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ブックマーク / sociology.jugem.jp (14)

  • プロ社会学者の覚悟 | Theoretical Sociology

    いぜん、ある先輩の研究者と、研究テーマの選び方や研究の進め方について雑談していたときのこと。あるテーマに関する文献をしらみつぶしに読みつくすことの重要性について、われわれの間には一定の合意があったのだが、その先輩いわく、 いったんカレーうと決めたら、一生い続けなきゃダメだよね。 「一生」だったか、もうちょっとソフトな表現だったかは覚えていないが、非常に衝撃的で、今でも覚えている。カレーは好きだが、死ぬまでずっと3カレーかと思うと、ちょっと躊躇する。しかし、問題の質をうまくとらえていると思う。あるテーマについて発言するためには、それなりの準備と覚悟が必要である。カレーってうまいかどうかは、プロの研究者には関係ないことである。まずくても必要とあらば、毎日い続ける。それがプロの研究者だ。どうしてもえないならば、他のテーマを選ぶしかあるまい。私は相変わらず、ふらふらとテーマをかえ

    プロ社会学者の覚悟 | Theoretical Sociology
  • フリーター問題参考文献 | Theoretical Sociology

  • 対数線形モデルはなぜ回帰分析より社会学的か? | Theoretical Sociology

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    対数線形モデルはなぜ回帰分析より社会学的か? | Theoretical Sociology
    tsfmysd
    tsfmysd 2014/04/02
    なるほろ~。ログリニアのおもしろさがようやくわかってきだした自分にはありがたいエントリ。
  • 物語、物語、モーウンザリ | Theoretical Sociology

    ソシオロジの最新号を読む。全部ちゃんと読んだわけではないが、印象を言えば、「物語、物語、モーウンザリ」である。6の論文のうち半分が当事者の「語り」を使った研究なのである。 個人が語る物語がなぜ社会学にとってそんなに重要なのか、私には理解できない。確かに客観主義的な研究ばかりがなされて、当事者によって「生きられた」経験が無視されているような状況では、「語り」の重要性を強調するのもわかる。Peter Bergerらや井上俊がそういったアプローチの可能性を追求したことの価値はあったといえる。 しかし、今やも杓子も「語り、語り、物語」である。客観的現実についてかたろうとする社会学者のほうが少数派なのではないかと思えるほどである。もうそろそろ次の段階に移行すべきときではないのか。 当事者の「語り」の研究には、固有の問題がある。 門野里栄子, 2005, 「〈親の背中〉が語る時 沖縄反戦地主二世に

    物語、物語、モーウンザリ | Theoretical Sociology
    tsfmysd
    tsfmysd 2014/04/02
    これが、タロウマライゼーションか。そして、けっこう同意だったりする。
  • 学説研究と社会学理論 | Theoretical Sociology

    日、日社会学会大会(熊)より帰宅。気になったことを少し。 社会学において学説研究をする価値はなんだろうか。例えば、デュルケムが、実は第3共和制を転覆すべく暴力的な革命の準備のために地下活動に携わっていたことが、わかったとしよう。もしもそうだったら、ちょっとした驚きであり、かれがどんな意図で『宗教生活の原初形態』や『社会分業論』などの著作を書いたのか、これまでとは違った解釈がなされることになるだろう。 このような問題はデュルケムに慣れ親しんだ社会学者の一人として非常に興味深く、十分に面白い問題である。これを「著者の意図」問題と呼んでおく。 しかし、「著者の意図」問題の解明は、デュルケムという人の正しい理解に近づく道ではあっても、社会の正しい理解に近づく道とはいえない。仮にデュルケムが「神」のような超越的な洞察力の持ち主であり、社会についての真理にすでに到達していたとすれば、デュルケムを

    学説研究と社会学理論 | Theoretical Sociology
  • 社会学というディシプリンを語ることの困難 | Theoretical Sociology

    社会学評論が届いたので、拾い読みしてみた。特集は「社会学教育の現代的変容」だったが、 野村一夫, 2008, 「社会学を伝えるメディアの刷新」『社会学評論』58(4):506-523. が興味深かった。私は最近、「社会学とは何か」といった問題を深く考えていなかったし、深く考える必要もないと思っていたのだが、やはり教育する上では重要だということを再確認させてもらった。話が難しいのは、「社会学とは何か」を語るためには、社会学が経済学や心理学や哲学や歴史学や文学とはどう違うのかを語らなければならない、という点である。そのためには、当然、経済学、心理学, etc. について正しい知識を持たなければならない。これには膨大な知識を必要とする。こんなことに力を費やすぐらいなら、自分の研究を分かりやすく紹介したいというのが人情であろう。 野村が言うように、近年、社会学の周辺諸分野は社会学化している。カルチ

    社会学というディシプリンを語ることの困難 | Theoretical Sociology
  • イギリス社会学に対する量的方法の奨励はどの程度効果があったのか?計量研究の低落の原因 | Theoretical Sociology

    Jennifer Platt, 2012, "Making them count: How effective has official encouragement of quantitative methods been in British sociology?," Current Sociology, Vol.60 No.5, pp.690-704. イギリスの Economic and Social Research Council (ESRC) の行った量的方法の奨励が社会学ではなぜうまくいかなかったのかを考察した論文。ESRC は社会科学において量的方法が用いられるよう様々な形で奨励を行ってきた。それは 1970年に Survey Unit という部署(部会?)を作ることに始まり、1972年には統計のセミナーをスタートさせ、1992年には大学院教育のガイドライン(当然統計教育

    イギリス社会学に対する量的方法の奨励はどの程度効果があったのか?計量研究の低落の原因 | Theoretical Sociology
  • 卒論・修論・博論の恥ずかしい形式の間違い(ibid. 脚注、アイウエオ順) | Theoretical Sociology

    京大に来て驚いたのは、形式に無頓着ということである。卒論はある程度仕方がないとしても、修論や博論でも目を疑うようなデタラメな形式の論文が出てくることがある。内容が良ければ形式はどうでもいいと思っているのかもしれないが、何度かこのブログで書いているように、形式のダメな論文は内容もダメである。ここでいう形式とは、文献リスト、注、文献の参照法、図表のキャプションの位置、図表や節のナンバリング、ページ番号、一ページあたりの文字数、余白等の指定のことである。ここでは、京大社会学専修内に流布している誤った形式を 2,3 指摘しておこう。 著者名(出版年)方式では ibid. は使わない 文献の参照方式には、文中で著者名(出版年)方式で参照し、論文の末尾に文献リストをつけるやり方と、注に文献の書誌情報(出版年や掲載誌、巻号、ページなど)を書いていくやり方(この場合、文献リストは必要ない)がある(これを

    卒論・修論・博論の恥ずかしい形式の間違い(ibid. 脚注、アイウエオ順) | Theoretical Sociology
  • 大学院入試対策にお勧めの社会調査関係参考書 | Theoretical Sociology

    入門・社会調査法―2ステップで基礎から学ぶ 入門・社会調査法―2ステップ...の他のレビューをみる» --- 法律文化社 ¥ 2,625 (2010-04) 社会調査法入門 (有斐閣ブックス) 社会調査法入門 (有斐閣ブッ...の他のレビューをみる» 盛山 和夫 有斐閣 ¥ 2,415 (2004-09) 人文・社会科学のためのカテゴリカル・データ解析入門 人文・社会科学のためのカテ...の他のレビューをみる» 太郎丸 博 ナカニシヤ出版 ¥ 2,940 (2005-07) 大学院進学希望の学生さんから社会調査関係の参考書を聞かれたので、いくつかあげておきます。ただし、いわゆる質的調査に関するものは除外して考えています。最初の二つは標準的な社会調査の教科書で勉強になると思います。どちらも書き手の思想が感じられて私は好きです。三つ目は拙著ですが、最初の二冊ではカテゴリカル・データに関する記述

    大学院入試対策にお勧めの社会調査関係参考書 | Theoretical Sociology
  • 社会システム理論の野望、あるいは全体性へのオブセッション | Theoretical Sociology

    社会システム理論に依拠した書評していてあらためて感じたのは、社会システム理論好きの人々は、あらゆる社会現象を一つの枠組みで捉えたいという野望にとり憑かれた人たちだということだ。例えば、合理的選択理論は非合理な行為を説明できない。デュルケム理論は、ある種の反社会的行為を説明できない。しかし、システム理論ならば、どちらも説明できる。というわけだ。ミクロからマクロまで一貫した図式で説明できる。 ただ、彼らのいう説明は説明ではない。ただの記述である。日常言語で記述されたものをシステム理論のジャーゴンで言い換えているに過ぎない。社会システム理論は、これまでほとんど反証可能な理論を生み出さなかった(とはいえ、パーソンズの議論の一部は反証可能だったし、生産的な議論を生み出した。結果的にはパーソンズが考えるほど近代社会は一様でないことがわかったのだが)。こういった批判はこれまでも繰り返し述べられてきた

    社会システム理論の野望、あるいは全体性へのオブセッション | Theoretical Sociology
  • 全体性を求める連鎖の不毛さ。あるいは、国際法社会学のアイデンティティについて | Theoretical Sociology

  • メディア批評系の卒論をどう指導するか | Theoretical Sociology

    来年度の卒論指導に向けて、今年度の反省や感想を簡単にまとめておこうと思う。今年感じたのは、 アニメやマンガなどを批評する卒論は難しそうだということである。なぜか流行歌の研究は比較的うまくいっているような気がするし、アニメや漫画ゲームなどにしても、必ず失敗することを運命づけられているというわけではないだろうが、これまでの卒論の例を見る限り、失敗率が高そうな気がする。印象論で言うと、失敗率が高い理由は3つ考えられる。 まず、深く考えず安易にメディア批評を選ぶ学生が多いこと。メディア現象は身近な社会現象だろうし、メディア批評の中には面白いものもある。学生がこういったテーマに魅力を感じるのはよく理解できるのだが、読んで面白いからといって自分が面白いものをかけるとは限らない。メディア批評の論文が『社会学評論』や『ソシオロジ』のような主要な社会学雑誌に載ることはまれだと思うが、それはメディア批評をオ

    メディア批評系の卒論をどう指導するか | Theoretical Sociology
  • 盛山和夫著『社会学とは何か』を批判的に読む | Theoretical Sociology

    社会学とは何か―意味世界への探究 (叢書・現代社会学) 社会学とは何か―意味世界への...の他のレビューをみる» 盛山 和夫 ミネルヴァ書房 ¥ 2,940 (2011-02) 書は盛山社会学の到達点を初学者向けにわかりやすく説いたもので、専門書というよりは入門書である。以下はこの書評を書くためのメモである。 痛快・伝奇的剣豪小説? 私は書を読んで山田風太郎の『魔界転生』を思い出した。『魔界転生』とは、主人公である柳生十兵衛が、魔界から魔人として蘇った宮武蔵、荒木又右衛門ら名だたる剣豪たちと対決し、勝利する物語である。盛山は書の中で、G. ジンメル、G. H. ミード、M. ヴェーバー、T. パーソンズ、N. ルーマン、J.S. コールマン、といった古典的な社会学者たちを鬼籍からよみがえらせたうえで次々に対決し、鮮やかに切り捨てていく。そのような一風変わった剣豪小説を楽しみたい

    盛山和夫著『社会学とは何か』を批判的に読む | Theoretical Sociology
  • 修士課程修了後10年のあいだに何をなすべきか:一つのロードマップ | Theoretical Sociology

    以前から、修士課程を修了した後にどのように研究を進めていくのがいいのか、いろいろと迷うことがあったので、今のところの私の考えをまとめておきたい。若い研究者が置かれている状況は、この20年ほどのあいだに大きく変化したため、自分の個人的な経験則や、私が上の世代から教えられてきた処世訓が必ずしも当てはまらない。それゆえ、迷うことも多いのだが、文章化することで私の考えをまとめておきたい。すでにこのブログに書いてきたことと重複している部分も多いと思うが、とにかく書きます。また、これは社会学、それも私の専門を想定した話なので、分野の違う場合はあてはまらないかもしれません。そういう場合は、適当に距離を置いて考えてください。 ピアレビュー付きの雑誌への投稿  修士課程が終わった後は、修士論文を発展させた論文を書き、ピアレビュー付きの雑誌に投稿するのがよい。ピアレビュー付きの雑誌とは、昨今多くの大学にある「

    修士課程修了後10年のあいだに何をなすべきか:一つのロードマップ | Theoretical Sociology
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