本来ならば今日、来年のロック・イン・ジャパンの蘇我とひたちなか開催のメッセージを出す予定でした。 残念ながらNHK水戸放送局の情報リークによって、それは出来なくなってしまいました。しかしどうしても僕なりの開催への思いをお伝えしたく書かせていただきます。 全く予期しない形でロック・イン・ジャパンの開催地が、ひたちなかから蘇我へと変わった時、絶対にひたちなかのロック・イン・ジャパンの時間は繋いでいく、僕はそう思いました。 ひたちなかのロック・イン・ジャパンがゼロになるのはあり得ない、それが僕の正直な気持ちでした。 本を作った経験しかない48歳の編集者の僕が、いきなりフェスのプロデューサーとしてのキャリアをスタートしたのが、2000年のひたちなかでした。文字通り僕の人生は一変しました。そこから20年、ひたちなかで刻んだフェスの時間は今の自分を決定付けたと思います。 それがコロナという予想もしなか