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B.スピノザに関するushiwatatのブックマーク (2)

  • <私>にとっての、夕日という情報について : 情報学ブログ

    昨日は仕事が早く終わる日だったので、ひさしぶりに荒川に散歩に行きました。夕方になると、さすがに風も冷たくなってきたので、そろそろ帰ろうと思って、来た道を戻ると、土手の向こうにきれいな夕日が見えました。 夕日というと自分は、あるひどく個人的な体験を思い出します。それは、たしか中学生のとき。学校の帰りに、空き地の向こうに見える夕日を見て、すごいきれいだなって思ったことです。たったそれだけのことです。たったそれだけなのですが、そのとき自分は、大人になっても、この感動を持ち続けられるのだろうか。そう思って、ものすごく不安な気分になりました。 思春期の微妙な感情とか、一言で言えばそういうことなのかもしれないけれど、それは自分の中でものすごく大きなことで、夕日を見るたびに、いつもそのことを思い返すのです。それをうまく言葉にすることはできないけれど、大人になって、手に入れたもの、失ったもの、いろいろ挙げ

    ushiwatat
    ushiwatat 2008/03/10
    |「情報はいつも世界でたった一つのかけがえのない情報」「情報の文脈は、それをとらえる自分自身の全て」というような言い方をします。| |「自分が生きていることそのものが映し出されている」|
  • ここは誰?私はどこまで? : 404 Blog Not Found

    2007年06月19日14:00 カテゴリValue 2.0 ここは誰?私はどこまで? 「今吸った息は、誰のものだろう。今吐いた息は誰のものだろう」。 公と私の境界というのは、「私」にとっては常に問題だった。 あたしの中の... 新井素子 たけくまメモ : 最近の雑感それで、俺がバブル前夜だった10代末からず〜っと思っていたことは、「世の中は、基的にウソでできている、覚めない夢なのではないか」という漠然とした感じでした。 私の場合、これに「今この夢を見ているのはどこのどいつだ」というのが加わる。その上夢のネスト、すなわち夢の中の自分がさらに夢を見ていることも珍しくない。「あたしの中の...」新井素子のデビュー作なのだが、これのあらすじが、主人公の中にいろいろな人の意識が避難してくるというもので、私は自分のことが書かれているのではないかとびっくりしたものだ。Society of Mindと

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