宇多田ヒカル @utadahikaru 有名無名問わず、誰かがメディアでした話から別の誰かが一言だけ抜き取って、文脈から切り離してネットで持ち出して、そこから少数派を除いた多くの人がソースの文脈を参照しようとしないまま自己投影に基づいた批判や擁護(つまり妄想)のたたき台にして論争が繰り広げられる現象にまだ名前ないのかな 2018-07-17 19:55:02

モーダスポネンス(ラテン語: modus ponens、MP)とは、論理学における妥当で単純な「論証」である。ラテン語で「肯定によって肯定する様式」の意。前件肯定(affirming the antecedent)または分離規則(the law of detachment)とも呼ぶ。 推論の最も典型的な形式であり、一般に次のような形式である。 P ならば Q である。 P である。 従って、Q である。 論理演算の記法では次のようになる。 ここで、 は論理的帰結関係を表す。 モーダスポネンスを次のように表記する場合もある。 これらはいずれも前提条件が2つ存在する。第一の条件は条件文または論理包含演算であり、Q が P を包含することを示す。第二の条件は P であり、第一の条件の条件部分が真であることを主張している。これら2つの前提から論理的に Q が真であることが導かれる。 以下にモーダス
P ⇒ Q のベン図による表現 同じくベン図による表現 論理包含(ろんりほうがん、含意(がんい)、内含、英: implication、IMP)は、第1命題が偽または第2命題が真のときに真となる論理演算である。条件文(じょうけんぶん、英: conditional)とほぼ同じものである。論理的帰結(英: logical consequence)や伴意(英: entailment)とは異なる物である。 2つの命題 と に対する論理包含を (または )と書き、「 ならば 」、「 は を含意する」、「 は の十分条件」と読む。また の形をした命題を仮言命題(hypothetical proposition)、 をその前件(antecedent)、 をその後件(consequent)などと呼ぶ[1]。 ペアノは、1889年に出版した『算術の諸原理(羅: Arithmetices Principia:
by World Bank Photo Collection 「『相手が理解する言葉』で話せば、言葉は相手の頭にまで届くでしょう。でももし『相手の言葉』で話したら、言葉は相手の心にまで届きます」という言葉を残した元南アフリカ大統領のネルソン・マンデラ氏が無意識に使っていたと言われるのが「外国語効果」です。交渉力に優れていたマンデラ氏が使っていた外国語効果とはどんなものなのか、Mapping Ignoranceがまとめています。 Mandela was right: the Foreign Language Effect | Language | Mapping Ignorance http://mappingignorance.org/2014/02/03/mandela-was-right-the-foreign-language-effect/ マンデラ元大統領は1964年に国家反逆罪
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ヒルベルト・プログラム" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2019年6月) ヒルベルトは、その証明を形式化することで、数学全体の完全性と無矛盾性を示そうと考えた。具体的には、 数学において真である命題は必ず証明できること 公理から形式化された推論をどれだけ行っても、矛盾が示されることは絶対にないということ という事実を、有限の立場と呼ばれる確かな方法を用いて証明しようとする計画である。有名なヒルベルトの23の問題の2番目で、実数論の無矛盾性の証明を挙げている(よく自然数論の無矛盾性をさすものと誤解されている)。 1900
思考を論理的に組み立て,相手が理解できるように分かりやすく表現すること・・・ 簡潔に言えば,言語技術教育,コミュニケーション・スキル教育の目的はそこにあります。これは,豊かで実りある社会生活を営む上で必要不可欠な技術であ ると同時に,国際社会で日本人が堂々と自己主張をしていく上で欠くことのできない技術でもあります。なぜなら欧米諸国では,言語技術教育が国語教育の本質 であり,先進国の中でこの技術教育を行っていないのは日本だけ,と言っても過言ではないのが現状だからです。 言語技術教育は,言葉を覚え始めた幼児期からトレーニングを開始し,子どもの発達に合わせて,系統的,段階的に「聞く・話す・読む・書く」の「言語の四機能」を鍛錬します。人前で話す能力や議論の能力,巧みに文章を書く能力や論文を書く能力は持って生まれた才能ではなく,トレーニングによって誰でも身に つけることができるものなのです。
田舎のタクシーに乗ったら運転手さんから政治の話を振られて面食らった――。そんな経験は無いだろうか。 今では想像できないけれど、一昔前まで政治はカジュアルな話題だった。それこそ天気や野球と同じように、初対面同士に最適だとされていた。新書や新聞、ドキュメンタリー番組が現在よりも好まれており、政治へのリテラシーが高かった。さらにマスメディアが情報を統一していたため、政治的立場が対立することはまず無かったのだ。情報ソースが多様化した現在、政治の話はあまりにもコントラヴァーシャルで軽々しく口にできない。初対面の相手とだなんて、もってのほかだ。 しかし、である。 社会問題や経済、政治に無関心な“ふり”をするのが処世術になってしまうのは危険だ。それらが地震や台風のように「関心を払っても防ぎようがない」ものとして扱われるからだ。当たり前だけど、あらゆる社会問題は人間が巻き起こすモノ。である以上、私たち一人
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言葉の力 - 「作家の視点」で国をつくる (中公新書ラクレ) 作者: 猪瀬直樹出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2011/06/09メディア: 新書購入: 5人 クリック: 100回この商品を含むブログ (22件) を見る言語技術について 動機がなければ当然、言語技術の必要性を認識できない。動機や好奇心がなければ、ただ「本を読みなさい」と諭されても、読書への興味が湧かないのは、無理からぬこと。 直感的に自分がいいと思ったものを他人にきちんと説明できるような力が言語技術である。俳句や短歌も言語技術である。 ヨーロッパ型の言語技術を身につける教育をしながら、俳句や短歌のような日本語のリズムにもとづいた言語技術も学ぶ必要がある。両方をきちんと身につけると、日本人は言葉の力で有意に立つことができる。 社交ベタは言語技術の問題と深いところでつながっている。元来、口下手な日本人にとっていち
東大卒。自分はギリギリで東大理Iに受かったぐらいの大したことのない頭の持ち主だが、東大に入ったおかげで、色々な東大生を見ることが出来た。その結果、論理操作能力というのは極めて遺伝的なものであるという事実を知ることが出来た。東大の中でも頭がイイ奴は、特に、時間あたりに操作できる論理操作の数が常人の数倍は速く、常人より1桁正確だと思う。この事実を知ることが出来たことが、東大に入って最も良かったことの一つだと思っている。 お勉強が出来るだけでは社会に出ても役に立たないというのは、その通りだと思うのだが、論理操作能力が速くて正確なことは社会に出る上で非常に役に立つ。特に、議論で圧倒的に有利になる。議論って言うのは、実は、試験よりも速くて正確な論理操作能力が要求される。その場で返答しなければいけないからだ。試験だったら、その場でとっさに答えを思いつかなくても、「とりあえず置いておいて、試験時間終了間
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詭弁の特徴15条 1:事実に対して仮定を持ち出す「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」2:ごくまれな反例をとりあげる「だが、時として尻尾が2本ある犬が生まれることもある」3:自分に有利な将来像を予想する「何年か後、犬に羽が生えないという保証は誰にもできない」4:主観で決め付ける「犬自身が哺乳類であることを望むわけがない」5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」6:一見関係ありそうで関係ない話を始める「ところで、カモノハシが卵を産むのは知っているか?」7:陰謀であると力説する「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良いアメリカが画策した陰謀だ」8:知能障害を起こす「何、犬ごときにマジになってやんの、バーカバーカ」 9:自分の見解を述べずに人格批判をする「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」1
息子が、どうしても見たいというので、映画版『ライアーゲーム』を観てきた。あの論理的な戦略バトルが楽しいのか、それとも実は戸田恵梨香ちゃんにやられちゃったのか定かではないが、(実はぼくはこっそり恵梨香嬢にやられている)、親としては「アバターのほうに行きてえ」と密かに思いながらも仕方なく観に行った次第。いや、ところがどっこい、映画版『ライアーゲーム』はとてつもなく面白かった。ゲームの構造が、完全に協力ゲームなんだね。しかもコア解が存在しないタイプの。意味分からない人は以前にぼくがwiredvisionでライアーゲームと協力ゲームの関係を説明したhttp://wiredvision.jp/blog/kojima/200706/200706191246.htmlを参考にしてちょ。映画版は、戦略的なトリックもさることながら、エンディングの意味深な結末がすばらしい。ここでは詳しくは述べないけど、横矢の
まともな政策の簡単な見分け方、それは「基準を問う」こと。「既得権の打破」を叫ぶ人には、「既得権と正当な権益とをどうやって区別するのか」を問おう。「官僚主導の打破と政治主導の実現」を叫ぶ人には、「官僚主導と政治主導とはどのような基準で判定されるのか」を問おう。「無駄な公共事業の撤廃」を叫ぶ人には、「無駄な公共事業と無駄でない公共事業とをどうやって区別するのか」を問おう。これらの問いに答えられないなら、これらの主張は「政策」の名に値しない。単なる人気取りのための「かけ声」だ。有権者が、政党や候補者に対し、しつこいくらいに「基準を問う」態度を身につけること。これが、日本がポピュリズムから抜け出し、真の民主主義国家に成長するためのカギだと思う。
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