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2015年11月16日のブックマーク (5件)

  • モバイルにおけるイノベーションは適材適所から | F's Garage

    FacebookのTLで見た書き込みで、スマートフォンのイノベーションは今後あるのか?という話があった。 個人的な感想としては、タッチパネル+アイコンのお化けであるiOS型のスマートフォンのイノベーションはもう起きないと思う。あまりにもiOSが完成しすぎたと思っている。これがいつまで続くかはわからないが、Windowsのようにこの分野の長として継続的改善を続けていくのだろう。競合としてのAndroidが出てきたことも福音で、タッチパネル+アイコンのお化けによる全画面アプリのモバイルOSの分野はしばらく盤石だろう。むしろMacOSが、ここにどれだけ引っ張られるのかが見モノである。 iOSが素晴らしかったのは、 ・モバイルとしての実用性(簡単に言うと目的達成までの時間の短さ) に加えて、 ・暇つぶしエンタメデバイスとしての実用性 を伴っていたところだと思う。ガラケーが前者が欠けていて、エンタメ

    モバイルにおけるイノベーションは適材適所から | F's Garage
  • 学級崩壊した後の学級担任 | 小学校非常勤講師のブログ

    1度だけ、自分のクラスが崩壊した経験がある。ただ、若い時で、記録もちゃんと取っていないし、その時は必死になっていたので、いったい何が原因で起こったのか不明である。諸先輩方には連日いろいろアドバイスをいただいたが、結局、収束には至らなかったような記憶がある。 その後の長い教師生活の中で、学級崩壊を間近に見た経験がある。それをここで書きたい。 最初はある、教育に非常に熱意のある、若い女の先生のクラスで起こった。 転勤してきたばかりで、学校や子どもの様子をよく知らない。それなのに、5年生を担任した。 教育に対して非常に熱意のある先生だ。クラスはこうでなければならない、子どもと子どもの関係はこうでなければならない、ということで指導されていた。友だちとは仲良くするものでしょ、力を合わせあうものでしょ、ということを真っ直ぐに子どもに言っていた。 勉強についても熱心に取り組まれていた。力の弱い子どもには

    学級崩壊した後の学級担任 | 小学校非常勤講師のブログ
  • 非正規の解放、経済の覚醒 - 経済を良くするって、どうすれば

    2020年7月、クミコは、オリンピックの女子バレーボールの会場へと急いでいた。女手一つだから、生活は楽ではない。それでも、選手を夢見る高校生の娘を連れて行けるだけの小さな余裕は持てるようになった。5年前、パート掛け持ちで疲れ果てていた頃なら、とても無理だったろう。それどころか、お金がなくて、部活をやめさせていたかもしれない。そんな親子の危機をいくつも乗り越え、ここまで来た。 ……… 「理屈はいいから、母子家庭だけは救ってやれ」、時ならぬ怒声が総理執務室に響いた。「財源が、公平が」と言を左右にする役所の幹部を、総理が一喝したのである。その瞬間、5年後のクミコたちの運命が切り替わった。母子家庭については、年収130万円まで、年金保険料を月額500円に引き下げ、130万円を超えた場合も、急に負担がのしかからないよう軽減されることになった。これで彼女らはパートでも社会保険に加入できる。 総理が怒っ

    非正規の解放、経済の覚醒 - 経済を良くするって、どうすれば
  • 「薩摩島津氏の琉球侵攻」(1609年)まとめ

    1609年三月、島津軍が琉球王国に侵攻し奄美大島、徳之島、沖永良部島、そして沖縄島と次々攻略。琉球王国軍の抵抗むなしく、四月四日、首里城が陥落、尚寧王は降伏し、独立国家琉球王国は、引き続き中国からの冊封体制下にありつつ、徳川幕藩体制の中に組み込まれる両属体制時代に入ることとなった。「薩摩島津氏の琉球侵攻あるいは琉球出兵」として知られるこの事件について、簡単にまとめ。 主に上里隆史著「琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻」に従いつつ、記事末に挙げた琉球史関連の書籍・論文を参照。年号表記は和暦、中国暦、西暦を併記すべきところだが、冗長になるので一律西暦表記している。(参考、日:慶長十四年=明・琉球:万暦三十七年=西暦1609年) 徳川政権の事情秀吉死後、実権を握った徳川家康にとって最大の懸案が秀吉による朝鮮出兵の戦後処理だった。1599年の倭寇禁止令で東シナ海の治安回復に取り組む姿勢をアピー

    「薩摩島津氏の琉球侵攻」(1609年)まとめ
  • 2015年パリ同時多発テロ事件: 極東ブログ

    フランスのパリで11月13日の夜(日時間では14日の朝)、パリ11区の若者向け繁華街を中心に、また北部のサッカー場の「スタッド・ド・フランス」で同時多発テロ事件が発生した。この記事を書いている現時点での死者は132人にのぼる。哀悼したい。また負傷者は349人とのこと。犯行は、犯行声明を出したIS(イスラム国)と見られる。日のブロガーの一人としてこの事件の印象を記しておきたい。 事件でまず気になったのは、パリ11区という地域だった。11区にはコンサートホールは劇場など文化的な地区であり、どちらかというと若者世代やリベラルな世代の歓楽街である。テロリストとしてはウィークエンドの金曜日の夜に人が集まる地域を狙ったものだとも言える、という点では不自然ではないが、事件の第一印象はこの襲撃対象地で決まった 同時に、あるいはそれゆえか同時性として仕組まれたの「スタッド・ド・フランス」でのテロに多少の

    2015年パリ同時多発テロ事件: 極東ブログ
    ushiwatat
    ushiwatat 2015/11/16
    |2005年のパリ郊外暴動事件がいよいよパリの内側に入ってきたというのがこの事件の本質あり、IS(イスラム国)やテロという視点はその、パリの内側に入ることでの必然的な補助だったのでないか|