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生活と自民党に関するushiwatatのブックマーク (4)

  • 田中秀征:私が見た宮沢喜一さんと保守本流政治(3) - ビジネススタイル - nikkei BPnet

    田中秀征:私が見た宮沢喜一さんと保守政治(3)〜保守流は「社会的公正」と「国際協力」でよみがえる (前回記事はこちら) 宮沢さんは“保守流”の申し子と言われてきた。 保守流とは通常、昭和20年代の吉田(茂)自由党の流れを汲む人たちのことを言っている。 すなわち、現行憲法の制定やサンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約などの戦後日の基的枠組づくりに一義的な責任を有する流れに属する人たちだ。その“流の中の主流”となってきたのが、吉田茂、池田勇人、宮沢喜一と続く『宏池会』である。 旧自由党系の流れを汲む“保守流” 1955年の11月、自由党と民主党が保守合同して現在の自由民主党が結成される。それから旧民主党系の人たちは“保守傍流”のような扱いを受けることになる。 鳩山一郎、岸信介氏に代表される旧民主党は、公職追放が解除された人たちや、昭和20年代に自由党以外の保

    ushiwatat
    ushiwatat 2007/07/20
    |「冷戦が終わったということは、200〜300年に1度あるかないかというくらいの大きな歴史的事件だね」||大げさな表現を嫌う宮沢さんの口から出た言葉なので私は驚いた。|
  • 田中秀征:私が見た宮沢喜一さんと保守本流政治(2) - ビジネススタイル - nikkei BPnet

    田中秀征:私が見た宮沢喜一さんと保守政治(2)〜清貧を清貧と思わない宮沢さんの人柄 (前回記事はこちら) 宮沢喜一元首相の父親は、苦学して弁護士となり、戦前広島から代議士となった宮沢裕氏だ。だから、宮沢さんを二世議員と言う人もいるが、私は必ずしもそうだとは思っていない。 父親の裕氏は、戦後占領軍から公職追放に遭い、浪人していた。宮沢の政界進出は1953年の参院選。父の追放から年数を経ているし、選挙区は参院だから広島県全体である。だから父親の地盤がそれほど大きなプラスになっているわけではない。20代から国政の中枢にかかわってきた、そのときの宮沢さんの政治的位置から言って、父親の恩恵を受けなくても当選はできたに違いない。 宮沢さんは二世議員でも官僚政治家でもない また宮沢さんは大蔵省出身だから官僚政治家の典型と見られがちだが、このことについても私は一つの理由でそう思ってはいない。

  • 田中秀征:私が見た宮沢喜一さんと保守本流政治(1) - ビジネススタイル - nikkei BPnet

    田中秀征:私が見た宮沢喜一さんと保守政治(1)〜清貧を清貧と思わない宮沢さんの人柄 2007年7月17日 「一言啓上」でおなじみの田中秀征氏による、短期集中連載をお届けする。テーマは「故・宮沢喜一元首相と保守政治」だ。初回は、宮沢元首相の人となりに迫る。田中氏は、宮沢元首相の側近として、同氏の政治を支えた。その人となりを間近かで見てきた。 第2回と第3回は、政治家としての宮沢氏を振り返ると共に、宮沢氏を中心とする“保守流”が戦後政治において果した役割を振り返ると共に、その課題を考える。 宮沢喜一元首相の葬儀は「近親者のみの密葬」ということなので私は参列を遠慮した。ところが、新聞に報道されたので1500人もの弔問客が訪れたという。それなら遠慮していた私はいかにも愚かだったということになる。 そんなわけで葬儀の2日後、私は宮沢さんの自宅を訪ねて献花をした。 パフォーマンスや恩着せが

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