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Facebookとアイデンティティに関するushiwatatのブックマーク (3)

  • リアルグラフへの違和感 - naoyaのはてなダイアリー

    なんか facebook のコメント blog とかに表示するやつに投稿されてるコメント、なんか素直に読めない感じのコメントが多い。・・・うまく言葉にできないので過激な言い方をすると気持ち悪いと感じるというか。ひどい言い方で、すみません。 実名とかで現実のアイデンティティを担保にとれば、コメントとか炎上もなくなってまともになるでしょうって話だったけれど、facebook でそれが現実になってみたが結果的にはぜんぜんまともじゃなかった。 アイデンティティが現実世界のそれだから、いろんな意味で発言の評価が人に結びつけられた場合のフィードバックが強すぎるんじゃないだろうか。書く側は、なんだか立派なことを言ってみたり思ってもないことを言ってみたりと格好つけるし、読む側からの印象としてはそれ全部がひどいポジショントークに見えてしまって気分が萎える。 たしかに自分も、実名・・・というか現実のアイデン

    リアルグラフへの違和感 - naoyaのはてなダイアリー
    ushiwatat
    ushiwatat 2012/06/06
    ソーシャルメディアの行き着いた先がこれか……。
  • TechCrunch | Startup and Technology News

    Netmaker submitted its pitch deck to TechCrunch+, and today we're taking a close look at the deck the company used to raise its $2.3 million round.

    TechCrunch | Startup and Technology News
  • ネットの中のワタシはどこの私か

    アーキテクチャが許してくれない「新しい私」の構築 90年代の終わり頃、ネットは明確なパブリックな空間だった。あの頃は企業も団体もHPから情報発信・提供するだけ。それこそweb1.0だった。ネットはあくまで個人の参加で作り上げられており、ある種ボランタリーな世界であった。そんなパブリックなインターネット空間への貢献意識のあらわれがフリーウェア文化やネットコミュニケーションの文化にはあったと思うが、それが機能していたのは2ちゃんねるまで。 そもそも私は2ちゃんねるを非常に高く評価している。あの場はある種、ネットという公共空間において私達のアイデンティティの在り方がどう変わっていくのかがひとつの答えだったのかなと思っている。 2ちゃんねるが素敵だったと思うのは、バックグラウンドにある現実世界の「自分」を一切排除した新しい参画の場を作り出したこと。そこに低いハードルで参画できることを保証した。論理

    ネットの中のワタシはどこの私か
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