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現象学と言葉に関するushiwatatのブックマーク (4)

  • すべての現象のなかに自己を証かす: DESIGN IT! w/LOVE

    様々な現象のなかで様々なものを感じ取っている自分を現象の只中において知るということなのだろう。 自我によってすべてを認識しようとするのが迷いなのだ、諸々の現象のなかに自我の在りようを認識するのが覚りである。 僕が「直観」と呼んだのは、道元のいう「覚り」に近いものなんだろうと感じます。ただ単に感じたままの感覚を「直観」と呼ぶのではなく、自分も含めてあるがままの現象とその現象を感じとっている過去にも未来にもつながった自分を認識することを僕は「直観」と呼びたい。 自己とはもろもろの事物のなかに在ってはじめてその存在を知るもの『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』のなかで深澤直人さんが、自分も昔は自分の身体の外側、自分をさておいたものを環境と考えていたが、後になって自分も他人もすべてを含む入れ子状態のものを環境と定義するようになったと言っていました。 世阿弥の「離見の見」(見所より見るところ

    ushiwatat
    ushiwatat 2009/05/24
    |答えを自己のなかに求めないことだ。すべての現象のなかに自己を証かすのだ。自己とはもろもろの事物のなかに在ってはじめてその存在を知るものである。|(『正法眼蔵』)
  • 活字中毒R。

  • 活字中毒R。

    『Q&A』(恩田陸著・幻冬舎文庫)より。 (作中の、あるドラマ脚家とその友人との会話の一部です) 【「言葉は怖いんだよ」 確かに、よく取材とかするの? 「まあね。プロデューサーとか、スタッフと何人かで一緒に取材したり、資料読んだり、話聞いたりすることはある。でも、あんまり取材には頼らないなあ」 細かいところが違うとか抗議来たりしないの。 「抗議はいろいろ来るよ。でも、しょせんはフィクションだし、ファンタジーなんだから、いちいち気にしていると切りがない。ドキュメンタリーとドラマの違いって分かる?」 脚があるかないかってことじゃないの。 「ドキュメンタリーだって、脚がないわけじゃないよ。あたしが思うに、ドキュメンタリーは見えるフィクションで、ドラマは見えないフィクションだよ」 見えるフィクションって。 「実在するフィクションとも言えるかな。交通事故があった。目撃者が証言した。目撃者は確か

  • 囚人のジレンマλ[λ] ? - λちゃんとブロガーたちのクァドレンマ

    存在のジレンマ λちゃん λちゃん この世界には 決して何モノも存在などしはしない しょせんこの世は夢/幻 認知のジレンマ λちゃん λちゃん もしも色々なモノが 存在できたとしてみよう けれど それらを正しく認識してごらん? しょせん 都合良く間違いだらけの勝手な世界 伝達のジレンマ λちゃん λちゃん もしもお前が 凡てを正しく認識できたとしてみよう けれど それらを正しく私に伝えてごらん? しょせん 独りよがりの孤独な世界 代理のジレンマ λちゃん λちゃん もしもお前が 凡てを正しく認識し それらを正しく 私に伝達できたとしてみよう けれど 私の考えを当ててごらん? しょせん 私ら別の人 内なる世界も 別々に ジレンマで同じ答えを出すのは夢/幻!?

    囚人のジレンマλ[λ] ? - λちゃんとブロガーたちのクァドレンマ
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