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教育と考察に関するtsuneaki02のブックマーク (81)

  • 平松さんの支援集会で話したこと - 内田樹の研究室

    10月17日の平松邦夫市長を励ます会で「おせっかい教育論-教育条例の時代錯誤について」という講演をした。 講演録はそのあと『橋下主義を許すな!』というに採録された(香山リカ、山口二郎、薬師院仁志との共著、ビジネス社)。 選挙の応援のための、いささか「煽り」の入ったなので、手に取るのを控えた方も多いと思うが、私の書いていることはいつもの原則論である。 教育現場にドラスティックで急激な変化は馴染まない 平松市長から教育関係の特別顧問をと委嘱されて、お引き受けした時に、「大阪市の特別顧問に任ず」という委嘱状を頂きました。紙一枚もらって終わりだろうと思っていたら、いきなり「さあ、これから記者会見です」と言われました。そんな話聴いてなかったので、何の準備もしていない。いきなり記者会見に連れ出されて、「内田さんの顧問としての抱負を」と尋ねられました。何も考えていなかったのですが、そういうときの

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    tsuneaki02 2012/01/17
    (教育基本条例)「[…]はもう使えない」(スキームです。なぜなら、これは、国際社会の)「[…]構造そのもの[…]」「[…]が変化しないことを前提に、[…]」「国際競争で勝つ」(以外、念頭に無いスキームだからです。)
  • Harbor light について - 内田樹の研究室

    ゼミの卒業生の結婚式でスピーチをするのは、大学の教師にとっては「仕事の一部」のようなものである。 だから、日程さえ合えば、日中どこでもうかがって、一席弁じることにしている。 どうしてゼミの教師を結婚式に呼ぶのか、ということをあまりこれまで真剣に考えたことがなかったが、今日スピーチしながら、やはりこれは「観測定点」としての機能ということが主なのであろうと思った。 卒業生たちはのどかな4年間を過ごしたあと、多くは卒業してからはなかなかにめまぐるしい人生の変転を経験する。 住むところが変わり、いくつかの職種を経験し、出会いと別れがあって、そしてある日「めでたく華燭の典を迎えられた」わけである。 はたと立ち止まって来し方行く末について熟慮してみたいという気分にもなろうというものである。 『五万節』だって、「学校出てから十余年」と歌っている。 「学校出てから」というのは、実人生の「起点標識」なので

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    tsuneaki02 2011/12/21
    「道祖神のようなもの」「[…]が子供のときに見たままのところに、子供のころのままの姿をしてあることを知ると、[…]」「[…]自分がどんな道程をどこに向かって歩んでいるのかを確認しつつ一歩ずつ進める[…]」
  • 格差と若者の非活動性について - 内田樹の研究室

    ある媒体から若者の労働観についてアンケートを受けた。 みじかい回答を期待していたはずだが、やたら長くなってしまったので、たぶんこのままでは掲載されないだろう。 自分としてはたいせつなことを書いたつもりなので、ここに転載して、諸賢のご叱正を乞うのである。 Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。ある

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    tsuneaki02 2011/11/19
    「[…]若者たちの集団を組織し、思想的に教化指導し、政治目標を設定できるレベルの知的能力をもつものは『システマティックに社会上位に釣り上げられる』。そのようにして若者の連帯は制度的に不可能にされている」
  • 学ぶ力 - 内田樹の研究室

    「学ぶ力」という文章を書きました。中学二年生用の国語の教科書のために書き下ろしたものです。が届いて、読んでみたら、なかなか「なるほど」と思うことが書いてあったので(自分で言うなよな)、ここに再録することにします。 中学二年生になったつもりで読んでね。 「学ぶ力」 「学ぶ力」 日の子どもたちの学力が低下していると言われることがあります。そんなことを言われるといい気分がしないでしょう。わたしが、中学生だとしても、新聞記事やテレビのニュースでそのようなことを聞かされたら、おもしろくありません。しかし、この機会に、少しだけ気を鎮めて、「学力が低下した」とはどういうことなのか、考えてみましょう。 そもそも、低下したとされている「学力」とは、何を指しているのでしょうか。「学力って、試験の点数のことでしょう」と答える人がたぶんほとんどだと思います。ほんとうにそうでしょうか。「学力」というのは  「試

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    tsuneaki02 2011/09/27
    「昨日の自分と比べ[…]」「[…]時間的変化を点検したとき[…]身に『何か』が起きていることがわかります。」(そのために要るのは、)「[…]己の無知についての痛切な自覚[…]」(、師を)「直感できること」(、)「開放性」
  • 「まったなし」を待っていただけないでしょうか。 - 内田樹の研究室

    民主党の代表選挙があった。 一国の総理大臣を決める選挙なのだが、あまり盛り上がらない。 私自身も選挙結果にそれほど興味がない。 日政治過程は成熟期にあり、誰が総理大臣になっても、それほど違いが出ないようにシステムが作り込まれているからである。 安全と言えば、安全だし、不活性的と言えば、不活性的である。 東日大震災以来の官邸の対応について「スピード感がない」という批判が繰り返されたが、たぶん「スピード感がない、だらだらしている」というのが成熟期に入った政治プロセスの特徴なのだろう。 「スピード感がない」というのは、いまの政治を否定的に論評するときの流行語になっている。 同じように「まったなし」というのが財政危機や景況についての形容の定型になっている。 状況は「まったなし」で切迫しているのであるから、「スピード感のある」対応が必至である、という言明は整合的なように聞こえるけれど、こういう

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    tsuneaki02 2011/09/22
    「『無謬性』を競う[…]」(と、)「[…]生き延びてゆくために最優先[…]は何かという問い[…]」(を怠る。なぜなら、そこで)「[…]プレイヤーたちは[…]『自分が失敗する[…]』蓋然性を[…]切り下げて[…]信じる[…]」(から)
  • 秀才について(再録シリーズその2) - 内田樹の研究室

    東北関東大震災から二週間が経った段階でこの原稿を書いている。被害の規模はまだ確定していない。原発事故の先行きも不透明である。それでも、東電と政府の初動に問題があったことはほぼ確かとなった。「海水投入による廃炉」を初期段階から検討していたら、被害はここまで拡大しなかっただろう。国民の多くはそう思っている。なぜ、その決断ができなかったのか。私はこの「遅れ」のうちに日型秀才の陥るピットフォールを見る。 秀才は判断が遅い。ことの帰趨が定まったあとに「勝ち馬に乗る」ことで彼らは成功してきた。その成功体験が骨身にしみついているので、彼らは上位者の裁定が下る前にフライングすることを病的に恐れる。ひとたび「正解」や「勝者」が示されると、素晴らしいスピードでその責務を果たすけれども、「どうふるまっていいかわからないとき」にどうふるまうべきかは知らない。つねに正解してきたせいで、危機的局面においてさえ、秀才

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    tsuneaki02 2011/09/19
    「[…]『胆力のある人間』の育成は教育の最優先課題[…]」(だ。なぜなら、)「[…]示される前に[…]決断が下せる人間[…]はシステムの保安状必須で[…]」(、)「[…]体系的に涵養すれば[…]組織的に生み出[…]」(せるからだ)
  • 教育基本条例について - 内田樹の研究室

    大阪維新の会が教育条例の素案をまとめた。 知事・市長による教育目標の設定や教育委員の罷免権など、教育委員会に対する政治主導を明記したほか、校長による教職員への権限強化など組織管理の徹底も打ち出している。 その趣旨は基条例の冒頭に示されている。 「教育行政からあまりに政治が遠ざけられ、教育に民意が十分に反映されてこなかったという不均衡な役割分担を改善し、政治が適切に教育行政における役割を果たし、民の力が確実に教育行政に及ばなければならない」。 教育の独立性についても、従来の教育現場からは違和感のある理解が示されている。 「教育政治的中立性や教育委員会の独立性という概念は、従来、教育行政に政治は一切関与できないかのように認識され、その結果、教員組織と教育行政は聖域扱いされがちであった。しかし、教育政治的中立性とは、来、教育法(平成18年法律第120号)第14条に規定されていると

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    tsuneaki02 2011/09/18
    (教育基本条例で)「学校に政治と市場を介入させてはならない[…]。」(なぜなら、)「政治と市場は子供たちに『成熟しないこと』を要求する」(から、)「[…]『大人』を作(れずに、)[…]共同体[…]が壊滅[…]」(するからだ)
  • 歩哨的資質について - 内田樹の研究室

    毎日新聞社が高野山金剛峯寺で開いているセミナーで一席おうかがいしてきた。 「公共性の再構築」という演題だったのだが、それは3・11以前に出したものなので、もう少し踏み込んで「社会制度の作りなおし」というテーマで70分お話しする。 このところ繰り返し述べている「存在しないもの」と「存在するもの」のフロントラインにおけるふるまいということをまた申し上げる。 私たちの世界は「存在しないもの」に囲繞されている。 宇宙の起源を私たちは知らないし、宇宙の果てに何があるか(というより「何がないか」)も知らない。 時の始まりを知らず、時の終わりを知らない。 『ヨブ記』で主はヨブにこう問う。 「わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。 あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。 あなたは知っているか。 だれがその大きさを定め、 だれが測りなわをその上に張っ

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    tsuneaki02 2011/09/07
    「[…]『歩哨的資質』を備えたものを[…]見出し[…]育成し[…]」「[…]配すること[…](を模索すべき。)」「(なぜなら、)[…]『ほころび』[…](は)『歩哨』[…]が減った[…](からで、)」「これは[…]技術的な問題[…](だから)」
  • 若者よマルクスを読もう・韓国語版序文 - 内田樹の研究室

    石川康宏先生との往復書簡『若者よマルクスを読もう』 韓国語版のためのまえがきを書きました。 韓国語版だけについているものなので、ハングルを読めない日人読者のためにここで公開することにしました。 すでに韓国語版としては『下流志向』と『寝ながら学べる構造主義』が翻訳されているので、これが三冊目になります。では、どぞ。 韓国の読者のみなさん、こんにちは。内田樹です。 このたびは私と石川先生の共著の「若者よマルクスを読もう」をお買上げいただき、ありがとうございました。まだお買上げではなく、書店で手に取っているだけの方もおられると思いますが、これもご縁ですから、とりあえず「まえがき」だけでも読んでいって下さい。 どうしてこんなを書くことになったのか、その事情は「まえがき」にも詳しく書いてありますが、もちろん第一の理由は、日の若者たちがマルクスを読まなくなったからです。 マルクスは1920年代か

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    tsuneaki02 2011/07/18
    「共同体はそのメンバーのうちで、もっとも弱く、非力な人たちであっても、フルメンバーとして、自尊感情を持って、それぞれの立場で責務を果たすことができるように制度設計されなければならない[…]」
  • 自由を大事にしない人の多さに驚く - good2nd

    国旗・国歌を拒否した教員に対する処分を違法とした判決を批判する声の多さが、ちょっと意外でした。ここまでとはね。もちろん評価する声も多いので、かなり意見の分かれる問題だってことはよくわかります。それにしても、学校の先生も嫌われてるんだなぁ…。 国旗・国歌と「日」の同一視 「国旗・国歌を拒否するのは日を拒否しているのと同じ」「なぜ自分の国を愛せないのか」から、「自分の国の国旗・国歌を敬うのは当り前」までバリエーションがありますが。象徴をその実体と同一視してしまう、という。あるいはそれは自然なことなのかもしれませんけど、「日が嫌いだから拒否する」という主張ではないはずです。にもかかわらず「いや、当は日が嫌いだからだろう」と決めつけてしまう。 こういう人達が、何かあったときに自由を求める人を「非国民!」と呼ぶんだろうなぁ。 自主と強制の区別がつかない 「スポーツの国際試合などでは、歌うの

    自由を大事にしない人の多さに驚く - good2nd
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    tsuneaki02 2011/05/31
    「ところで「自由には責任が伴う」とか「権利には義務が伴う」って誰が言い出したんだろう。そんなに自明なこととも思えないんだけど」
  • 国旗問題再論 - 内田樹の研究室

    卒業式での君が代斉唱時の不起立を理由に、東京都教委が定年後の再雇用を拒否したのは「思想や良心の自由」を保障した憲法に違反するとして都に賠償を求めていた訴訟について、30日最高裁判決が下った。 「校長の教職員に対する起立斉唱命令は合憲」とする判断を下し、原告の上告を棄却した。 判決は「起立斉唱行為は卒業式などの式典での慣例上の儀礼的な性質を有し、個人の歴史観や世界観を否定するものではない」とした。 しかし、起立斉唱行為は教員の日常業務には含まれず、かつ「思想と良心に間接的制約となる面がある」と留保を加え、「命令の目的や内容、制約の様態を総合的に考慮し、必要性と合理性があるかどうかで判断すべき」との判断基準を示した。 今回の判決では、公務員は職務命令に従うべき地位にあるということを根拠に、「間接的制約が許される必要性や合理性がある」と判断して、教委による処分を違憲とした東京地裁判決を取り消した

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    tsuneaki02 2011/05/31
    われらは成熟した公民たるを目指しましょう。本邦司直は成熟した公民ではなかったので。その点の根拠は、彼らが導きだせなかった事。自己の政治的意見の表明の自由は国旗の象徴的威信より重い事を、憲法第19条から。
  • 内田樹氏( @levinassien )の「有事における非適切な思考と振る舞い(例:300枚の毛布を500人に配分する時)」

    内田樹 @levinassien 西條さんが被災地で300枚毛布が届いたが、避難所に500人いるので、平等性を配慮して一枚も配らない人の話を書いていました。僕はこれは平等性への配慮ではなく、誤答することへの恐怖だと思います。300枚を500人に配る出来合いの方法はありません。 内田樹 @levinassien ということは、何をやっても「正解」を出すことができない。そういう場合に「秀才」たちは回答することそのものを止めて、あたかもそのような問題は存在しなかったかのように繕います。相対的に「よりましな答え」を出すことより、「誤答をしなかった」ことを喜ぶのです。 内田樹 @levinassien 秀才たちはマニュアル通りにものごとが生起する平時においては有能で有用ですが、限られた資源、限られた情報、限られた時間の中で「相対的にましなソリューション」を計算するという訓練を受けていません。そういう

    内田樹氏( @levinassien )の「有事における非適切な思考と振る舞い(例:300枚の毛布を500人に配分する時)」
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    tsuneaki02 2011/05/31
    「そういう人たちに有事の危機管理を任せるというのは酷です」は愛ある言葉です。なぜなら、できない人に無理させちゃいけない、という事ですから。
  • 国旗国歌と公民教育 - 内田樹の研究室

    橋下徹府知事率いる大阪維新の会は「君が代斉唱時に教員の起立を義務化する条例案」を今月の府議会に提出する。 府教委はこれまで公立学校に対しては「教育公務員としての責務を自覚し、起立し斉唱する」ことを文書で指示してきた。この三月には卒業式の君が代斉唱時に起立しなかったとして、公立中学教諭が戒告処分を受けている。 維新の会は「思想信条の問題ではなく、従来の教委の指導を遵守するように求める条例である」と説明している。府知事は、教育公務員が教委からの指示に従わないのは業務命令違反であり、今後とも指示に従わないというのなら辞職すべきであるという、さらに強い態度を取っている。 国旗国歌問題については、これまでも何度も書いてきた。私が言いたいことはいつも同じである。 国旗国歌は国民国家の国民的統合の象徴である。 そうであるなら、ことの順番としては、まず「自分が帰属する国民国家に対する、静かな、しかし深く根

  • リスクヘッジについて - 内田樹の研究室

    「疎開」について書いたのはもう2週間以上前のことだ。 そのときにいずれ政府や地方自治体が主導するかたちで組織的な疎開が進むだろうと書いた。 でも、そうなっていない。 枝野官房長官は18日の段階で記者会見でこう語っている。 「集団疎開の問題が県知事レベルで出てきている。疎開という言い方が正しいのかはわからないが、妊婦や高齢者など災害弱者とも言うべき人たちがいて、その人たちが当面の生活をおくるために、全国各地の人に協力してもらうということは具体的に考え始めているところ。」 この段階としては適切な発言だったと私は思うが、このあと、集団的な疎開についての積極的な提言があったことを知らない。 同じ頃、私のところへ「疎開論を撤回せよ」という声が集中的に寄せられた。 理由は「首都圏からの疎開」が大規模に実施されると、ただでさえ低迷している消費活動が鈍化し、日経済に悪い影響を与えるからだという。 なるほ

  • 合成の誤謬が招く就活の悪循環:日経ビジネスオンライン

    「就活問題がこれほど深刻化したのは就活の三大プレーヤーである学生、大学、企業の皆さんがそれぞれ、『互いに変わらない』という前提に立ち、合成の誤謬による悪循環を起こしてきたからです」。10月31日、都内の慶應義塾大学で開かれた「リアル熟議・今、就活のあり方を問い直す」というイベントで鈴木寛文部科学副大臣はこう挨拶した。学生や企業、大学関係者ら70人が集まったこの会合において、鈴木さんは具体的には説明しなかったが、この言葉は「歪んだ就活」を簡潔に表現していると思う。 どういうことか。私なりの解説を加えよう。 企業は優秀な人材を他社より早く確保するため採用活動を前倒ししている。しかも「採用選考では勉強よりも熱意や積極性を重視している」というメッセージを学生に送り続けている。 ↓ 学生は勉強(就活が始まる3年生は学問・研究にエンジンをかける最も重要な時期)よりも就活を優先 ↓ 学生が授業に出ない、

    合成の誤謬が招く就活の悪循環:日経ビジネスオンライン
  • PISAのスコアについて - 内田樹の研究室

    AFPによると、OECDが12月7日に公表した国際学習到達度調査(PISA=Program for International Student Assessment)結果で上海が世界のトップに立った。 国別のトップは韓国とフィンランドだが、初参加の上海が全科目で首位を独占した。 アジアのほかの国・地域も極めて良い成績を収めた。韓国は読解力部門で2位、数学で4位、科学で6位にランクイン。香港、シンガポール、台湾、日も好成績だった。 OECDの教育専門家は「質だけでなく機会の平等も重視する教育思想がアジア大陸の成功をもたらした」と分析している。 西洋諸国の専門家が高く評価する教育システムを持つフィンランドは、欧州勢でトップの成績で、読解力部門で3位、科学で2位、数学で3位につけた。 また、報告書によると、すべての国で、女性の方が男性よりも読解力の成績が良く、その差は学校教育1年分だった。この

  • なぜ職場で人が育たなくなったのか | ダイヤモンド・オンライン

    第26回(最終回) それでもやはり人は職場で「一人前」に育つ 間杉俊彦 OJTを再びうまく機能させない限り、若手育成をめぐるモヤモヤ感は払しょくされることはないでしょう。長らくおつきあいいただいたこの連載も、今… 2011.3.29 第25回 マネジャーは職場の風土をマネジメントし若手支援の空気を醸成するリーダーたれ! 間杉俊彦 若手育成に関してマネジャーが行うべきことは大きく2つに分けられます。①若手に対して、直接間接を問わず、個人的に行う働きかけ。②若手が育つよ… 2011.3.15

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  • 『七人の侍』の組織論 - 内田樹の研究室

    どういうタイプの共同体が歴史の風雪に耐えて生き延びることができるか。 これはなかなか興味深い問いである。 前に、住宅についてのシンポジウムの席で、「コレクティブ・ハウス」を実践している人から質問があった。 その人は20世帯くらいで住まいをシェアしている。子どものいる若い夫婦同士はお互いに育児を支援し合って、とても助かるのだが、高齢者の夫婦などはいずれこちらが介護せねばならず、若い人たちは「他人に介護してもらうためにコレクティブハウスに参加したのではないか・・・」という猜疑のまなざしで老人たちを見つめている、という話をうかがった。 どうすればこの共同体を継続できるのでしょうというお訊ねだったので、「残念ながら、そういう共同体は継続できません」とお答えした。 あらゆる共同体では「オーバーアチーブする人」と「アンダーアチーブする人」がいる。 必ずいる。 全員が標準的なアチーブメントをする集団など

  • 立国の道すじについて - 内田樹の研究室

    昨日の平松市長を囲む会の最初の1時間は寺島実郎さん(大阪市特別顧問)の講演会。 寺島さんはスケールの大きい話を「常識的」という節度を超えずに話すことができる珍しい知性である。 『街場の中国論』を書いたときは寺島さんの『大中華圏』(岩波書店、2004)にずいぶんお世話になった。 だから、昨日の講演もとても楽しみにしていた。 期待とおり、1時間余、たいへんインパクトのあるお話を伺った。忘れないうちに、たいせつなポイントを記録しておく。 メディアの一般の論調とずいぶん温度差があるのは次の二点 (1) 日の21世紀の外交戦略・経済戦略のメインターゲットは欧米ではなく、大中華圏(中国、香港、台湾、シンガポール)と韓国である。 (2) 日の経済的・文化的なポテンシャルはきわめて高いが、それを適切に発現するためのシステムは整備されていない。 私はどちらの論点についても寺島さんと同意見である。 寺島さ

  • メディアの病

    怒るまいと思っても、つい。 今朝の毎日新聞の論説委員がコラムでが大学院教育の問題点について指摘していた。 90年代からの大学院重点化政策についての批判である。 「『世界的水準の教育研究の推進』をうたい文句に大学院定員が拡大されたが、大量に誕生した博士たちを受け入れるポストは用意されなかった。路頭に迷いアルバイトでいつなぐフリーター博士なる言葉まで生まれた。」 この現実認識はその通りである。 国策として導入された大学院重点化である。そのアウトカムについても国は責任をとるべきだろう。 責任というと言葉が強すぎるなら、せめて、「定員増には、受け皿になる職がないという『リスク』も帯同しております」ということを大学院進学志望者たちに事前にアナウンスしておくくらいの「良心」はあってもよかったのではないかと思う。 それはよい。 問題はその次の段落である。 意味不明なのである。 「何年か前、さる大学に新