トマト嫌いな人になんで嫌いなのって聞いた所で、普通酸味だの食感だの何だのって答えしか帰って来ないと思う。 それって具体的な要素を並べているに過ぎなくて、「どこ」が嫌いかの説明にはなっても「なぜ」の説明にはなってない。 じゃあ結局その要素はなんで嫌いなの、ってのを何度も繰り返せる。それが止まるとしたら、どっかで「なんか嫌い。舌と脳がそういう風になってるから」としか言いようがねえと思う。 ひいてはトマトが嫌いなのも「そういう風になってるから」という話になる気がする。 グルメ漫画の世界みたいに「誰もが感動する本物」なんてないだろうし。 こういうの考えてると、芸術批判なんかが論理的なもんだってのもホントかよって思う。 好みというか価値判断というか、そういう個々人の身体と脳に基づいた資質抜きにしては語れない。その前提が共有されてなかったら、なんぼ論理を展開した所でその理屈は足元から簡単に崩れる。 よ