観光業会にとっては深刻なこのニュースだが、リプライには、「我々は嫌韓をやり続けたいし、観光業が倒産しようが知ったことではないし、経営努力が足りない、自己責任」的な言説がわらわら湧いてきている。さすが、「災害すらも自己責任」の国であ… https://t.co/AChyWlituN
観光業会にとっては深刻なこのニュースだが、リプライには、「我々は嫌韓をやり続けたいし、観光業が倒産しようが知ったことではないし、経営努力が足りない、自己責任」的な言説がわらわら湧いてきている。さすが、「災害すらも自己責任」の国であ… https://t.co/AChyWlituN
薩摩の戦国武将・島津義弘ゆかりの伝統行事「妙円寺詣(まい)り」について、妙円寺(鹿児島県日置市伊集院町)が近く、行事を主催する日置市などに対し、名称を含めた見直しを申し入れることになった。 明治時代の神仏分離で廃寺、その後再興されたものの、行事はそのままの名称で別の神社に引き継がれている。このため二つの寺社を混同したり寺はもう存在しないと誤解したりといった混乱がいまだにみられ、寺再興から130年の時を経て、正式に「改善」を求めるという。 妙円寺は、室町時代の1390年に創建された曹洞宗の古寺。島津義弘が生前に自分の菩提(ぼだい)寺と定め、江戸時代に義弘を慕う鹿児島城下の武士らによって妙円寺詣りが続けられてきた。 ところが、明治になって島津家が祖先の祭祀(さいし)を神道だけで行うことを決めたため、同寺は明治2年(1869年)に廃寺となり焼かれてしまった。 11年後に大本山・永平寺と檀家(だん
「卑劣」イメージの見直し進む キリシタン大名小西行長(1/2ページ)2011年1月13日16時16分 居城の跡に立つ小西行長の銅像。「極悪人」との反発でトタン板で覆われていたこともある=熊本県宇土市 豊臣秀吉の家臣で、関ケ原で敗れ刑死したキリシタン大名、小西行長(1558〜1600)の人物像が大きく転換している。石田三成と並ぶ実務派で、朝鮮出兵では外交交渉を担ったが、勇敢な加藤清正とは対照的に卑劣な武将として描かれることが多かった。だが近年、領国だった熊本県内で研究が進み、伝承や逸話の多くが事実とは思えないことがわかってきた。 ◆寺社弾圧 尾ひれつき伝承 居城だった宇土城跡(熊本県宇土市)には行長の銅像が立っている。高さ5.6メートル。没後380年を記念し1980年に2千万円を投じ完成した。だが、この銅像は除幕式の翌日から2年近くトタン板で覆われていた過去がある。 「仏教や神道を弾圧し寺社
松本市が松本城に近い市街地の一角を買い取り、広場を整備する方向で、権利者と協議していることが9日、分かった。かつては南大手門の「枡形(ますがた)」があった城下町の顔ともいえる場所。将来は、枡形全体の復元も視野に入れ、歴史遺産の価値を生かした街づくりを進める狙いとみられる。 枡形は、城門の内部や外側につくった空間で、敵を囲い込んで上から攻めたり、味方の兵を集めて敵を外に攻め出したりするために設けた。松本城の枡形は城の南の入り口「南大手門」の南側にあった。現在の大名町通りに位置し、通りに沿って東西の建築物にかかっている。 市が土地と建物の購入を準備しているのは、経営破綻した大手消費者金融「武富士」が所有後、今年5月に望月地所(松本市)が購入したビル(鉄骨コンクリート6階建て)と、四柱神社所有で眼鏡時計店が営業しているビル(鉄筋コンクリート6階建て)。既に市に寄付されている旧鶴林堂書店ビル(
平安の仏像60体確認 兵庫の薬師堂、一挙に2010年11月6日14時6分 平安時代の作と確認された仏像。保存修復処理の終わったものが手前に並べられた=兵庫県加東市中古瀬 兵庫県加東市中古瀬の薬師堂に伝わる60体もの仏像が、10〜12世紀の作であることが早稲田大奈良美術研究所の大橋一章教授(仏教美術)らの調査で明らかになった。平安時代の仏像がこれほど多数確認されるのは近年例がないだろうといい、同研究所が保存処理に乗り出した。 お堂の周囲には水田が広がる。区長の吉元明博さんによると、集落の63戸で管理し、正月とお盆にだけ戸を開けるという。「この地域ならどの集落にでもある辻堂で、江戸時代の建築でしょう」と加東市教育委員会文化財係の森下大輔さんは説明する。 ここに調査が入ったのは今年の夏。早大の桜庭裕介講師(文化財修復)は「様式と制作技法から見て、すべてが平安時代の作。これほど多数の平安仏が知られ
端島小中学校跡地を訪れた卒業生たち=24日午前8時49分、長崎市高島町、金子淳撮影端島小中学校跡地を訪れた卒業生たち=24日午前8時50分、長崎市高島町、金子淳撮影 海底炭鉱の島として栄え、1974年の閉山で無人となった長崎市沖の端島(軍艦島)に24日、島の小中学校の卒業生68人が上陸し、学校跡地まで入った。 上陸したのは、端島小中学校同窓会の52〜86歳の人たち。今回は市から特別に許可を得た。7階建ての校舎は波や風雨にさらされ、基礎がむき出しになった所もあるが、卒業生たちは「2階の理科室でよく遊んだ」「忘れ物をすると隣のアパートから学校の屋上に投げてもらった」と、学校生活の思い出を次々とよみがえらせていた。 「島がすべてで、宇宙だった」。端島中を60年に卒業した埼玉県の佐藤多門さん(66)は今回が閉山後初めての上陸。「校舎がよく残っていたと思うが、このまま壊れていくばかり。かわいそ
【動画】原爆ドームの石柱引き上げ原爆ドームの石柱が子供たちの手によって、65年ぶりに元安川から引き上げられた=12日午後、広島市中区、高橋正徳撮影 原爆投下時に旧広島県産業奨励館(現・原爆ドーム)から落下したとみられる四つの石がドーム西側の元安川の岸で見つかり、広島市立本川小の6年生約60人が12日、引き上げ作業をした。8月5日から県立美術館(同市)で開催される企画展で展示される。 いずれも花崗岩(かこうがん)で、最大で高さ約70センチ、幅約30センチ、厚さ約20センチ、重さ約130キロ。専門家によると、ドーム屋根真下の5階バルコニーの手すりだった可能性が高いという。 児童らは力を合わせて川岸から約5メートル上のドームそばまで引き上げ、タワシでこすって汚れを取った。橋本紗季さん(12)と坂寿美玲(さか・すみれ)さん(12)は熱で溶けたとみられる部分を見つけ、「どれほど熱かったんだろう
黒田俊雄の学問的体系がマルクス主義に立脚しているという、自明の前提を再確認してきた。弁証法的唯物論に即して黒田の論を整理すると、下部構造としての荘園制論、上部構造としての権門体制論、そして社会的意識諸形態としての顕密体制論がある。 マルクスは相互の関係について次のように説明する。 人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定す
炭鉱で栄えた後、無人となり、廃虚と化したアパート群などが残る長崎市・端島(通称・軍艦島)への一般の上陸が解禁されて22日で1年。 市によると、解禁から今月20日までに約5万9000人が上陸した。 海外からの人々やメディアも多数訪問。「島は近代日本の過剰消費の縮図」と警鐘を鳴らす存在としても注目を集めている。 「軍艦島は私たちの社会の未来の象徴だ。資源を使い果たしたら、私たちも地球を捨てることになるのだろうか」。島をつぶさに見たフランスの建築学校生、ポリンヌ・ル・バスさん(22)(フランス・レンヌ市)はこう感じた。 島を紹介する雑誌を読み、「歴史的にも建築物としても興味深い」と卒論の題材に選んだ。2月、約1週間の日程で長崎市を訪れ、NPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」理事長の坂本道徳さん(56)らの案内で、島に4回渡った。 「(人に)捨てられる前の島の息遣いが聞こえてくるようだった。炭鉱で
藤野です。 ブログ第2弾は新刊紹介です。 由谷裕哉・時枝務編著『郷土史と近代日本』(角川学芸出版、3月31日初版発行)が最近発売されました。アカデミック・ライブラリーというシリーズの1冊で、発売は角川グループパブリッシングです。 「『歴史』とされた出来事は、どのように郷土の意識形成に関わったのか。『守られるべき伝統』を発見した郷土史家たちが、記念・顕彰行為に積極的に関わってきた歴史を中心に、具体的な事例をあげて分かりやすく解説」する書籍。 早くいえば「広義の郷土史記述を、近代日本のなかでさまざまな観点から捉え直そうとする論文」集です。14人の執筆者が個別論文を寄稿し、それを3部に分類収録しています。 その第3部・第13章として収録されているのが、 藤原明「近代の偽書『東日流外三郡誌』の生成と郷土史家」 という論文です。 『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)をご存知ない方の
盗まれた、国の重要文化財「木造大日如来坐像」=大阪府能勢町提供 大阪府能勢町野間西山の「今養寺(こんようじ)」の収蔵庫から、国の重要文化財に指定されている平安後期の仏像「木造大日如来坐像(ざぞう)」(高さ117センチ)が盗まれていたことが23日、分かった。今養寺は住職がおらず、檀家(だんか)の住民らが管理しており、普段は無人だったという。豊能署が窃盗容疑で調べている。 同署や町教委によると、21日午前10時ごろ、参拝中の男性が、境内に独立してあるコンクリート造りの収蔵庫の扉が開いているのを見つけ、寺の関係者に連絡した。扉のシリンダー錠がバールのようなものでこじ開けられていたという。20日午前までは収蔵庫に異状はなかったという。 坐像は1956年に国重文に指定された。収蔵庫内の隣には府指定文化財の千手観音立像があったが、無事だったという。
和歌山県は新宮市で毎年2月6日に行われる、お燈祭り。 白装束を着て、荒縄巻いた男達が松明片手に山を駆け下りる、女人禁制のお祭りだ。そんな祭りに参加してきた。 (尾張 由晃) 実は地元の祭り 祭りといっても縁日は出ないし楽しい出し物もない。僕のイメージでは物々しい雰囲気の中、酔っ払いや暴れたい奴らが暴れる祭り。参加したことないのでこういう風に思っていた。 なので、男だったらお燈に上れ(祭りに参加すること)。と言われても全く興味が沸かなかった。
経済産業省の「近代化産業遺産群」の認定を受けている旧豊後森機関区の扇型機関庫(玖珠町森)の保存に向け、地元住民らが15日、現地で老朽化の状況を確かめた。10月をめどに調査報告書を作成し、所有者の玖珠町に保存を要望する。 調査したのは、地元住民らでつくる豊後森機関庫保存委員会(河野博文会長)や県玖珠土木事務所、県建築士会玖珠支部など。 機関庫は現在のJR久大線が全線開通した1934年に造られた。幅100メートル、高さ8メートル、奥行き22メートル。久大線のほぼ中間点に位置し、機関車12両を収納できた。燃料や水を補給する拠点だったが、列車のディーゼル化に伴い70年に閉鎖された。 町が2005年、JR九州から土地とともに購入。活用方法を検討中だが、外壁や柱の劣化が進んでいる。 この日は約50人が参加し、柱のコンクリートのひび割れなどを目視で確認したり、クレーン車に乗って外壁や屋根を金属製の棒でた
燃えさかるたいまつを手に一斉に石段を駆け下りる「上り子」たち=6日午後8時1分、和歌山県新宮市の神倉神社(長時間露光、門井聡撮影) 山は火の滝、下り竜−。勇壮な火祭り「お燈まつり」が6日、和歌山県新宮市の神倉神社で行われた。燃えさかるたいまつを手にした男たちは一気に石段を駆け下り、炎は夜空を赤く染め光の帯となり、ふもとへ流れ落ちた。 白装束姿に腰縄を巻いた「上(のぼ)り子」と呼ばれる男たち2461人が、ご神体の「ゴトビキ岩」周辺に集まり、辺りは炎の海と化した。午後8時ごろ山門が開かれると一斉に飛び出し、男たちは雄たけびを上げ、火の粉を散らし、約500段の石段を威勢よく駆け下りた。 「お燈まつり」は熊野速玉大社の摂社、神倉神社に約1400年前から伝わる女人禁制の神事。熊野に春を呼ぶ祭りとして親しまれている。
沖縄の基地問題をめぐる鳩山内閣の迷走をみていると、矛盾だらけの日本の国防政策の実態をあらためて見せつけられ、うんざりします。この背景には、鳩山氏の祖父もからんだ複雑な戦後史があります。 戦後、最初の総選挙で自由党が第一党になり、その党首だった鳩山一郎が首相になることは確実と思われていましたが、GHQは鳩山を(些細な理由で)公職から追放し、吉田茂が首相になりました。このとき「右派」の鳩山が首相になっていれば、平和憲法も安保条約もなかったかもしれないが、戦前から親米派だった吉田は、GHQの意向にそって軍を解体し、軍備を放棄する憲法をつくりました。 ここまではよかったのですが、朝鮮戦争以後、冷戦が本格化すると、アメリカの対日政策は180度変わり、日本に再軍備を要求してきました。しかし吉田は憲法を盾にとって再軍備を拒否し、その妥協の結果としてできたのが安保条約でした。アメリカは日本を冷戦の橋頭堡と
懸賞金200万円をかけて松江市が市民らに呼びかけている、松江城大手門に関する史料の提供が、募集開始から4か月が過ぎた今もゼロ件と振るわず、史料を基に進めようとする大手門復元計画が足踏みしている。歴史雑誌に広告を出し、城内にPR看板を置くなどあの手この手で宣伝しており、担当課は「蔵や屋根裏に設計図や写真などが眠っている可能性もある。ぜひ協力を」としている。 松江城は、1611年に松江開府の祖・堀尾吉晴によって築城。城の正門に当たる大手門は、幅14・5メートル、奥行き6・4メートルと重厚な造りで、2階部分に瓦製のシャチホコが飾られていたという。しかし、「古いものは無用の長物」として、近代化を目指す明治政府に取り壊された。 2階に窓があるなど外観は絵図からうかがえるが、設計図などが残っていないため、今では構造など詳細は不明。このため市は8月、懸賞金付きで史料提供を呼びかけ始めた。 史料に基づく大
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