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2012年12月6日のブックマーク (3件)

  • 「アドテック」は「コムテック」に名称変更したほうがよい理由

    先日、東京では4回目の開催となる、世界最大のデジタルマーケティングカンファレンス、「アドテック・トーキョー」が開催された。僕自身、会場の片隅でトークセッションの機会を授かったが、そこでこういう発言をした。「『アドテック』は、そろそろ『コムテック』に名称変更したほうがいい」。なぜか? いわゆる「アドテクノロジー」はインターネットの普及に足並みを揃えるように進化し、さらにここ数年のソーシャルメディアの登場によって、さらに高度化している。毎年来場者を増やしているアドテックが盛況する理由もそこにある。 しかし、テクノロジーの進化と並走するように起こっていることがもうひとつある。それは、コミュニケーションそのものの「複雑化」であり「多様化」だ。 「アドバタイジング(広告)」がコミュニケーションの王座に鎮座し続ける時代は終焉を迎えようとしている。いまや消費者に何かを伝え、さらに動いてもらうには、戦略P

    「アドテック」は「コムテック」に名称変更したほうがよい理由
  • レイ・イナモト:「広告の未来は広告ではない」

  • NY地下鉄で死ぬ直前の男の写真が撮られたとき、他の乗客は何をしていたか

    ニューヨークのタブロイド紙『ニューヨークポスト』が火曜、前日に地下鉄駅で起きた事故を報じた。いや、正確には事故になる瞬間を報じたと言った方が正しいだろう。 乗客同士の言い争いで50代の男性がホームから突き飛ばされ、そこに入ってきた電車に挟まれて死亡した。ニューヨークポストが1面で大きく掲載した写真は、ホームに手をかけ数メートル先に迫った電車のほうを振り返った男性の姿を捉えている。タイトルは、「万事休す、線路に突き落とされた男が死に行く瞬間」。 この事件は、いくつもの意味でいたたまれない気持ちにさせる。 まずジャーナリズムの観点から、こんな写真を載せる必要があったのかという点。数秒後に死のうとしている人間の姿を晒すことに、センセーショナリズムを煽る以外の意味があるのか。 もし事故の様子を伝えることが目的だったのならば、文章で説明し、写真は意図的に掲載しないという選択肢もあっただろう。だが同紙

    ushiwatat
    ushiwatat 2012/12/06
    |誰もが「この瞬間」を写真に収めてシェアするような時代に、それに対抗できるインパクトを与えようとした無意識的な判断だったのだろうとも思える。何かすべてがズレ始めている|