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イスラームとムスリムに関するvaivieのブックマーク (2)

  • なぜムスリム社会はISを「破門」しないのか?/『イスラーム思想を読みとく』著者、松山洋平氏インタビュー - SYNODOS

    なぜムスリム社会はISを「破門」しないのか? 『イスラーム思想を読みとく』著者、松山洋平氏インタビュー 情報 #IS#新刊インタビュー#イスラーム思想を読みとく 数々の暴虐な振る舞いで国際社会を震撼させてきたIS。なぜムスリム社会は「彼らはムスリムではない」と宣言し、「破門」しないのか、と考える向きもあるだろう。なぜISはムスリムと認められるのか? その理路を、『イスラーム思想を読みとく』著者、松山洋平氏にお話を伺った。(聞き手・構成 / 芹沢一也) ――「酒を飲んだ人に向かって『そんなことをするなんておまえはムスリムではない』と言ったり、考えたりすること」は禁じられている、という説明がとても意外でした。 それは「ムスリムである」ことの条件が「イスラームで求められる規範を(100%)実践している」ことだという認識があるからですね。そうした認識をもつのは、たとえば、「ヴィーガンであること」=

    なぜムスリム社会はISを「破門」しないのか?/『イスラーム思想を読みとく』著者、松山洋平氏インタビュー - SYNODOS
  • 「イスラームにおける救済の境界と異教徒との共存」

    イスラームはアーダム(アダム)以来の全ての預言者の宗教であり、救済は「ムハンマドのウンマ」を越えて、アーダムからイエスに至る預言者たちの教えに従った全ての「一神教徒」、即ち「広義の」ムスリムに及ぶ。これはイスラームの合意事項であり、宗派、学派の違いを超えて異論は存在しない。「イエス・キリスト以前に救いは存在するか」といった問題はイスラームにはそもそも存在する余地はない。 ムハンマドの宣教以降についての「ムハンマドのウンマ」を越えた救済の可能性をめぐっては、アシュアリー派神学が、3つのカテゴリーについてそれを認めている。 第1は、イスラームの宣教が届いていない者で考察によって自力で唯一神崇拝に辿り着いた者である。このカテゴリーに属する者は「広義の」ムスリムと認められる場合もあり、その救済については、同派の中に異論は存在しない。

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