フキダシの中に擬音が入っているのは固有のニュアンスを持って聞こえているのだなどと理解できるのですが、フキダシの中に無音(…)が入っているだけというものがどうしても納得できません。 絵で補完してあるものの場合なら「(本人は)話している・話したいが(周りには)声になっていないのだな」等と理解はできるのですが。 話さないなら何故わざわざフキダシを使った!と見る度に気持ち悪くなるので、何か納得できる落とし所なんかを考察して頂けたら嬉しいです。 web拍手よりこのようなコメントをいただきましたので、ちょいと三点リーダの使い方について考えてみたいと思います。 三点リーダ、つまり「…」です。漫画や小説のセリフ部で、なんらかのセリフを伴って使われたり、あるいは単独で使われたりします。 前者の場合は、発言の「間」を意味すると考えるのが妥当かと思います。 (もやしもん 7巻 p142) 「そうなんか」の後に「