と、全社業績もさることながら、皆さんおなじみ「食べログ」の売上がジワジワと上昇中でございます。プロダクト別の売上シェアでも38.1%と、かなり食い気味に入ってきてますね。ちなみに、2年前のシェアは約25%でした。その他は価格.comが占めてます。
”何” と ”どう”比べて「暑い」と言っているのか? ますます暑い日が続きますね。暑さが過ぎると、アイスではなくかき氷が売れるようになるそうですよ。というわけで、前回に引き続き、「今年の夏が本当に暑いのか」をかき氷片手に考えてみたいと思います。 「今年の夏は、暑いよねー」という決まり文句は正しいのか?? 前回は、そもそも夏って暑いの? ということと、 夏が暑い年は年間通して気温が高いの?ということを見てみました。前者は証明され、後者は証明されませんでした。(ただ、後者は、1年というサイクルは人間が定めたものですので、1月~12月という枠組みの中での”夏”を見ています。ひょっとすると、7~6月のサイクル、あるいは10~9月のサイクルで見れば、相関するのかもしれません。※未検証ですし、やりませんけど) 今回は、少し切り口を変えてみていきたいと思います。 検証④:前年に比べて暑いのか? そもそも
本学卒業生である任天堂社長の岩田聡氏が7月11日に永眠されました。謹んでお悔やみ申し上げます。 同氏は、北海道の高校を卒業後、1978年に東京工業大学工学部に入学し、在学中よりゲームソフト制作会社「株式会社ハル研究所」でアルバイトを始めました。1982年に情報工学科を卒業後、同社に入社しました。 その後、「星のカービィ」シリーズなどを制作し、天才プログラマーと称され、1993年に同社社長に就任しました。2000年には、任天堂株式会社に入社し取締役に就任、「ニンテンドーDS」「Wii(ウィー)」を発売するなど経営者としても手腕を発揮しました。 岩田聡氏(写真提供:任天堂株式会社) 時代に先駆け、新しい時代を切り開いていった稀有な人材で、本学の卒業生としては異色の経歴の持ち主でした。同氏の若すぎるご逝去を悼むと共に、本学内外で同じ時を過ごした方々に同氏の思い出を語ってもらいました。 工学部時代
アレクサンドル・コジェーヴといえば、1933年から39年までの6年間、パリの高等研究院において、後にフランス思想を代表することになる錚々たる面々――アロン、バタイユ、クロソウスキー、ラカン、メルロ=ポンティ、イポリット、ブルトン等々――が集っていた伝説的な『精神現象学』講義(出席者のひとりでコジェーヴの友人だった作家レイモン・クノーが『ヘーゲル読解講義』として編集刊行)を行ったことで知られるロシア人哲学者である。 いわゆるフランス現代思想におけるヘーゲルはコジェーヴ経由のヘーゲルだというのはよく指摘されるところだが、それだけ戦後フランス思想にとってコジェーヴが果たした役割は計り知れないものがある。たとえばコジェーヴ経由のヘーゲル思想なしのラカン思想というのは考えがたい。しかし戦後フランス思想の出発点としていささか神話的にその名が語られる一方で、『精神現象学』講義以外のコジェーヴの活動やその
この項目では、フランシス・フクヤマの著作について説明しています。その他の歴史には終わりがあるという思想については「終末論」をご覧ください。 この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2010年3月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2010年3月) 出典検索?: "歴史の終わり" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 『歴史の終わり』(れきしのおわり、原題:The End of History and the Last Man)は、アメリカ合衆国の政治経済学者フランシス・フクヤマの著作。1989年にナショナル・インタレストに発表した論文「歴史の終わり?」からさらに具
町を歩いていて、ふと、窓ガラスに自分が映るのを見る。ああ、自分はキレイだなって思う。ものすごい美人ていうわけじゃない。でも私は自分の容姿を気に入ってるし、多くの他人にもそれなりに見えるっていうことも分かる。 その瞬間にいろいろなことを思い出す。 昔は自分の姿を見るのが、とても嫌だった。町中で唐突に鏡に出くわすと、ぎょっとして心臓が止まるかと思うほどだった。自分は家庭でも学校でもいつも醜い子供だった。少なくとも自分を醜いと思って生きていた。思春期になるころには、学校の男子にありとあらゆる方法で容姿をけなされた。母親は、顔の整形手術を進めてきた。少しずつ自分の身体が女らしくなってきたとき、それを私は嫌悪した。できるかぎり身体の線の出ない服、ダボダボな男の子みたいな服を選び、髪も五分刈りにしていた。女として見られるのが嫌だった。女じゃなくなれば、醜くても、そんなに傷つけられることはないから。きっ
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