タグ

街に関するtoyaのブックマーク (160)

  • ライムスター・宇多丸さん「原風景は、誰もいないポツンとした後楽園」【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 柴那典 東京に住む人のおよそ半分が、他県からの移住者*1というデータがあります。勉学や仕事の機会を求め、その華やかさに憧れ、全国からある種の期待を胸に大勢の人が集まってきます。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。 ◆◆◆ 今回お話を伺ったのは、ラッパーとして、『アフター6ジャンクション』(TBSラジオ)のパーソナリティとして、八面六臂の活躍を続けるライムスターの宇多丸さん。 ライムスターの楽曲「東京、東京」で「オレは港区生まれ 文京区育ち 周りは至ってフツーの人たち」と歌ったとおり、生粋の東京っ子である宇多丸さん。その全方位的なカルチャーに対する造詣の深さは、どのような東京と

    ライムスター・宇多丸さん「原風景は、誰もいないポツンとした後楽園」【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン
  • 特別な年となった2020年。変わりゆく街「吉祥寺」に思うこと(文・月山もも) - SUUMOタウン

    著: 月山もも 社会人生活が始まると同時に吉祥寺からほど近い場所に住み、15年が経つ。 その間に3度転職し、職場は早稲田→渋谷→吉祥寺→渋谷と移ったけれど、引越しを考えたことは1度もない。 と言うと「よほど吉祥寺が好きなのね」と思われるかもしれないけれど、そういうわけでもないのだ。「住みたい街ランキング」常連の吉祥寺だけど、住む前も今も「吉祥寺が好きだ」という思いは、特にない。 そんなだから2020年の4月、吉祥寺に閉じ込められることになったときは、正直「勘弁してくれよ」という思いしかなかった。けれど、こんなに長い時間吉祥寺にいたのは初めてだったので、少しだけ、街に対する印象も変わったかもしれない。 私と吉祥寺の15年間と、いま現在の吉祥寺に対する思いについて書いてみたいと思う。 甘い言葉に誘われて住み始めた吉祥寺 もともと学生時代は、東急東横線の祐天寺に住んでいた。 渋谷から3駅という近

    特別な年となった2020年。変わりゆく街「吉祥寺」に思うこと(文・月山もも) - SUUMOタウン
    toya
    toya 2020/09/10
  • 突然の脳出血で人生が変わった。俳優・河合美智子が「豊岡」へ移住した理由【関西 私の好きな街】 - SUUMOタウン

    取材・執筆: 吉村 智樹 関西に住み、住んでいる街のことが好きだという方々にその街の魅力を伺うインタビュー企画「関西 私の好きな街」をお届けします。◆◆◆ 「豊岡は、ひとことで言って『最強』です。海があって山があって温泉もあって。緑が豊かで水がおいしい。だからべ物も、とってもおいしい。え? 豊岡の欠点ですか? う~ん、何をべてもおいしいから太っちゃうことくらい(笑)」 このように兵庫県の「豊岡」を絶賛するのは、俳優の河合美智子さん(52)。 河合美智子さんは14歳のとき、永瀬正敏とのWデビューが話題となった相米慎二監督作品『ションベン・ライダー』の主役に抜擢され一気に頭角を現しました。その後、映画『恋人たちの時刻』のヒロイン村上マリ子や、青春ドラマ『卒業』(TBS)の寺内友子など、少女から大人へと移りゆくナイーブで多感な演技が多くの視聴者を魅了したのです。 一転、1996年(平成8年)

    突然の脳出血で人生が変わった。俳優・河合美智子が「豊岡」へ移住した理由【関西 私の好きな街】 - SUUMOタウン
  • MIYASHITA PARKで「渋谷が変わってしまった」とか言ってるエアプども

    1.お前等昔も今もそんなに渋谷に行ってねーだろ今頃、あのナントカパークのせいで「渋谷が変わってしまった」とか言ってる奴等絶対エアプだわ。 ずっと前からめちゃめちゃ変わり続けてるのにな。 こっちは中学からずっと渋谷に通学して渋谷で遊んできたが もう昔どんな地形だったか思い出せないところだらけだわ。 駅や駅近辺は変わりすぎてる上に未だに変わり続けてるから入るたびに地形変わる不思議なダンジョンみてえだぞ。 当に渋谷に慣れ親しんでたなら今頃「渋谷は変わってしまった」なんて言うはずない。 今やってるのだって何段階目の開発なんだって話だ。 俺にはあの町は変形ロボになってしまったような印象がある。 しかしそんなの10年以上前からだわ。 2.オナニー活動家なんか昔も今も邪魔だわていうかMIYASHITA PARKにだけケチ付けてる奴等は結局あれでしょ? ただのしったかエアプ除けば、例のホームレス支援団体

    MIYASHITA PARKで「渋谷が変わってしまった」とか言ってるエアプども
  • 東急、渋谷依存に試練 テレワークでオフィス離れ加速 - 日本経済新聞

    東急の成長が鈍る懸念が強まっている。鉄道から不動産に主力の軸足を移し、東京・渋谷を中心に集中投資を進めてきた。新型コロナウイルスの流行でテレワークが普及。スタートアップを中心にオフィス離れが広がり、渋谷に依存する成長戦略は見直しを迫られる。在宅勤務を見据え、郊外を中心に新たな開発を急ぐ。「7月に入り募集家賃を下げるビルの管理会社が増えた」。オフィス仲介会社の営業担当者は渋谷の現状をこう話す。目

    東急、渋谷依存に試練 テレワークでオフィス離れ加速 - 日本経済新聞
  • やっぱ東京って疲れる【追記したぜ×2】

    なんていうか東京って街ごとに性格があってさ 新宿と渋谷と銀座と秋葉原とお台場行くのでは全然目的も違ってくるじゃん なんなら街ごとどころか新宿東口と西口みたいな「駅の出口」ごとに目的変わったりするじゃん でも地方は違う イオンで全て解決する 車で30分も走ればすべてが揃うイオンがある (そもそも子持ちにはいつでも自由に使える車があるってことが楽すぎる) イオンを中心に家電量販店や飲店も乱立しているので、脳死でとりあえずイオンに向かっとけば大抵の用事はこなせる 服買うなら新宿行って、電化製品買うなら秋葉原行って、バッグ買うなら銀座行って、飯うなら渋谷行って、子供と遊ぶならお台場行ってとか考える必要ない まあそれだけ選択肢があるってことなんだけど、現代人の欲望や可処分所得、時間対して東京はオーバースペックなんだよ つーか実際上記の予定って来新宿だけでだいたい片付くんだよな でもそれぞれに特

    やっぱ東京って疲れる【追記したぜ×2】
  • 2020.7.17 くるったように琺瑯を買い集めてきた - メモリグラフ

    こんばんはささきです 世間はごった返して小パニック状態ですがわたしは元気です。 さて最近にわかに 「ホーローのものがほしい」 という唐突な思いつきに憑りつかれた私は 「ホーローを集めなければ」という強迫観念に駆られてこの2~3日を過ごしておりました。猪突猛進型。 欲しがった理由としては、今まで料理の保存にジッ●ロック的なプラスチック製コンテナーを使うことが多かったのですが、 ①プラスチックのコンテナーは料理の匂いが移る カレーとかミートソースとか入れちゃうと一発ですよね。 なんなら色移りまでしたりする。 でも保存したいのはカレーとかミートソースとかが多い。矛盾。 ②プラスチックのコンテナーは油が落ちにくい 油汚れ落ちにくくないですか? 一回ざーって洗って、もう一回くらい洗わないと気が済まない。 しかもお湯で。むぎぎ。 ③捨て時がわからない だんだん劣化してるのはわかるのですがだからって使え

    2020.7.17 くるったように琺瑯を買い集めてきた - メモリグラフ
  • 坂と酒の街、神楽坂で過ごしたうたかたの日々(文:きくち) - SUUMOタウン

    著: きくち遡ること約10年、ある年の春、浪人という名の無味乾燥とした懲役労働のような日々を終えて、都内某大学に入学した。現役入学という主要な潮流に乗り遅れ19歳になっていた僕は、浪人生活の合間、大学生活漫画の金字塔『げんしけん』を読むことにより、猛々しく妄想を膨らませていた。 キャンパス内でめくるめく繰り広げられるサークル活動によって、自らの大学生活が、晩春の新緑も恥じらうような爽やかな青春群像劇になるのではないか。そう思っていたのである。 4月中旬、僕はそんな浅薄な期待を胸にたずさえ、適当に勧誘を受けた適当なスポーツ系のサークルに入ることを決めた。 全国から集まった友との交歓、目標を共有し高め合う日々、同級生との一夏の恋……そんな学生生活の漫画的理解は、秋を待たずして、全てが誤解を切り貼りしただけのハリボテであることが判明した。 学生生活の現実は総括だった 数回の練習への参加を経て、夏

    坂と酒の街、神楽坂で過ごしたうたかたの日々(文:きくち) - SUUMOタウン
    toya
    toya 2020/06/19
    「社会適合者は一様に似通っているが、社会不適合者はそれぞれに社会不適合である」 就職が決まっていた僕に、中西はアンナ・カレーニナのようなこと言って、目を閉じた」
  • 自由という名のもとに。凹凸地形と呼応する喧騒と静寂の町「自由が丘」(文:皆川典久) - SUUMOタウン

    著: 皆川典久(東京スリバチ学会 会長) 黄昏時の自由が丘駅前 その名のウカレた印象から苦手だった町・自由が丘。 群馬の田舎から上京した当初は、何となく近づき難いハイソな山の手の町に思えたのだ。しかし、それは偏見に過ぎなかったと今は思う。 実際に訪れてみると、自由が丘は地形的に非常に面白く、私にとって住みたくなる町の代表的な存在だったからだ。 ※編集部注:記事は3月初旬に企画し、取材は緊急事態宣言が発出される前に行われました 谷の中の喧騒と、丘の上の静寂 私は東京スリバチ学会の会長として、その土地特有の微地形*1に着目し、町の魅力を発掘する活動をしている。 町の発展や歴史には、立地と微地形が深く関係してるが、自分の場合はそのなかでも特にスリバチ状の谷間や窪地に関心を寄せている。「東京にそんな場所があるの?」と疑問を抱く方も多いと思うが、渋谷・四ツ谷・市ヶ谷・谷中など「谷」のつく地名の多さ

    自由という名のもとに。凹凸地形と呼応する喧騒と静寂の町「自由が丘」(文:皆川典久) - SUUMOタウン
    toya
    toya 2020/05/21
  • 多摩ニュータウンスナップ。 - 日々撮り散らかし。

    鎌倉街道を神奈川方面から車で走らせると、日最大規模のニュータウンを横断することになる。多摩ニュータウンだ。夕方に走ると西陽に照らされたその街は20世紀後半の情緒みたいなどこか懐かしく温かいものを感じさせてて、何度か後ろ髪引かれる思いで通過していた。 住んでいるところから近くもなければ、範囲も広く、かつどうせなら夕陽がキレイそうな日に行ってみたいってなるとなかなか踏み出せないでいたんだけど、週末ようやく足を運んだ。 今日はそんな多摩ニュータウンのスナップ。 (昨日の1枚もその時のものなんだけどね。) ニュータウン系の大規模団地は特別好みってわけでもないんだけど、行ってみてやっぱり団地っていいなって思った。

    多摩ニュータウンスナップ。 - 日々撮り散らかし。
  • 渋谷、ドンキがあった場所 - Garadanikki

    映画を観に渋谷に来たら、景色がまるっきり変わってました。 こんな感じだったのが・・・ こんな風に・・・ 立派な大樹だ。 この抜け感は凄い、美しい。 今しか見られない景色なので写真に残しておこう。 この場所は奥の奥の方までいくつものビルが解体されています。 跡地には何が出来るのかしら。 道玄坂小路を入ったところから見てみたら、看板がありました。 何が建つのかなと思ったら「店舗、事務所、ホテル等」と書いてある。 建築主は? パン・パシフィック・インターナショナル・ホールディングス? プレス・リリースを発表しているサイトさんがありました⤵ PR TIMES さんによれば、ここは株式会社 ドン・キホーテホールディングスを事業主とする「 ( 仮称 ) 渋谷区道玄坂二丁目開発計画」が行われているんですと。 ドン・キホーテがホテル? 名称はまだ決まっていないようですけど、 とにかく地上28階、地下1階、

    渋谷、ドンキがあった場所 - Garadanikki
  • 街路樹のまち「仙台」を自転車で駆け抜けた日々(寄稿:むらたえりか) - SUUMOタウン

    著: むらたえりか 行きたいときに行きたい場所に確実にたどり着ける。 そんな私にとっての「自由」を教えてくれたのは、大学入学から25歳で上京するまで住んでいた街・仙台だった。 自転車で駆け巡った仙台の「道」 仙台のことを考えるといつも並木道ばかりが思い出される。もともとは江戸時代に伊達政宗公の意向により街に緑が増え、明治時代には「森の都」と呼ばれたそうだ。その後一度は空襲で消失してしまうものの、復興などを経て現在は「杜(もり)の都・仙台」として親しまれている。そんな歴史から、繁華街・郊外問わず仙台には大きな街路樹が多い。 今年は少ないと聞いたが、秋になると銀杏並木の下には足の踏み場もないほどたくさんの銀杏の実が落ち、足の踏み場もないので踏んでしまう。学生のころには、友達とくさいくさいと大げさに騒ぎ笑いながら仙台駅までの道を急いだ。 仙台市の中でもいくつかの街に住んだが、大学時代の大半を過ご

    街路樹のまち「仙台」を自転車で駆け抜けた日々(寄稿:むらたえりか) - SUUMOタウン
  • 「場」をつくれば予想外の出会いが生まれる。20点から始まった曽我部恵一さんの上京物語 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 柴那典 写真:谷浦龍一 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「上京物語」に登場いただくのは、ミュージシャンの曽我部恵一さんです。 香川県で育った曽我部さんは、大学進学を機に上京し、1992年にサニーデイ・サービスを結成。バンド解散後は下北沢にインディーズレーベル「ROSE RECORDS」を設立し、やはり下北沢の駅近くにレコードショップとカフェを併設した「CITY COUNTRY CITY」を開業するなど、街に根ざした活動を続けてきました。 田舎の洋服屋で知り合った仲間とバンドを結成した思春期のころから、サニーデイ・サービスの名盤『東京』をつくったときのこと、そして変わりゆ

    「場」をつくれば予想外の出会いが生まれる。20点から始まった曽我部恵一さんの上京物語 - SUUMOタウン
  • 大人になりかけのわたしを支えた「ベランダのない部屋」(寄稿:はせおやさい) - マンションと暮せば by SUUMO

    立地や間取り、設備など似通った要素を持つ物件は数あれど、そこでの生活の様相は人により全く異なるはず。「私のマンション生活」では、住んだ人だけが知っている住まいとのエピソードをお届けします。今回はブロガーのはせおやさいさんに、初めて一人暮らしをした「ベランダのない」部屋での生活について執筆いただきました。 初めての一人暮らしは「ベランダのない部屋」だった 20代半ば。初めての一人暮らし。ある出来事をきっかけに、当時のわたしは仕事に何が何でも打ち込もうと、会社から近い三軒茶屋エリアで物件を探していた。 いくつか内見をしたなかで、「新築デザイナーズマンション」「東急世田谷線の若林駅から徒歩2分」という良い物件と出合った。当初、譲れない条件であった「二口コンロ」「エレベーター付き」「二階以上」という点も含めて完璧だ。 ただ、一つだけ気になったのが、この部屋にはベランダがないという。 少し悩んだが、

    大人になりかけのわたしを支えた「ベランダのない部屋」(寄稿:はせおやさい) - マンションと暮せば by SUUMO
    toya
    toya 2019/12/25
  • 玉袋筋太郎さん「絶妙にコクのある、煮込みみたいな東京が好きなんだよ」【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:関口佳代 東京に住む人のおよそ半分が、他県からの移住者*1というデータがあります。勉学や仕事の機会を求め、その華やかさに憧れ、全国からある種の期待を胸に大勢の人が集まってきます。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。 ◆◆◆ 今回お話を伺ったのは、浅草キッドの玉袋筋太郎さんです。玉袋さんは新宿で生まれ育った生粋の東京っ子。小学生のころから、西新宿のビル群や歌舞伎町を遊び場としてきました。幼少期や多感な思春期を新宿で過ごした濃密な日々は、玉袋さんの人となりや価値観にどう影響を与えたのでしょうか。また変わりゆく東京の街について、今どんな思いを抱いている

    玉袋筋太郎さん「絶妙にコクのある、煮込みみたいな東京が好きなんだよ」【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン
    toya
    toya 2019/12/12
  • ホテルに泊まる理由:その街の早朝シーンを体感したかったから - hotel gadget

    位置的には六木のおとなり、なんだけど、下町感あふれる街・麻布十番。六木ヒルズまで歩いて7、8分。かつての「麻布温泉」跡に11月1日 オープンしたのは、ホテル「THE LIVELY 麻布十番」。 日で最近増殖中の、いわゆるそのぉ系のライフスタイル・ホテルだ。 スタンダートルームはシャワールームのみでバスタブなし。スライディングの仕切りを使った、ようするに省スペース仕様。眺めはまったくなし。 最上階に東京タワーが見えるバーがあるのが売りもの レストランは上島珈琲がやっている限りなく街のコーヒー店に近いコーヒーショップのみ。 朝はここでべることになる。これにサラダがついて1500円。 パンケーキのほか、いちおうエッグベネディクトも、まあ、あることはある、という感じ。 わたしがココに泊まってみようと思った理由、それは、 この街の早朝シーンを体感したかったから。 1日が終わった人と、これか

    ホテルに泊まる理由:その街の早朝シーンを体感したかったから - hotel gadget
  • 住みたくもあり、住みたくもなかった街。 - No.26

    名古屋。 この街に住みたいと思ったこともあって、住みたくなかったと思ったこともあります。 僕が18歳まで過ごした地元は、三重県の田舎。小さい頃はここが最高と思っていたました。虫取りをしたり、山や川で遊んだりするのが好きだったから、特に都会には行きたくないと思っていました。 地元の駅から。もちろん徒歩では行けない(徒歩で1時間以上かかる)。この景色はずっと変わらない。 そんな幼心は高校生にもなれば変わるわけで、僕はこの地を離れて一人で暮らしたいと考えていました。大学のレベルとか、立地とかを諸々含めて名古屋にある大学を志望してしていました。 住みたかった街に住む 結構早くから志望校を決めていたので、名古屋での暮らしには憧れを持ってました。合格したい気持ちに付随して「住みたい」という気持ちが高まっていたのを覚えています。 無事志望校に合格し、進学と共に名古屋で一人暮らしをはじめます。 はじめての

    住みたくもあり、住みたくもなかった街。 - No.26
    toya
    toya 2019/11/21
  • 情報量の多い風景【東京VS大阪】

    情報量の多い風景は楽しい。 よく「看板だらけの光景は、景観的に好ましくない」などと言われるが、繁華街で色とりどりの看板やオブジェが主張しまくっている光景を見るのは、単純にスコーンと楽しい。 その何物にも代えがたい楽しさを味わいに、街へ出た。 ライター、番組リサーチャー。過去に秘密のケンミンSHOWを7年担当し、ローカルネタにそこそこくわしい。「幻の○○」など、夢の跡を調べて歩くことがライフワークのひとつ。ほか卓球、カップラーメン、競馬が好き。(動画インタビュー) 前の記事:「恋愛のストライクゾーン」をそのまんま野球ゲームにしたらこうなった > 個人サイト 文化放想ホームランライター きっかけは道頓堀から そのきっかけは、関西へ別件で取材旅行に出かけたときのこと。そのついでに見た大阪の繁華街にある「情報量の多い風景」の楽しさに圧倒されてしまった。 「そんなこと知ってるよ」という人もいるかもし

    情報量の多い風景【東京VS大阪】
  • 私はそこを住民票に残したいと思った - Fade out.

    「どのあたりで暮らそうか?」よくぞ聞いて下さいました。東京都杉並区高円寺。上京した時から私はどうしてもこの住所を、住民票に残したいと思っていた。 音楽が探究心へと変わる瞬間 田舎で暮らす中学3年生。最も多感だった頃、私はJロックをこよなく愛する学生だった。勉強をしながらラジオでSCHOOL OF LOCK!を聞く日々。部活動の先輩方に新しい音楽をたくさん教えてもらっていた。ある日いつものように先輩がMDを貸してくれた。帰宅して薄いグリーンのプレイヤーで再生する。聞いたことのない種類の音楽だった。歌詞に「メス豚」「援助交際」...過激な歌詞。お母さんが聞いたら怒りそうだ。でも「東京」とか「BABY BABY」、なんだかいい曲。銀杏BOYZ(GOING STEADY)との出会いだった。 それから何百回聞いたかしれない。嫌な事が有ると「トラッシュ」を聞き暴れまわり、好きな人を思いながら「夢で逢え

    私はそこを住民票に残したいと思った - Fade out.
    toya
    toya 2019/11/13
    「真っ先に私は「高円寺」に住みたい、と答えた。理由を伝えると笑いながら了承してくれた。そして私は「東京都杉並区高円寺」を住民票に残すことに成功したのだった」
  • 東京への異常な愛情 または私は如何にして執着するのを止めて横浜に暮らすようになったか #わたしの好きな街 - 日毎に敵と懶惰に戦う

    Sponsored by リクルート住まいカンパニー 横浜に35年住んでいる。そして「横浜の人」と認知されていることが多い。だけど、もともとは東京の生まれだし、生活の軸足もずっと東京に置いてきた。ちゃんと横浜市民になれたのはここ10年も無いかもしれない。そんな話をしたい。 生まれてからずっと東京だった 生まれたのは東京都目黒区中目黒。実家は小さな工場だった。東京オリンピックの好景気で祖父が軌道に乗せた商売を父が継いでおり、町工場兼住居の小さなビルが、中目黒駅から徒歩7-8分ほどの山手通り沿いに建っていた。 40年近く前の中目黒は、いくつかの芸能プロダクションこそあったけれど、今のようなオシャレタウンではなく、町工場も点在するような場所だった。今では花見の人出でパンクする目黒川沿いにも父の友人のメリヤス工場があったり。今はそのメリヤス工場、おしゃれなレストランになっている。 自分はそんな中目

    東京への異常な愛情 または私は如何にして執着するのを止めて横浜に暮らすようになったか #わたしの好きな街 - 日毎に敵と懶惰に戦う
    toya
    toya 2019/11/08
    懐かしすぎる!!!!!!「当時存在した「巨大建築愛好会」を通じて知り合ったり人と出会ったり、飲み歩いたり…。」