日本にキリスト教が伝わって間もない安土桃山時代に日本人の信徒、キリシタンが描いたとみられる宗教画が見つかりました。聖書のさまざまな場面が和紙に墨で描かれているほか、ラテン語の祈りの言葉も添えられていて、専門家は最も初期の信仰の様子を知る重要な発見だとしています。 和紙をつなぎ合わせた幅22センチ、長さ3メートル余りの巻物で、「受胎告知」や「聖霊の降臨」など、キリストと聖母マリアの生涯の15の場面が墨絵で描かれています。 かな文字で書かれた文章もあり、分析した結果、「聖体秘蹟の連とう」と呼ばれるラテン語の祈りの言葉を耳で聞き取って書き起こしたものと分かりました。 巻末には安土桃山時代にあたる「千五百九十二年」と書かれていて、和紙の成分の分析からも16世紀後半から17世紀前半のものと分かり、この年に描かれた可能性が高いということです。 この年はキリスト教が伝わってから40年しかたっておらず、日
神奈川県大磯町の「澤田美喜(みき)記念館」で収蔵されていた出所不明のキリシタンの信仰画が、16世紀末の安土桃山期の作品である可能性が高いことがわかった。当時の信仰画は残っているものがごくわずかで、国内に信者が増えた時期の信仰の姿を伝える貴重な資料とみられる。 記念館などによると、和紙に墨で描かれた巻物で、縦22センチ、横約320センチ。「受胎告知」や「受難」「聖母の戴冠(たいかん)」など15の場面がある。ラテン語の祈りの言葉も仮名で書かれている。「御出世以来千五百九十二年 はうろ」とも記されており、「パウロ」という洗礼名の信者が西暦1592年に作ったとみることができるという。 記念館と共同調査した横浜市歴史博物館によると、文字の書体や描かれた風俗には、江戸時代より前の特徴がある。記念館が外部の研究機関に放射性炭素を用いた年代測定を依頼したところ、1556~1633年に作られた紙との結果が出
新たな天皇に即位される皇太子さまの「即位の礼」をめぐり、共産党の志位委員長は、歴代天皇に伝わる剣や曲玉などを受け継ぐ儀式などは国事行為にすべきではないとして、政府に申し入れたことを明らかにしました。 これに関連して共産党の志位委員長は記者会見で「三種の神器の承継をもって天皇の代替わりの証しとする儀式を国事行為として行うことは、憲法の国民主権の原則と両立しない」と指摘しました。 そのうえで、「剣璽等承継の儀」や、天皇が皇后とともに即位後初めて国民を代表する人々と会う「即位後朝見(そくいごちょうけん)の儀」などは国事行為にすべきではないとして、政府や衆参両院の議長に対し国民的な議論を行うよう申し入れたことを明らかにしました。
宇佐神宮宮司らの罷免を求め市民が署名活動 市民団体「信頼関係壊した」 神宮「批判は一部の人」 2018/1/30 6:00 全国八幡神社の総本宮・宇佐神宮(宇佐市)の小野崇之宮司ら幹部2人が、地域との長年の信頼関係を壊し悪化させているとして、市民団体が2人の罷免を求めて署名活動を始めた問題が波紋を広げている。とりわけ神宮への崇敬の念が強い地元・宇佐市民の間で始まった異例の“反旗”。署名は、3月までに1万人を目標とする。事実上の宮司任免権を持つ神宮の「責任役員」は、この事態をどう受け止めるのか。関係者は推移を見守っている。 「大恩ある神宮に弓引くことになりかねないが、何もしなければ変わらない」 22日に市内で開かれた市民団体「宇佐神宮を守る会」の初会合。「できればこんなことはしたくない」。集まった地元住民らは一様に硬い表情を崩さず、高揚感もなかった。異例の宮司罷免要求へと彼らを突き動かしたの
日本に残る虫食いだらけのボロボロのお経が、中国にもほとんど現存しない唐代のお経を復元する重要なカギを握っている。京都市上京区の妙蓮寺が所蔵する「松尾社一切経(まつのおしゃいっさいきょう)」(国重要文化財)。春の京都非公開文化財特別公開に合わせ展示している。 寺の宝蔵から約3500巻におよぶ大量の経典が見つかったのは1993年。調査の結果、平安時代後期の12世紀に洛西の松尾大社の神宮寺で書写され、江戸末期に行方がわからなくなっていた「幻の一切経」と判明。幕末に妙蓮寺の有力な檀家(だんか)が寄進していた。 一見して損傷が激しい。量も膨大で本格的な修復には至っていないが、研究者は「たいへん貴重な資料だ」と声をそろえる。
16世紀の礼拝場遺構か 大十字架が立っていた跡とみられる円形状の石組み遺構=平戸市猪渡谷町 「キリシタンの墓」と伝えられる平戸市猪渡谷(いとや)町の「クロスバル」を専門家が調査し、巨大な十字架が立っていた跡と考えられる石組み遺構を確認した。禁教以前のキリシタンが礼拝した16世紀の「クルス(十字架)場」だった可能性が出てきた。専門家は「初期キリシタン時代の貴重な遺構かもしれない」と注目している。 ■半円状の丘 クロスバルは中山間地域の谷間に位置するなだらかな半円状の丘陵で、樹木が生い茂っている。本格的な調査が行われたことはなく、実態は謎だった。 石造物研究者で長崎歴史文化博物館研究グループリーダーの大石一久さん、元平戸市教委学術専門幹の萩原博文さん、同市生月町博物館島の館学芸員の中園成生(しげお)さんら研究者が1月、合同調査を行った。 調査では、東西約20メートル、南北約10メート
長崎県対馬市の観音寺から盗まれ、韓国で回収された観世音菩薩坐像をもともと所有していたと主張する韓国の浮石寺の円牛僧侶は15日、滞在中の対馬市で「最も懸念しているのは盗難により日韓関係が悪化することだ」とする浮石寺の住職の手紙を読み上げた。 手紙は観音寺の住職宛て。観音寺側が「仏像の返還が先だ」として面会に応じなかったため、僧侶が報道陣に公開した。 手紙は「近く観音寺を訪ねて縁を深めたい。私たちは多くのことを理解し、共感できると信じている」と、観音寺側に呼び掛けている。一方で、仏像が14世紀に韓国で作られたものであることを念頭に「最初の居場所に戻ることを切実に願っているのも事実」としている。 円牛僧侶は今回の訪問について「世俗的な欲は捨て、(観音寺の)住職には仏の教えに従って行動してほしかった」と話した。
新羅や高麗時代に作られた日本の重要文化財の仏像などを長崎県対馬市の寺社から盗んだ韓国人窃盗団が1月末に韓国当局に摘発された。ただ、一件落着とはいかなかった。韓国税関が「模造品」と思い込み、犯人が大手を振って韓国に持ち込んでいた“不手際”が発覚。「仏像はもともと倭寇が奪ったもので、返す必要はない」との声まで持ち上がった。図らずも韓国お家芸の「反日」騒動に巻き込まれた仏像の行く末はいかに…。(桜井紀雄) ■数十億円の“国宝”が「模造品」?ベテランがまさかの失態 盗難に遭ったのは、いずれも対馬市にある海神神社の国指定の重要文化財「銅造如来立像」と、観音寺の長崎県指定の有形文化財「観世音菩薩坐像」、多久頭魂神社の仏教経典「大蔵経」の3点。 大蔵経については、窃盗団の一人が「犯行直後に山に捨てた」と供述しているが、仏像2体については1月22日に韓国南部、慶尚南道・馬山(マサン)の古い冷凍倉庫に隠され
大浦天主堂境内=文化庁提供小石川植物園=文化庁提供 文化審議会は15日、大浦天主堂境内(長崎市)や田島弥平旧宅(群馬県伊勢崎市)、五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(兵庫県淡路市)など7件を史跡に、津屋川水系清水池ハリヨ生息地(岐阜県海津市)、名護市嘉陽層(かようそう)の褶曲(しゅうきょく、沖縄県)など5件を天然記念物に指定、別府の湯けむり・温泉地景観(大分県別府市)など4件を重要文化的景観に新たに選定するよう、文部科学相に答申した。 大浦天主堂境内は、1864年に建築された現存する最古の天主堂などを含む敷地。天主堂の建物自体は、すでに国宝になっているが、敷地もあわせて史跡に指定する。 田島旧宅は、幕末から明治期に近代化養蚕業の技術開発をした人物の邸宅。それぞれ、世界文化遺産への登録を目指す「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の一つで、登録に向けて
印刷 関連トピックスオリンピック国内最古の木造五輪塔=12日、京都市北区の大谷大学博物館、筋野健太撮影 京都市最北部の山あいにある志古淵(しこぶち)神社(左京区)で、平安時代後期の「平治元(1159)年」と記された木造の五輪塔が見つかったと、大谷大学が12日発表した。年号がある現存のものでは国内最古。供養のために建てる五輪塔の初期の姿を伝える貴重な作としている。 大谷大によると、同神社に保管されていた仏典の調査に関連し、蔵に眠っていたのが昨年3月にわかった。土台の基壇は8センチ四方で高さ29センチ。基壇の側面に「平治元年十二月九日」とあり、裏面には神社から南西4キロの峰定寺(ぶじょうじ)を1154(久寿〈きゅうじゅ〉元)年に開いた僧、西念(さいねん)の名が書かれていた。 記載の年月日は、平清盛(1118〜1181)が台頭する契機となった「平治の乱」が起きた日。清盛と手を結びながら乱で
印刷 国の重要文化財の木造不動明王坐像=文化庁提供 天台宗(総本山・比叡山延暦寺、大津市)は、皇室ゆかりの寺・般舟院(はんしゅういん、京都市上京区)の元住職(71)について、宗派の許可なく寺を売却したとして僧籍を剥奪(はくだつ)した。借金が返せず、土地・建物を差し押さえられたという。国の重要文化財の仏像2体も一時流出したが、京都府警の家宅捜索で見つかった。 登記簿などによると、寺の土地約1250平方メートルと建物は昨年9月、大阪市内の不動産業者が差し押さえた。約1億3800万円で競売にかけられ、今年8月に北海道函館市の不動産業者が落札。業者は現在、寺を売りに出している。 天台宗は8月末、宗派の承認を得ずに寺の土地・建物を担保に差し入れ、売却したとして元住職を処分。元住職は「知り合いに頼まれて寺を担保に借金し、約1億円に膨らんだ」と説明したという。 続きは朝日新聞デジタルでご覧いただけ
寺社仏閣が多い場所というとまず京都、そして次に奈良を思い浮かべる人が多いはず。実際、京都ではちょっと歩くとお寺や神社を見つけることができ、一般非公開のところも合わせると数え上げることが困難なほどの数になります。 しかし、宗教美術の観点では近江国、つまり滋賀県もなかなかのもの。 現在、この滋賀県にある仏教美術と神道美術のうち300件以上を集めて展示するという過去にないレベルのイベント「神仏います近江展」が開催されています。 神仏います近江展 http://www.biwako-visitors.jp/shinbutsu/ この展覧会は信楽町のMIHO MUSEUM、大津市瀬田の滋賀県立近代美術館、大津市御陵の大津市歴史博物館という3ヶ所の博物館が連携して行うもの。 MIHO MUSEUMのテーマは「天台仏教への道」。近江に伝わる仏像、仏画、神像などを中心とした展示で、「大乗仏教とともに拡大深
形状や意匠に平泉とのつながりを色濃く見せる金銅錺金具腰鼓をたたく菩薩像の押出仏青森十三湊周辺遺跡と平泉の地図 平安時代末期に岩手・平泉から東北を支配していた奥州藤原氏と、同時期の青森県五所川原市の十三湊関連遺跡を結ぶとみられる工芸品・金銅製の錺(かざり)金具が確認された。12日、青森県史編さん文化財部会が発表した。「平泉」はユネスコの世界文化遺産に登録される見通しで、奥州藤原氏の歴史や東北地方の美術史にかかわる今回の発見により、さらに注目を集めそうだ。 12世紀ごろに製造されたとみられる錺金具は、同市の湊迎寺が仏教美術資料として所蔵していたが、同市の市浦歴史民俗資料館が寄託を受け、文化財部会が調査していた。 十三湊関連遺跡近くには、平安末期に藤原秀衡の弟・秀栄が建立した「檀林寺」があったとされる。錺金具は、檀林寺跡などから出土したとされ、同寺の建立説を裏付ける可能性がある初めての資料
五島列島 カクレキリシタンとカトリックの胸の内2011年2月18日 印刷 Check 「カクレとカトリックの信仰は違うのです」と語る、カクレキリシタン第9代大将(最高責任者)坂井好弘師夫妻 イエス・キリスト像と伝わる「神様」とロザリオ。箱の中には、江戸時代に奉納されたと思われる古銭も数枚入っていた 「カクレも同じカトリックです」と語る、桐修道院のカトリック修道女・下本照子シスター キリシタン洞窟には、今でも船でしか行くことはできない。私たちが訪れたときは波が荒く、再度挑戦して、船頭を狭い岩場にぶつける様にしてやっと着岸できた キリシタン洞窟は、若松島南端の断崖絶壁の底にあり、入口付近の高さと幅は共に約5メートル、奥行きが約50メートルのT字型洞窟だ 郷土史に詳しい下窄忠氏によると、3家族12人程が、明治2年3月から5月頃にかけて、キリシタン弾圧を逃れて洞窟内に隠れ住んでいたと言う。入ってみ
隠れキリシタン紀行〜五島列島編〜2011年2月4日 印刷 Check 山神神社の例大祭のあと、氏子たちがカクレキリシタンであることを「今日初めて知った」と吐露する宮田紀久宮司 五島列島の山神神社は、カクレキリシタン研究者の宮崎賢太郎・長崎純心大学教授が、著書『カクレキリシタン』で「(全国で)四番目のキリシタン神社」と記す「キリシタンを御神体として祀る」神社だ 昼食は、新上五島町奈良尾郷の郷土料理研究会の方々が、一週間も前から準備してくれた「紀寿し」「おかめ寿司」(写真手前左の皿の上にある)などの伝統的手作り料理。その美味しさは参加者に深い感銘を与えた 郷土料理研究会会長の谷佳江さんが、一つ一つの料理を丁寧に説明してくださった。同会が旅行者に食事を提供したのは初めてだという 五島列島に現存する唯一のカクレキリシタン組織で、第9代目の最高責任者「大将」を務める坂井好弘師 「何百年にもわたって、
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