宗教、あるいは慣習)がたくさん紹介され、そのような事柄を知らないことこそが最も罪深い、と締めくくられる。 ぼくは毎年、この教育方法では差別はなくならないよなあ、と感じていた。はて。 1.知らないことは罪深いのか 幼いころから、ぼくの周りには部落出身者はいなかった。実際にいたのかどうかはわからない。ぼくが部落という概念を知らなかっただけだ。相手がどこの地区の出自だろうが、目の前にいるひとりの人間として好きな人は好きだったし、嫌いな人と