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┐(´ー`)┌に関するtororo-imoのブックマーク (87)

  • テポドン2情報でデマを流した日本マスコミはロシアに謝罪し、訂正報道を行え!

    昨日の記事「テポドン2、衛星軌道投入に失敗か。時事通信は大誤報」でお伝えしたとおり、時事通信はインタファクス通信を引用する形で、ロシア外務省のネステレンコ情報局長が発言してもいない「北朝鮮は衛星を軌道に乗せた」「衛星の軌道は特定された」というコメントを捏造。また時事通信以外にも産経新聞などが同様の記事を書いた上、各TV局も今朝の報道番組で同様の内容を放送。あたかもロシア北朝鮮のテポドン2による衛星打ち上げが成功したことを確認したかのようなデマ報道を流しました。 実際にはネステレンコ情報局長は「テポドン2は予告どおり東に向けて正常に飛翔した」と述べただけであり、ペイロードは人工衛星として打ち上げられた事は認めていても、衛星が地球周回軌道に乗ったかどうかについて一切言及しておらず、軍の専門家の情報分析結果を待つと述べていました。昨日の時点でロシア軍が把握していたのは、テポドン2の第一段ブース

    テポドン2情報でデマを流した日本マスコミはロシアに謝罪し、訂正報道を行え!
    tororo-imo
    tororo-imo 2009/04/07
    誤報に対する謝罪は行って当然であると思うが、それが出来ていたら「マスゴミ」なんて揶揄されませんてw / 当然訂正報道もないでしょう。それが「日本のマスゴミ」というものです。「ゴミ」なのですから。
  • iPodが終わる時 - ハックルベリーに会いに行く

    CDが売れなくなった一番の原因は、中身(楽曲)がつまらなくなったというよりも、「CDで音楽を聞く」という行為そのものがオシャレじゃなくなったことだと思う。有り体に言うとダサくなった。昔はそうじゃなかった。昔はCDで音楽を聞くことがオシャレな時もあった。あの虹色に光るキラキラとした円盤が、プロダクトとしても魅力的に見えたことがあった。それを聞くことが、単に行為としても楽しい時代があったのだ。 そこにiPodが現れた。するとそれは、あっと言う間にCDに取って代わった。MP3プレーヤーは他にもあったし、機能面での優位性があるわけでもなかった。にも関わらず、iPodはメインストリームとなった。それはオシャレだったからである。iPodで音楽を聞くという行為そのものが、オシャレで、格好良く、ドキドキさせられ、楽しい行為だったのだ。デザインの良さやUIの楽しさ、Apple Storeで音楽を買うことの目

    tororo-imo
    tororo-imo 2009/03/23
    「CD」が売れなくなった原因も理解していないし、携帯音楽端末が「iPod」しか売れていないとも思ってるらしい。なんという「情報弱者」なのかwww / このような「似非」分析は信じてはいけない。
  • 死ぬことは悪くない - ハックルベリーに会いに行く

    死ぬことは悪くない。それは全く悪いことではない。自然で、当たり前のことだ。自殺だろうと他殺だろうと、病気だろうと事故だろうと、何だろうと、死ぬのは当たり前のことだ。人間は――命は、死ぬようにできてるのだ。陳腐な言い方だが、死ぬことが運命なのだ。 それに、もっと広い視点で見れば、死ぬことは良いことだったりする。残酷な話だが、人間という「種」は、実は個々人が死ぬことで生きながらえている。それによって、新陳代謝を確保している。人間単体でも、よく「新陳代謝がだいじ」などと言う。しかし新陳代謝は、古い細胞が死ぬことによって保たれているのだ。個々の細胞が適度に死ぬことによって、フレッシュな状態を確保している。それと同じで、人間という種も、個々人が死ぬことによって、フレッシュな状態を保っている。また保ってきた。 個々の人間は、あるいは個々の「生命」は、リレー走者たる運命を生まれながらに背負わされている。

    tororo-imo
    tororo-imo 2009/02/18
    なんという中二病www / それとも、いい歳したオッサンの酔っぱらい人生訓か何かですか?www
  • 革命的非モテ同盟跡地

    tororo-imo
    tororo-imo 2009/02/04
    「革命的非モテ同盟」を名乗れば集客できると思った浅はかさ、名ばかりのfurukatsuプロデュース、そして、告知時間の短さ、すべて、furukatsu自身の怠惰によって決定づけられた、「失敗すべくして失敗した」イベント。
  • id:y_arimさんは一度ガツンと殴られた方が良い - ハックルベリーに会いに行く

    id:y_arimさんは、自分のことが好きになれないと言っている。そうであるなら、一度ガツンと殴られた方が良い。これは比喩的な意味ではなく、文字通り、肉体的に、ガツンと一発(あるいは二発三発)殴られるということだ。アントニオ猪木さんにビンタしてもらうのでも良いが、一番良いのは、ボクシングジムに通うことだ。そこでトレーニングを積んで、スパーリングをするまでになれると良い。そうして、そこでガツンと殴られるのだ。どうせなら、ノックアウトされるくらい、手ひどく殴られると良い。いわゆる、ボコボコにされるというやつだ。 殴られるというのは、当に大きな効果がある。それはアイデンティティを粉々に打ち砕かれるし、生命の危機を感じる。耳の奥でツンと耳鳴りがして、頭がクラクラとする。意識が朦朧とする。そうした中で、身体の内奥に、何かたぎるような情念のほとばしりが生まれるのである。それが、生きるということの欲求

    tororo-imo
    tororo-imo 2009/01/23
    マッチョ思考のススメwww / しかし、休んだらマトモな事を書くようになるかと思ったら、輪をかけてくだらない(=価値のない)エントリに時間を費やすようになってるなw / ま、個人の自由だ。好きにすればいいw
  • タケルンバさんについて、少し。 - ハックルベリーに会いに行く

    @y_arim 答えを出して、正しいかどうかを検討する場ではないからセクハラではないよ。絶対的に正しい正答はないという状況下でないとGDは成立しない。価値観が問われるのは確かだが、ビジネスではもっと厳しい選択を迫られるのが常なので、これでハラスメントなら働けないよ。Twitter / Lord TAKERUNBA: @y_arim 答えを出して、正しいかどうかを検討す ... これはタケルンバさんのTwitterでの発言だが、彼の大きな誤りは、議論というものに考えなしに価値を置いているところである。そのことが、状況を見誤らせ、彼の発言をおかしなものにしてしまっている。タケルンバさんは、「ここはとにかく議論の場なのだから、議題そのものはさして重要ではなく、話し合うという行為そのものに重きを置くべきだ」ということを言いたいのだろう。議論を一種の神聖なものとして、その聖域を守ろうとしているのであ

    tororo-imo
    tororo-imo 2009/01/23
    「他人を慮る力が、決定的に欠けているのだ。」id:aurelianoは、こういう「自爆発言」を平気でするところが「お笑い」としての「芸」なんだろうな。所詮は「笑われ芸」なわけだが。本人はマジなのかもしれんけど。
  • 他人を傷つけてしまうという考え方こそおこがましい - ハックルベリーに会いに行く

    昔、先輩から言われた言葉。「お前は一体何様なんだ? 人を傷つけてしまうだ? その考え方こそがおこがましいわ。良いか、誰もお前の言うことなど気にしていない。お前に何を言われたって、蚊に刺されたくらいにも思っていない。お前のようなボンボンのヒヨッコの甘チャンに何言われたって、全く気にならない。それを偉そうに、何が『人を傷つけてしまうかも知れないだ』こら。自惚れるな。他人は、お前のようにちゃらんぽらんの弱虫の意気地なしの考えなしではない。みんな、自分の足で立って、自分の考えを持って、ここまで頑張って生きてきたんだ。お前ごときに何を言われようと、今さらびくともしないわ。他人をナメるのもたいがいにしろ。お前がまず考えなければならないのは、そういう人たちに対して、どうしたら話を聞いてもらえるかということだ。どうしたら気にしてもらえるかと言うことだ。どうやったら言葉を届かせられるかということだ。まずはそ

    tororo-imo
    tororo-imo 2008/12/28
    なんかブコメ欄で言及されたっぽいので、反応。私にとって、id:aurelianoは嫌悪の対象ではあっても、好意は持ちようが無い。プライドだけは高い、頭の悪いオッサンを馬鹿にしているだけですよ。>>id:tamamusi
  • S先生はNに謝れと言った - ハックルベリーに会いに行く

    Nという少年がいた。彼には際立った特徴があった。それは感受性が豊かということだった。特に彼は絵が抜群に上手くて、ちょっとクレヨンを振るえばそれでもう大人たちはこぞって誉めてくれた。凄いとか抜群だとか褒めそやした。彼はそれがイヤだったわけではない。ただそれほど誇りにも思わなかった。彼にはそういうところがあった。どこか傲慢だったのかも知れない。他人の評価というものにほとんど興味がなかったのだ。 Nは小学校に上がった。そこで忘れ得ない先生との出会いを果たす。その先生の名前はS。もう五十代後半のベテランの女性教師だった。後数年で定年を控えていた。そうして、同僚からも保護者たちからも信頼の厚い、また非常な尊敬を集める人物であり教師であった。 NとS先生とのあいだには忘れ得ぬ思い出がある。一つは国語の授業の時のことだ。その頃、国語の授業では朗読が行われていた。クラスの端から順にみんなの前で国語の教科書

    tororo-imo
    tororo-imo 2008/12/26
    なにこの「中二病告白日記」www / これが「面白いことについて書く」人のエントリかwww ここ最近のエントリは、その主旨から全く外れているねwww / これを「面白い何か」だと思っているのなら・・・人の感性はそれぞれかw
  • 『『非モテ千日行満行祈念日 - [セ]日露アナルファック戦争 大セックル帝国皇帝御坐所』へのコメント』へのコメント

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    『『非モテ千日行満行祈念日 - [セ]日露アナルファック戦争 大セックル帝国皇帝御坐所』へのコメント』へのコメント
    tororo-imo
    tororo-imo 2008/12/25
    自分が語っている文脈がどのように読まれるかも理解していないらしいwww /「非モテ *全般* がクソみたいな一般論で批判される謂れがないのも分かっていますよね」あたりまえじゃんwそんな批判はしたことがないwww
  • 他人の気持ちを慮れないことが蔑まれた原因だ - ハックルベリーに会いに行く

    「勉強ができる」というのは別に蔑称でもなんでもない。蔑まれたと感じるのは、そう思い込んでいるだけだ。被害者意識をこじらせた結果である。 こういう記事があった。「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記それ以来、私には「頭のいい子」という称号がついて回った。賞賛の意味でそう呼ばれることが多かったが、「変わってる」「すかしてる」という意味での蔑称として呼ばれることもあった。だから、私は「頭がいい」と言われることが、どうしても好きにはなれなかった。「まじめ」「いい子」という呼び名も、同じ意味で嫌いだった。 そう言って、この人は「頭がいい子」というのが蔑称であったと主張する。そうしてそれは、勉強ができる子に特有の問題だとする。日には、勉強ができる子を蔑むような風土があって、それで自分は苦しい思いをさせられてきたし、また他にもさせられている「勉強のできる」人々がいると。 確かに、そういう場合

    tororo-imo
    tororo-imo 2008/12/25
    id:aureliano自身にはね返ってくる見事なまでのブーメランエントリwww / ま、id:aurelianoは自身がバカにされていることにすら気づいていないようだから、こういう「上から目線」発言を臆面も無くできるのだろうwww
  • コミュニケーション能力という幻想 - ハックルベリーに会いに行く

    増田にこんな記事があった。新卒時の面接でさえなかなか通らない位コミュニケーション能力に欠けている。(中略)コミュニケーション能力がない人間は職もないとじわじわ選択を迫るのならいっそのこと殺してほしい。30歳で死のうと思っている ここで増田は「コミュニケーション能力」などと言っているが、しかしそれは幻想だ。コミュニケーションは「能力」ではない。「意志」である。アメリカという国そのものの礎を築いたベンジャミン・フランクリンは、自分のつたない話し方が長年のコンプレックスだったらしいが、長じるに連れ、「むしろつなたない話し方の方が多くの人が丁寧に聞いてくれることに気付いた」と言っている。そこから、人前で話すのが億劫ではなくなったそうだ。 「コミュニケーション能力が低い」などというのは言い訳に過ぎない。要は「コミュニケーションしたくない」というだけなのだ。する意志がないだけなのである。それを能力など

    tororo-imo
    tororo-imo 2008/12/21
    まぁ、こういう考えを持っているのもいいんじゃね?それは個人の自由だし。/ この言説のような説教をするようになったら、もう、「老害」と言えるレベルでの害悪でしかないと思うけど。説教しなきゃそれでいいよw
  • 普遍的な美というものを考える - ハックルベリーに会いに行く

    id:y_arimさんから以下のようなコメントを頂きました。y_arim id:aureliano ちょっと言葉が足りませんでした。普遍的な美的感覚というものは存在しうるとお考えなのか、美的感覚というものをどの程度まで個人的あるいは相対的なものとお考えなのか、というあたりをお聞きしたいですhttp://b.hatena.ne.jp/y_arim/20081215#bookmark-11307294 ですので、普遍的な美について、ぼくの考えるところ書きます。 まず「美」というものも、他のあらゆる概念の同じように「矛盾した存在」である。なぜなら「醜いまでの美しさ」「美しいまでの醜さ」というのもまた存在するからだ。そうして真の美しさの中には、これも他のどの概念とも同じように、適度な醜さというものが含まれていて、それが隠し味になっている。両者は極めて不可分性が高く、メビウスの輪のような循環構造にな

    tororo-imo
    tororo-imo 2008/12/17
    「これは本当にひどい」www / そうか、やはりid:aurelianoは、「矛盾」という言葉の意味自体がわかっていないんだなw / 自分の主観的価値観に普遍性を持たせたり。/ これも真面目に受け取ってはいけない文章なのだろうw
  • 「当たり前」という考え方が最も危険だ - ハックルベリーに会いに行く

    マネジメントの話。二人のボスがいたとする。 ボスAは、部下が仕事の報告をするのは「当たり前」だと思っている。だから、それを報告する時の部下の気持ちは考えない。そのため、もしそこで部下が成功を報告すれば、喜ぶし誉める。逆に、部下が失敗を報告したとしたら、遠慮なく叱責する。Aは、それが公正な態度だと思っている。それを部下のためだと思っている。部下を育てるためにそうやっていると思っている。彼としては善意のつもりなのだ。しかし、部下にしたら、誉められる時は良いが、叱責されたらやはり面白くない。彼はもちろん、そのボスの考える「善意」などというものは受け取らず、ただ、嬉しかったとか面白くなかったとか、そういう気持ちだけが残る。そうして、もうあまり面白くない思いは味わわないようにしたいと思う。するとどうなるか? 良いことは報告するが、悪いことは隠すようになるのである。上司がいくら「それを報告するのは当た

    tororo-imo
    tororo-imo 2008/12/15
    気持ちいいくらいまでの駄文。/ id:aurelianoはボスAにもボスBにも、そもそも人を育てる側になれなかった人間なんだろうなw
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    tororo-imo
    tororo-imo 2008/12/12
    ま、id:aurelianoは華麗にスルーかね。自分に都合の悪い質問はとことん無視だから。彼の人に「誠実さ」を求めてはいけない。/ と書けば、id:aurelianoも返信せざるを得ないかな?www
  • ぼくも始終ネガティブコメントをもらっているよ、という話 - ハックルベリーに会いに行く

    トラックバックを頂いた記事の中に、興味深い一節がありました。 かんなぎ騒動で思い出したけど、池田理代子も「漫画を描くのを止めろ」という脅迫の手紙を受け取ったことがあるよ、と言う話(1979年、講談社Be-Loveより) - 情報中毒者、あるいは活字中毒 なんでも、池田理代子さんは昔のマニア――いわゆるオタク受けがすごく悪かったそうなんですが、かくいうぼくも、じつはオタクと呼ばれる連中には相当ブログの受けがよくないのです。なにしろ、彼らはまず大衆受けするという、そのことだけで、ブログ価値が低いと決めつけてしまうのですから……。たぶん彼らにはなにかしらチンケなエリート意識みたいなものがあって、“大衆”というものを軽蔑しているようなところがあるのでしょう。彼らに共通してるのは、例外なく、自分の感覚や美意識をぜったいだと思いこんで、そこから一歩も出ようとしない点です。好みや主観だけが、ものごとの価

    tororo-imo
    tororo-imo 2008/12/10
    改変ネタ・・・だよな?ものすごくつまらないけれど。/ ネタの皮をかぶった本音なら、救いようもない。つまり、「ネタとしてつまらないし、本音ならアホ」という駄文そのもの。
  • プレゼンテーションを成功させるための9つのステップ - ハックルベリーに会いに行く

    はじめに前回、プレゼンテーションについての記事を書いたら大きな反響を頂いたので、今回も引き続きプレゼンテーションについて書いてみたい。 ぼくはアイデアを出すことを仕事としているので、思えばこれまでの人生はプレゼンテーションの連続だった。そこで人をいかに説得するか、説得しないまでも自分のアイデアをいかに採用してもらうかということで、鎬を削ってきた。また、ぼく自身がプレゼンテーションをしてきただけではなく、さまざまな人のプレゼンテーションというものも見てきた。中にはものすごい名人芸というか、凄腕のプレゼンテーションマエストロも何人か見てきたし、彼らの目を見張るような鮮やかな手練れというのも幾度か目の当たりにしてきた。そうした中で、いつの間にかぼくのプレゼンテーションに対しての一つの法則というか、スクリプトというのができあがった。すぐれたプレゼンテーションにはある一定の法則というか流れのようなも

    tororo-imo
    tororo-imo 2008/12/09
    このエントリがプレゼンとして成功していない件について。/ ほんと、「上っ面」の話しかしないよな。しかも説得力が低い。クライアントが可哀想で仕方ないよ┐(´ー`)┌
  • なぜ女の子は「何食べる?」と聞くと「何でも良い」と言うくせに、いざ具体的に提案すると「それはイヤだ」と言うのか - ハックルベリーに会いに行く

    プレゼンテーションをしていて時々気付くのは、相手がプレゼンの内容にはあんまり注目してなかったりすることだ。むしろ、プレゼンするぼく自身を見ていたりする。そもそも、相手に対して何かをプレゼンする時には、向こうが思いつかないようなアイデアをこちらがプレゼンするわけだ。向こうは、ぼくが思いつくようなアイデアを思いつけないから、ぼくにアイデア出しを頼むわけである。但し、クライアントは向こうだから、最終的に選ぶのは向こうなのだけれども、内容が専門的だったりすると、相手にはもう、それが良いか悪いか分からなかったりする。彼らには、それが判断できなかったりするのだ。そうした時に、相手はどうするかというと、そのプレゼンする人を見るのである。内容ではなく、そのプレゼンの仕方を見るのだ。彼の熱意であったりとか、ちょっとした仕草とか、眼差しとか、声のトーンとか、汗の書き方とか、そういうところを見るのである。そして

    tororo-imo
    tororo-imo 2008/12/09
    いい歳したオッサンが書く内容じゃないなwww / 「何でも良い」の意味を完全にはき違えている、としか。 しかもこの歳までその事に気づいていなかったとはwww
  • ★ 電脳ポトラッチ: 難民解毒波止場――精神の難民と観察者たち

    ● リアルの方でここ数ヶ月いろいろあったので、ご無沙汰してましたがひさびさの更新です。 ゲームの話でも書こうと思っていたところ、はてなブックマークですごい数のブクマがついている記事を発見。 ネットカフェ難民にもなれなかった男の末路

    tororo-imo
    tororo-imo 2008/12/08
    ま、当該エントリに関する意見ではないのだが、ちょっとした意見。/ id:kanoseid:republic1963とかが「ネットみのもんた」と言及している行為が「メタネットみのもんた」になっているという自覚はあるのかねぇ?
  • 電車の中でマンガを読んでいるのは別の意味でみっともないと思ってしまう - ハックルベリーに会いに行く

    増田に、いい歳して漫画読んでるなんて、恥ずかしくない? という記事があったのだけれど、これを読んで、そう言えば電車の中でマンガを読んでいる人は当に少なくなったなあということに思い至った。 ぼくは今、毎日電車に乗って仕事場まで通っているのだけれど、最近は車内でマンガを読んでいる人というのをとんと見かけない。よく見かけるのはやっぱりケータイをいじっている人だ。一番はメールなのだろうけど、ネットを見たり、ゲームをしたりしている人もいるように思う。次によく見るのが携帯ゲーム機で遊ぶ人で、DSかPSPをやっている。これはけっこういい歳をした大人がやっている。普通の勤め人ふうの人がホームにいる時からやっていたりして、携帯ゲーム機が広く一般に普及しているというのがあれを見るとよく分かる。それからたまに新聞を読んだり雑誌を読んだり、あるいはを読んでいる人を見かけるのだけれど、マンガを読んでいる人という

    tororo-imo
    tororo-imo 2008/12/01
    ま、優秀なテンプレート職人が出てきた、ということでいいんじゃないだろか?w / 過去のこの人のエントリに賛同していた人は、今頃恥ずかしく思っているんじゃね?そう思わせるくらいこのエントリの内容は酷すぎるwww
  • 革命的非モテ同盟跡地

    tororo-imo
    tororo-imo 2008/11/30
    「みんな逮捕ぐらいで騒ぎすぎ」(笑)/ 自分が何らかの理由で逮捕されたときに、同じ台詞が言えるといいですなw