先日、「大数の法則と中心極限定理を恋愛小説風に語ってみる」 というおちゃらけ記事を書いたが、それにはきっかけがあった。 それは、数学のできない大学生のことだ。 私がいるWS大(学部)は入学が易しい。 出願者の母集団は米国のごく平均的な高校生だと思われるが、 その約80%に入学許可を与えている。 大学は入学した全ての学生に対して 数学を最低1科目履修する事を義務付けているので、 かなり数学が苦手な学生も何らかの科目を履修することになる。 私は昨年、そうした数学が苦手な学生向けのコースを受け持った。 学生の数学的知識は、日本の公立中学3年生と同じくらいであったように思う。 公立中学と同じように、できる子は結構できるし、 できない子は平面上の直線の式も覚束ないという感じで、バラツキも結構大きい。 ちなみに、日本では「分数ができない大学生」というのが昔話題になったことがあったが、 アメリカの簡単な
まぁ正確に言うと数週間前に一度だけ30分会ったことあるのですが。 よく驚かれるので、ご紹介というかご説明しときます。 どこから説明しようかな。 ええとですね、去年の4月に独立してから、仕事プラス大震災支援活動などもあって超多忙にしてたです。 というか、独立後、雑務がこんなに増えると思わなかったわぁ(関西弁で)。 会社の総務さんって偉大だ。そのうえ、スケジューリングとか細かいやりとりとか仕事量の総量自主規制とか超不得意なので、そういうのやってるだけで鬱病みたいになるですね。メールやりとりで一日の半分が終わり、疲弊しまくって落ち込む感じ。 だって、例えばたったひとつの講演だって、オファーのやりとり(メール2往復)、事前打ち合わせの日時や場所決め(メール4往復)、本番前の確認や質問や報酬のやりとり(メール3往復)、終了後の感謝やりとり(メール1往復)、とか、全部で20通弱メールが飛び交うことも多
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