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哲学者、まさに哲学者としか言えないだろう須原一秀の著作は三冊読み、最初に「極東ブログ: [書評]高学歴男性におくる弱腰矯正読本(須原一秀)」(参照)を書いてからしばらく、その先が書けなかった。その次の「“現代の全体”をとらえる一番大きくて簡単な枠組―体は自覚なき肯定主義の時代に突入した」(参照)はようするに、本書「自死という生き方 覚悟して逝った哲学者」(参照)へのつながりで読むしかないし、そのことは自死という問題に直面することだからだ。 正直にいうとそれに直面することは怖かった。今でも怖いと思っている。ただ、なんとなく今書かなければ書くこともないようにも思えるし、心がまとまらなくてもそれなりに書いておいてもいいかもしれないと思えた。今手元のこの書籍をパラパラとめくってみて、ある意味で普通の本には思えた。またこの須原は、どちらかというといつまでたっても心に老いを迎えることのないタイプの男性
「本気の時代」- 消毒しましょ!でAntiSepticさんは、東浩紀や大澤真幸や呉智英を援用し、「理想の時代」の終幕を告げる三島由紀夫の割腹自殺(1970)という「本気」と、その後の「虚構の時代」(呉智英の言葉では「実務の時代」)にオウム真理教団というかたちでゾンビのごとく蘇った「本気」について述べている。いずれもまったく見当外れのハタ迷惑な「本気」であったと。 というより、「本気」というものそれ自体が「狂気」と紙一重であり、何らかの勘違いの上に発現していると言っているようにも読める。 三島由紀夫とオウム麻原の「本気」は、「国家」を巡るものであった。そのフレーム抜きで、彼らの「本気」は語れない。 市ヶ谷駐屯地の自衛隊員に蜂起(実質クーデター)を呼びかけた三島は、日本国憲法と戦後の天皇制に疑義を唱え、理想の天皇を中心とした国家を夢見ていた。 「三島由紀夫は「本気」の価値を証明しようとしたので
「沖縄集団自決」において「軍命令」があったか、なかったかを争う大江健三郎の『沖縄ノート』の記述をめぐる名誉毀損裁判に、訴えられている側(被告)の大江健三郎が大阪地裁に出廷し、証言したようであるが、日頃の僕の「保守反動的」(笑)な言論からは意外かも知れないが、僕は、「沖縄集団自決裁判」に関しては、多くの留保をつけた上でだが、本質的には大江健三郎を擁護する。大江健三郎は法廷に出廷することを拒否していたようだが、証人喚問ということで、仕方なく出廷し、証言することになったようである。大江健三郎を嫌う一部の保守派陣営は、「大江健三郎を法廷へ引き摺りだした・・・」ことを重視して、「大成功」だとでも言いたげに喝采を叫んでいるようだが、僕には、それは、無知無学な大衆のルサンチマンの叫びであり、ただ単に不謹慎に見えるだけだ。僕には、その拍手喝采する保守陣営の背後に曽野綾子や谷沢永一の顔が重なって見える。僕が
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