本日、日本社会学会大会(熊本)より帰宅。気になったことを少し。 社会学において学説研究をする価値はなんだろうか。例えば、デュルケムが、実は第3共和制を転覆すべく暴力的な革命の準備のために地下活動に携わっていたことが、わかったとしよう。もしもそうだったら、ちょっとした驚きであり、かれがどんな意図で『宗教生活の原初形態』や『社会分業論』などの著作を書いたのか、これまでとは違った解釈がなされることになるだろう。 このような問題はデュルケムに慣れ親しんだ社会学者の一人として非常に興味深く、十分に面白い問題である。これを「著者の意図」問題と呼んでおく。 しかし、「著者の意図」問題の解明は、デュルケムという人の正しい理解に近づく道ではあっても、社会の正しい理解に近づく道とはいえない。仮にデュルケムが「神」のような超越的な洞察力の持ち主であり、社会についての真理にすでに到達していたとすれば、デュルケムを
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