![『シン・ゴジラ』と『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』とおばさんの行方。その時、おばさんはどこにいるのか。 :連載 あの頃フラニー・グラースと 第13回 | CIRCUS](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/439c587882bac201803a0f8a1cb637c23dadbbbf/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fcircus-magazine.net%2Fwp-content%2Fuploads%2F2017%2F04%2Feyecatch.png)
私は若い頃から貧血気味だった。だから、母はよくレバーを買ってきてくれた。その母はレバーが嫌いで、私と父だけがレバーを食べていた。甘辛い焼き鳥風のレバーが私は好きだったけれど、体調が良くないときにはあの匂いはやはり鼻についた。 イタリアに来て、多くの友人たちと田舎のレストランに行ったときのことだ。 郊外のレストランにはよくあることだが、アラカルトのメニューはなく、席に着くと決まったメニューが前菜からデザートまで次々に登場する。そのレストランの前菜のひとつに、レバーの煮込みがあった。なにをどうやって料理したのか、まったく臭みがなく、非常においしく、私は夢中で食べたのを覚えている。イタリア人にはレバーが食べられない人も多かったから、私の前には大量のレバー料理が山と置かれたが、そのあとに登場するパスタや肉料理はもういらないというくらいあの日はレバーを食べた。が、少しももたれなかったのを思い出す。な
HOME PEOPLE CULTURE STYLE SCIENCE ART DESIGN 検索 ホーム Sign in ようこそ! アカウントにログインしてください あなたのユーザー名 あなたのパスワード Forgot your password? Get help Password recovery パスワードをリカバーする あなたのEメール パスワードはEメールで送られます CIRCUS HOME PEOPLE CULTURE STYLE SCIENCE ART DESIGN ホーム STYLE ピヨ育 第九話「里帰り編... フェイスブックでシェア ツイッターでツイート tweet 関連記事同じ著者から STYLE コレペティってどんなお仕事? 後編 連載:ウィー... STYLE コレペティってどんなお仕事? 前編 連載:ウィー... STYLE ダニエルの柱廊 :連載 ダ・
美術館からの帰り道、竹橋駅のホームでふと気づいたのは「私の見たものは写真ではなく、写真以外の何かだったのではないか?」という事だった。 ただ、「何か」がいまだによくわからない。 私はトーマス・ルフについてよく知らず、ウェブサイトで知りえるおおまかな情報位しか持ち合わせていなかった.現代写真家の写真展を気軽に見に行ったつもりだった。 会場に入ると人の背丈を越える巨大なポートレート写真が並ぶ.彼の初期の代表作「Porträts」。 証明写真の要領で同様に撮られた5枚の人物の肖像は、巨大に引き伸ばす操作が加えられる事で我々の良く知った「人の顔」ではない「別の何か」に変容を遂げている。巨大化した人の顔はシワがシワに見えず、眼球が眼球に見えない。 大画面TVで自分の顔より大きな顔を見たときに違和感や不快感を感じる人は多いのではないだろうか.しかしルフの示すサイズではそうした感覚をはるかに飛び越えてし
この夏休み、我が家はエミーリア・ロマーニャからマルケ州を旅行してきた。 イタリアは地方によって料理が変わるから、ローマ近郊の田舎に住む我々にとっては旅行先での食事は最も楽しみにしているもののひとつだ。普段は食材の選択から食品の原材料にうるさい夫も、たまさかの旅行では手綱をゆるめる。 今回の旅行先のエミーリア・ロマーニャは、美食の都ボローニャを州都としている。というわけで、普段はあまり食べないコテコテのイタ飯をたらふく食べてきた。なにがコテコテかというと、とにかくサラミや生ハム、腸詰めといった加工肉がおいしい。そして、加工肉をふんだんに使った料理もおいしい。イーモラで食べた「腸詰めと赤タマネギのマカロニ」は、マカロニの量よりも肉の量のほうが断然多かった。 マルケ州に南下し、マチェラータ近郊の修道院で購入しそのまま修道院の庭で食したサラミや生ハムも、ローマでは味わったことがない美味であった。こ
ここ数年、ホテルやクラブなどで、70年代から80年代の曲をかける大人向けのディスコイベントが催されるようになった。これが結構盛況なのだそうだ。当時ディスコ通いをしていた世代が、遊びを求めて集まるのだという。正直言って、すごく興味がある。 行ってみたいとも思うのだが、ちょっと怖い。私は当時のディスコには行ったことがないからだ。今のクラブがどうなのかは知らないが、70年代のディスコは「不良の遊び場」というイメージが強く、フツーの子どもだった私が足を踏み入れるような場所ではなかった。ではなぜそんなに興味を持つのかというと、私は当時のディスコでかかっていたソウルやファンクが大好きだからなのだ。 小学生の頃、両親にテレビは夜9時までと決められていた。その当時は、9時以降は大人の時間という感じで、放送されている番組も大人向けだった。下ネタや下品なギャグもあれば、ドラマのラブシーンではバストトップ丸出し
「はい、2ユーロ。」 真っ黒に日焼けした、青空市場の草臥れたおっちゃんが、恐らく彼の持ちうる全ての愛情を込めた笑顔で、バンビに白いビニール袋を渡す。 袋には、色とりどりのパプリカ、艶やかなトマト、ズッキーニのような存在感のキュウリ、甘い香りを放つバナナなどがぎっしり詰まっている。 その横で私はよっこらしょ、と5キロ詰めのジャガ芋の袋を担ぐ。 「いやあ、相変わらず流石だわ、バンビは。」 ジャガ芋の袋の網目から、小さなジャガ芋が一つ道路に転がり落ちるのを横目に見ながら、私は惜しみない賞賛をバンビに送った。 ウィーン20区。 ウィーンの中でも特に移民の多い地区の一角の青空市場。 この市場の八百屋のおっちゃんに、やたら気に入られている同居人のバンビは、何をどれだけ買っても、請求される金額は常に2ユーロだ。 「おっちゃんにモテてもしょうがないし。」 可愛い顔で膨れるバンビに、おっちゃんが彼女のファン
photo by Hikaru Kazushime 私は以前、コスプレイヤーだったことがある。 といっても、コミケで売り子をするためのコスプレだったので、いわゆるコスプレイヤーのイメージとは少し違うかもしれない。 オンラインゲームにハマってしまった以降はすっかりやめてしまったのだが、先日話題になった記事を読んで、コミケで知り合った同人誌作家やコスプレイヤーの人々のこと、当時のことをいろいろと懐かしく思い出していた。 藤島康介さんと御伽ねこむさんの結婚の記事 http://matome.naver.jp/odai/2146788479557519501 ふと思いついて今でも連絡を取れる人に話を聞いてみたのだが、彼女たちはニコニコ動画で生放送をしていたり、個人撮影会を開催していたりと、まだコスプレイヤーとして活動しているようだった。ただ、その活動はなかなかに厳しいようで、話を聞いていくにつれ、
グザヴィエ・ドランはまだ27歳なのだそうだ。『mommy』は2014年の作品だから、当時25歳ということになる。その若さで、こんな風に人を描くことができるのか、と驚く。心に傷を負い、それでも日々を生きることに懸命な、不器用な人々。彼は、そんな人々をカリカチュアにすることなく、ふとした仕草や言葉に漏れでる感情を拾いあげてみせる。その視線は甘くはないが、温かい。 シングルマザーのダイアン、ADHDの息子スティーブ、そして隣家に済む吃音でひきこもりのカイラ。それぞれ感情に問題を抱え、外の世界とはうまく折り合いをつけていくことができない。それと同時に、3人が作る小さな世界も問題ばかりだ。 スティーブは純朴で、母への愛に溢れているが、その障がいゆえに衝動の制御がきかない。ダイアンも立派に生きているとは言いがたく、仕事はクビになったばかりだし、喜怒哀楽の激しい性格だ。母子は派手に衝突することもしばしば
今どきは、BL好きの女子のことを「腐女子」と言うのだそうだ。知らない人のために一応説明しておくと、BLとはボーイズラブ、つまり男性同士の恋愛を描いた作品のことだ。この呼び名は、ここ15年ほどの間で定着したものらしいのだが、ではそれより以前にそういった作品や、その手のものを好む女子がいなかったのかというと、そうではない。昔から、その手の妄想が大好きな女子はいたのである。 私は年季の入ったオタクだ。もっとも、私がアニメやマンガに夢中だった頃は、まだ「オタク」なんて言葉はなかった。アニメという呼び方も今ほど定着していなかった気がする。テレビアニメも、雑誌のコミックも、どちらも「マンガ」と呼ばれていて、私はどちらも子どもの頃から好きだった。 高校時代、私は「ファンタジィ部」という部活に入部していた。「ファンタジー」でなくて「ファンタジィ」。もうネーミングからして香ばしい。同じくマンガ好きだという同
先月のことだ。娘と一緒に大森靖子のライブを観に行った。そこで、私はあることについて考えさせられたのである。 そもそもは、娘が彼女の大ファンだった。家や車で何度も聴かされるうちに、だんだん私も彼女の世界が気になるようになってきて、今回のライブに行くことにしたのだが、彼女のファン層というのは娘のような10代から20代くらいの若い人たちだろうし、オールスタンディングのライブなんて久しぶりだ。客席ではかなり浮くのは確実で、体力がもつのかも不安だった。 ところが、想像していた以上にライブがすばらしく、時間はあっという間に経っていった。時にアコースティックギターを抱えて叫び、時にアイドルのように踊り、ステージに寝そべって歌い、何かが憑いたかのようにも思える圧巻のパフォーマンスだったのだ。 彼女の書く歌詞には、その時流行っている言葉やゴシップがモチーフとして使われていることが多い。たとえば「マジックミラ
photo by Republic of Korea ※この記事は、特集「よくわからなくなるお金のはなし」の記事です。 私は日本の音大で「ゾッキー」と呼ばれるグループの一員であった。 念の為断っておくが、暴走族に所属していた訳ではない。 音楽大学付属高校生の略である。 私は中学校を卒業した後、音楽大学の付属高校へ進学を決めた。 それだけ早い時期から自分の進むべき道を知り、志高く修行に励みたかったのかというと、実はそんな尊いものではない。 自分の師匠がその高校で教えていたので、なんとなーく付いて行ってしまった残念なパターンだ。 「太陽と月、どちらが大きいでしょう。」という質問の回答にクラスが真っ二つに分かれて争ったり、「鉄砲が最初に伝来した島はどこでしょう。答え: ○○島」の○○の部分に、多くの生徒が「鹿児」の字を書きこむような凶悪事件が度々起こる学校で、「ヤバいところにきてしまった」と冷や
photo by noir gothly 「mixi」「スタービーチ」・・・という名前を出しても、10代や20代の方はわからないかもしれない。 その昔(といっても今から15年前程前)、招待されないと入会できない「mixi」や、有料会員しか書き込めない「スタービーチ」が人気で、誰しもがその会員になろうとした時代があった。その時代はわりとすぐに終わるのだが、後続のSNSが急速に発展。ガラケーで無料で利用出来る「モバゲータウン」や「GREE」が流行し、今では「LINE」が主流だ。専門的な知識が問われるツールの壁もなくなり、小学生から高齢の方まで、オンライン上で気軽にコミュニケーションを取れる世界になっている。 高速なインターネット環境が整備されたこともあって、動画を使ったコミュニケーションも盛んだ。日本ではYoutubeとニコニコ動画が特に有名であろう。 特に人気があるのは、好きな歌手の歌を自分
2011年製作のハンガリー・フランス・スイス・ドイツ合作、渾身のモノクロフィルム映画です。 タイトルは「哲学者ニーチェがトリノの広場で鞭打たれる馬を見て泣き崩れ、そのまま発狂した」という有名な逸話から。 監督タル・ベーラ氏が長年温めていた「その馬はどうなったのだろう?」という疑問を元に撮られた映画とのことで、原題は「トリノの馬」だそうです。ニーチェという名前を出されると「ニーチェが出てくる映画か!」と早合点しがちですが、ニーチェじゃないです。馬ですよ。 冒頭、吹きすさぶ暴風と砂埃の中、老人が荷馬車を走らせる場面。 ははあ、もしかしてこの馬がその、広場の例の、アレなんですかねー、ニーチェの訴えで助けられて、どこか良い処へでも行くんですかねー、…などとハリウッド映画的な思考を巡らしていられるのも、ほんの30秒くらいの間でしかないでありましょう。 呻きのような、重苦しい弦楽。 四方から睨め回すカ
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